第8話 ジュリエットの運命の歯車

 今日はロミオが一人で外出していないので、ディアナは一人でお留守番。講義室で家庭教師の先生から勉強を学ぶ。人生二度目だからか、七歳が習う勉強は難しくないので勉強は順調だ。


 それにしても。


 女神マリデンの化身であるポポだが、今もずっとディアナの傍にいる。四歳のあの時は、半透明だった毛糸のような綿毛の存在は、なぜか年々色が濃くなっている。そう、半透明ではなくなっているのだ。ずっとディアナをストーキングしているポポは、実体があるから触れるのに、ディアナ以外には見えていない。そのはずだけれど、色が濃くなるとちょっと不安になる。実はディアナ以外の人にも見えているのではないかと。


「先生、この問題、これであっていますか?」

「どれどれ……ええ、お嬢様、その答えで正解ですよ」

「ありがとうございます」


 ディアナの勉強ノートを覗き込んでいるポポを指して、先生に質問してみたが、先生は普通の仕草だった。やはりポポは見えていないらしい。


 なぜポポは色が濃くなったのだろう。逆行後、ポポの色が半透明に薄くなった理由は、時間を遡らせる時に力を使ったからだった。では、濃くなってきているのは、力が戻ってきているということだろうか。


 ポポとは会話ができないけれど、意思疎通はできる動物でも飼っているような気分だ。どうして、こんなに綿毛みたいなのだろう。女神マリデンの化身なら、妖精みたいだとそれっぽいのにな。まあ、この世に妖精はいるらしいが、ディアナは一度も見たことがないから見てみたいというだけだけれど。


 次の日。


 玄関ホールにいるディアナとロミオは出かけようとしていた。しかし、ロミオの表情はどこか心配な様子。それというのも。


「明日なら俺も一緒に付いていけるのに。今日じゃないと駄目なのか?」

「せっかくパウンドケーキをたくさん焼いたのよ。子供たち、みんな待ってるもの。明日になったら、味が落ちるかもしれないでしょ? 平気よ、私一人でも行けるわ」


 ディアナは教会に併設されている孤児院に行こうとしていた。ディアナが作った手作りパウンドケーキをお土産にだ。ロミオは貴族子息の集まる行事があるため、一緒には行けないのだ。


「……やっぱり、俺もディアナと行こう」

「だめよ!? お兄様は今日は絶対参加の行事でしょう? 王子殿下たちも来られるのだもの」


 ロミオはぎゅーっと眉を寄せる。


「お兄様、私はもう七歳なのよ。他の貴族の子供たちのように一人でお出かけくらいできるわ。お兄様だって、七歳の時は一人で出かけていたでしょう」

「街は危険なんだ。ディアナを襲う人がいるかもしれない。炎で攻撃されたら? ディアナが可愛いから連れ帰ろうとする人がいるかもしれないじゃないか」


 街は暗黒世界か何かですか。


「孤児院に行ってみんなと少しおしゃべりして、その後は万年筆のお店に行って、そしたらすぐに帰って来るわ。そんなに長い時間じゃないでしょ? お兄様がお出かけして帰って来るより早い時間に帰って来られるわ。それに、お父様とお兄様が護衛騎士を連れて行くように言ってたでしょう? ほら、もう護衛騎士が待ってくれてる。あの人が守ってくれるから。ね? 心配し過ぎよ、お兄様」

「……」


 ロミオはまったく納得いっていない顔だが、しぶしぶ頷いた。


「……分かった。寄り道しないように。知らない人について行っちゃ駄目だ。早く終わらせて帰って来るんだぞ」

「うん」


 ディアナはロミオの頬に行ってらっしゃいのキスをすると、ロミオも返してくれる。それぞれ別の馬車に乗り込み、出発した。


 ふぅ。やっと出発できた。なんでかロミオが最近、心配性と過保護が増している。なぜだろう。心配性な父に似てきたのか? ロミオだってまだ十歳。十分子供なのに、ロミオと話していると、時々自分がまだ四歳くらいなのではないかと思ってしまう。


 まあ、仲の良い兄妹になっているのだと前向きに捉えよう。


 馬車が進み、教会が見えてきた。パオロ司教様のおられる教会だ。


 パオロ司教様のおられる教会には、モンタール公爵家として昔から寄付をしている。教会に併設されている孤児院にも、金銭だけでなく食事の面、勉学の本なども寄付をしていた。孤児院の特に優秀な子には、アカデミー入学に関して奨学金も出している。だから、ディアナも去年から月に一度ほどロミオと一緒に孤児院に行って、子供たちと接することにしているのだ。


 今日はロミオはいないけれど、ケーキを作って持っていく約束をしているので、きっと子供たちは楽しみに待ってくれているはず。


 教会に到着すると、孤児院に行く前にディアナは教会でお祈りをする。


 今度こそ、どうか幸せな未来が待っていますように。第一王子の婚約者になりませんように。将来はディアナだけを愛してくれる素敵で優しい旦那様と結婚したいです。


 ええ、邪心ありまくりのお祈りです。いいよね。心の中でくらい自分の願いを素直に言っても。心の中というか、神様にお願いしているのだけれどね。誰だって、自分の幸せに希望を持ってもいいはず。


 他にも、ロミオとジュリエットが恋に落ちませんように。いつかディアナが本当の娘ではないと知っても、お父様が変わらずディアナを愛して、ディアナを手放しませんように。家族三人、幸せな未来を過ごせますように。

 そのようにお祈りをする。


 このまま順調にいってロミオとジュリエットが恋に落ちなければ、二人はこっそりと結婚しようとは思わないはず。そうなれば、ディアナが父の本当の子ではないとバレないはずではある。でも、もしバレたとしても、父がディアナを放さないでくれれば、それでいい。


 お祈りが終わり立ち上がると、パオロ司教が近寄ってきた。


「いつも熱心にお祈りをされていますね。今日はロミオ様はおられないのですか?」

「パオロ司教様。はい、お兄様は今日は用事があって。でも、今日はみんなと約束した通り、パウンドケーキをたくさん焼いてきました。……私の手作りなので、形が少し歪んでしまったのですが、料理長に教えてもらいながら作ったので、味は期待してください」

「それは楽しみですね。子供たちも楽しみにしていましたよ」


 教会の隣の孤児院へ行く。孤児院は、赤ちゃんなどの小さい子から、十七歳までの子供たちが住んでいる。年長の子がより小さい子の面倒を見る体制になっていて、みんな仲良しだ。教会にはパオロ司教以外にも神官、修道女もいて、子供たちの面倒を見ている。


「みなさん、ディアナ様がケーキを持ってきてくださいましたよ」

「ディアナ様! ありがとうございます!」


 子供たちがわらわらとケーキに集まって来る。


「味は美味しいと思うの。……形は愛嬌あるかもしれないけれど」

「あはは! 本当だ、変な山の形ー!」

「うっ」

「でも、甘くて美味しいよ! レモンの味もする!」


 形はともかく、味は子供たちに好評だった。お菓子作りって難しい。料理長の言う通り作っているのに、いつも微妙に失敗するのだ。まあ、子供たちが喜んでくれるので良かったけれど。


 以前、修道院の子供たちのために、ディアナでもできることはないかとパオロ司教に相談したら、子供たちは頻繁には食べられないお菓子が好きと聞いて、ディアナが手作りを始めたのだ。これが意外と楽しくて、お菓子作りは趣味になりつつある。


 子供たちとしばらく楽しく話をして、それからディアナは再び馬車に乗り街へ出た。万年筆の店に商品を取りに行くのだ。最近勉強に力を入れ出したディアナは、父やロミオが使っていた万年筆が欲しくなり、先日依頼をした。


 万年筆のお店の近くで馬車を降りる。今日ずっとディアナの傍にいる護衛騎士も連れて歩き出そうとしたところ、大声の痴話喧嘩が聞こえた。ディアナが降りた馬車のすぐ傍で、男女が言い合いをしている。


「キャピレット公爵家の娘の乳母で給料がいいからって、いい気になるなよ! 絶対に別れないからな!」

「いい加減にして! 借金まみれのあんたの面倒は、もう見きれないわ! 借金はあんた一人で返して! 自分が作った借金でしょ!」


 『キャピレット公爵家の娘の乳母』と聞こえて、ついディアナは足を止めた。キャピレット公爵家の娘とは、ジュリエットのことだろう。ということは、あの三十歳くらいの女性はジュリエットの乳母?


 逆行する前、ロミオとジュリエットが死んで以降、ディアナはキャピレット公爵家に帰ることになった。帰った後、生きていた頃のジュリエットの話を聞いた。確か、ジュリエットの乳母は、ジュリエットが子供の頃に殺されたとか。


 まだ言い合いをしている男女の成り行きを見ていると、乳母の夫らしき男が懐からナイフを取り出した。いや、まさか、ここが乳母が殺される場面だったりする!?


 ディアナは慌てて護衛騎士を見た。


「あの男を押さえて!」


 今まさに男に刺されようとしていた乳母を護衛騎士が引っ張り、素早くナイフを持つ男の手を取り、男を地面に押さえ付けた。


 騒ぎを聞きつけた街の警備隊が走ってきて、護衛騎士が捕まえていた男を代わりに捕縛してくれる。


 地面に青い顔でへたり込んでいた乳母に、ディアナは近づいた。


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」

「あ、ありがとうございます」


 ほっとした顔でディアナを見た乳母は、はっとした顔でディアナの後ろを見た。そして、だんだんと嫌悪の顔に代わる。


「……まさか、モンタール公爵家の娘?」

「え? ……ええ、そうですが」


 ディアナが乗っていた家門入り馬車を見て、どこの子か分かったのだろう。乳母は素早く立ち上がって口を開いた。


「誰も助けてなんて言ってないのに! そっちが勝手にあの男を取り押さえたんだからね」

「え!? そ、そうですね?」

「勝手に助けたくせに恩を着せようったって、そうはいかないから! この偽善者!」


 乳母は勝手に怒って去っていく。


 えぇ? 何これ。いくらなんでも、あれはなくないか。命を救ったのはディアナなのに、あの返しはないのでは?


 あれ? 『命を救った』なんて、そう思うことこそまさに恩着せがましかったりする? もう、何が何だか訳が分からない。


 なぜ、あそこまで言われるのか。キャピレット公爵家の乳母ではあっても、キャピレット公爵家と直接対立しているモンタール公爵家とは関係ないはずなのに。使用人にまで対立根性ができているのだろうか。モンタール公爵家に借りを作ったら厳罰とか。いやまさか、さすがにそんなことはないはず。


 訳が分からな過ぎて疲れてしまった。ディアナは予定通り万年筆を受け取りに行き、それから帰宅した。


 まさか、この乳母を助けたディアナの行為が、ジュリエットの運命を大きく変えるとは思ってもみないことだった。いったい誰に対しての善だったのか。乳母なのか、ジュリエットなのか。ディアナは将来これに関して、少し悩むことになる。

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