第15話 兄とポポのいつもの喧嘩

 その日の夜、風呂に入って寝る準備万端になったディアナは、まだベッドへは行かずにソファーにゴロンと寝転んだ。そして、頭にクッションをしているため、斜めに寝たまま昨日まで読んでいた本の続きを開く。


 そうしていると、ポポがディアナの胸の上にやってきて座った。


『ディアナ、今日の疲れを取ってあげるわ!』

「ふふふ、そうね。お願いするわ」


 ポポは嬉しそうに「にゃぁあ」と鳴くと、ディアナに口づけをする。すると、ディアナの体から疲れが取れていく。これは、ロミオがポポに「ポポがディアナのために何もできない」と昔言ったことを気にして、ポポが一日の終わりにしてくれるようになったことだ。


 女神の化身であるポポが人にできることは、そう多くないことが分かった。人間の世界で神ができる権能には限りがあり、ポポの場合、神聖力の与奪に特化しているのだという。


 だから、神聖帝国マリデンでは、初代皇帝の願いで聖物に神聖力が付与された。聖物の神聖力は、ポポから力を引っ張るものであり、帝国の神官たちは聖物を使えるだけ使っていたものだから、ポポ自身が使える力が微々たるものになるまで奪われていた。


 その力が、ディアナが「解放」と唱えることで、解放された。あの解放宣言は、ただの神官ではなく皇帝の子孫で女神マリデンの寵児であるディアナだからできる解放宣言だったらしい。


 ポポに力が戻り、今のポポは神聖力が溢れている。ただ、ポポが他人に使える力は、ポポ自身が神聖力を使って何かを行うこと、そして、他人に神聖力を与奪すること。元々、ディアナは神聖力が豊富で、ポポに与えてもらうほど必要としていない。だから、ポポがディアナにできることは少ないと、ポポ自身が落ち込んでいた。


 ディアナに何もできないから、ディアナの傍にいては駄目なのかとポポは泣くので、ディアナはそんなことはないと言ったのだ。猫の姿のポポは可愛いし、昔から綿毛のポポはいたのだから、いまさらだと思うのだけど。何かディアナのためにしたいと願うポポに「疲れを取ってくれると嬉しい」とお願いしたのだ。まあ、ディアナ自身、自分の疲れは自身で神聖力を使えば取れるのだが、わざわざそんなことのために自分の神聖力を使ったりはしないから、そうポポにお願いした。


 だから、ポポは「仕事ができたしディアナの傍にいられる」と嬉々として疲れを取ってくれる。


 ちなみに、ディアナが死ぬ時に逆行させてくれたのもポポの力だ。あれはディアナに対して使ったのではなく、ポポ自身の時間が逆行するよう力を使ったらしい。そのついでに、ディアナやその周りの世界の全てが逆行した。ポポ自身に使う力は、神聖力だけに限らなくて、神としての別の力が使えるという。だけど、ディアナの逆行を目的に力を使うことはできないらしい。神の世界も、色々制約があって大変だと思う。まあ、『ディアナを逆行する目的ではなく、ポポ自身の時間を逆行させたい』という建前なだけで、ただの見方を変えた知恵で機転を効かせただけのような気もするけど、そういう建前とかも必要らしい。


 『神の世界に帰れば、もっと色々できるのよ!』とポポは力説していたが、その手段はポポは使いたくないようだ。なんせ、神の世界と人間の世界は大幅に時間の経過に差があるらしい。神の世界が一瞬でも、人間の世界では百年くらい過ぎるらしく、『一瞬だけ神の世界に戻って、帰ってきたらディアナがいなくなってたらどうするの!?』と泣くのだ。まあね、百年も経てば、さすがにディアナが生きてるとは限らない。


 ディアナに口づけしていたポポが、宙に浮いたと思ったら、いつの間にか、そこにロミオがいた。ロミオが汚物でも見るような目でポポを睨み、猫なポポの首根っこを掴んでいる。


 ロミオってば、顔が美形なものだから怒ると余計に怖いんですけど。


「ディアナの唇に誰がキスしていいって言った?」

『なぁぁああ!? 別にいいでしょ!? ディアナの疲れを取ってあげたの!』

「それは、わざわざ唇にキスしてする必要があるのか?」

『それはぁ……』

「必要ないんだな?」

『だって、私のディアナでもあるから、ちゅーしたいっ!? ……――動物虐待はんたーい!!』


 ロミオはポポを遠くに投げやった。


「どこが動物だ。猫に擬態してるだけの毛むくじゃらのくせに」

『私は女神の化身よ! 綿毛は力のなかった私の仮の姿! もっと敬いなさい!』

「屋敷の出入りを禁止にするぞ」

『ディアナ! 魔王がいじめるー!!』


 投げられても、しゅたたと戻ってきたポポは、ディアナの腕の中に飛び込み「にゃあにゃあ」と鳴く。うーん、可愛い。いつもこれで何でも許してしまう。


「ディアナ、これ捨ててきていいか?」

「駄目」


 ロミオは苛立たし気にディアナを抱き上げ、ソファーに座ると、ディアナをロミオの膝に乗せた。それから、ディアナの唇をロミオの指の腹で何度もなぞる。


「何してるの?」

「ディアナの唇の消毒」


 ポポは猫なのになぁ。汚くないのに。あれでも女神だし。


「今までポポにキスさせてたのか」

「疲れを取ってくれてただけだよ」

「別にキスしなくていいらしいから、他の方法で疲れは取ってもらえばいい」

「はぁい」


 機嫌の悪いロミオに逆らうまい。素直に返事をしておく。ポポは腕の中でしゅんとしているけれど。


 ポポが猫になれるようになって以降、ポポが屋敷にいる間は、猫としてディアナ以外の人にも見えるようにいてもらっている。だから、ポポは、ディアナの飼い猫として普段からディアナの部屋にいるのだ。使用人にも可愛がられている。


「そういえば、お兄様、何か用事があったの?」

「うん? ……ああ、そういえば明後日、ドレスの最終チェックに行くと言ってたなと思って。俺も行くからと言いに来た」

「えぇ? お兄様、仕事は? 今日も私のお茶会に来ていたのに忙しくないの?」


 もうすぐディアナは社交界デビューを控えていた。そのためのドレスの製作依頼を出しているところなのだ。服飾店を屋敷に呼べばいいが、ディアナは出かけて色んな服や装飾品を見るのも好きなので、毎回街に出かけている。


「仕事は、ディアナが危ない目に遭わないで済む日にしてるから、問題ない」

「お茶会も服飾店も、何も危険ではないのだけど?」

「分からないだろう?」

「もう。お兄様ったら、過保護」

「過保護とまではいかないと思う。可愛い妹がいれば、どの家もみんな当然してることだから」


 そんなことないと思うけどね。苦笑いするしかない。これだけ兄がついて回れば、友人なんかは「ロミオ様みたいに、うちのお兄様がついて回ったらウザイわぁ」と言っていたけれど、ディアナは不思議とそんな風には思わないのだ。ディアナがブラコンだからだろうか。


 ロミオは、アカデミーを卒業した後、国政以外の父の事業の仕事を手伝ったり、騎士団関係の仕事もしている。なかなか忙しいのだが、ディアナを構うのは昔から減らそうとしない。むしろ増えている気がする。


「ドレスに合う装飾品はどうしてる?」

「買ったよ。それも今度取りに行くんだ」

「そうか。じゃあ、それも一緒に取りに行こう。ネックレスもあるんだよな?」

「うん」

「そのネックレスはしていいけれど、前に俺があげたネックレスも必ずしてるんだぞ。あれはお守りだから」

「うん。今もしてるよ」


 チェーンがちょっと長いピンク色の宝石が付いたネックレスを、寝間着の中から取り出して見せた。


「良い子だ」


 ロミオはディアナの頭を撫で、ディアナは笑みを浮かべる。


 その日も、そうやって、仲良し兄妹の夜は深けて行った。

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