第25話 動揺は突然に

 ジュリエットと出会った夜会から十日ほど過ぎたある日の昼過ぎ、動揺は突然やってきた。使用人が困惑の顔で話しているのを聞く。


「キャピレット公爵令嬢が来た?」

「はい、お嬢様。現在、敷地の門の前に馬車が到着しています。ロミオ様とお嬢様に話したいことがあるそうなのですが、いかがいたしますか?」


 ディアナはその日、次に孤児院に行く時に持っていくお菓子について、料理長に相談しているところだった。お菓子作りはディアナが楽しいと思っている作業の一つで、子供たちが喜ぶ姿を想像しつつ、料理長に相談することも好きなことだった。


 そんな楽しい時間が、いっきに動揺に変わる。


「……キャピレット公爵令嬢から、訪問伺いの連絡は来ていないわ。お断りしてくれる?」


 よっぽど親しい相手ならともかく、貴族の屋敷に訪問するなら、前もって先触れの連絡を入れることは常識だ。とりあえず、今回は断っても非礼にはならない。非常識はジュリエットの方なのだから。


「それが……キャピレット公爵令嬢の話は聞いておいた方がよいと、ご本人が脅すようなことをおっしゃっているそうなのです。今日、話を聞いてもらえないなら、キャピレット公爵に告げてもいいのかと」


 何の話なのだろう。この前の夜会で雰囲気が悪くなったことについて、苦言を言いたいとかだろうか。分からないが、不安が胸を渦巻く。


 今回は、ジュリエットをここでは帰さず、話を聞いた方がいいのかもしれない。


「……分かったわ。応接室にお通しして。お茶とお菓子もお出ししてくれる?」

「承知いたしました」


 料理場近くの部屋にいたディアナは、すぐに自室に向かった。


 自室では、猫なポポがソファーの上で、だらんと仰向けで昼寝中だった。野生をどこかに忘れてきたような恰好である。しかし、ディアナに気づくと、ディアナに近寄って来る。


『ディアナ! お茶の時間かしら! それとも、私を抱っこしてくれる時間!?』

「ごめんね、ポポ。今はそれどころじゃないの」


 ディアナはクリスに貰った通信具を取り出す。そして、すぐにてっぺんを三秒ほど押す。


 この通信具は貰ったものの、ロミオは毎日夜はいるから、特に連絡することもなくてまだ使っていなかったのだ。現在ロミオは仕事で外出中なのである。


 魔道具の上にロミオの顔が映し出された。


『ディアナ? どうした?』

「どうしよう、お兄様! キャピレット公爵令嬢が訪問してらして――」


 ロミオにジュリエットの訪問と、脅すようなことを言っているため屋敷に入れたこと、応接室に通していることを告げる。


「お兄様と私の両方に話したいことがあるらしいの。どうしよう、この前のことを怒っているのかな? お兄様、急いで帰ってこられる?」


 ロミオは舌打ちした。


『なんて迷惑な。分かった、すぐに帰る。屋敷直通のスクロールがあるから。いいか、ディアナ。五分以内には帰るから、一人で応接室には行くな。俺を待ってるんだ」

「うん」


 スクロールとは、魔法での移動手段を呪文として組み込んでいる魔道具に近いものだ。青騎士団で使用することがあるらしく、ロミオも緊急時用で持っているのは知っていた。スクロールを使わずとも、ロミオは転移魔法も使えるが、結構な量の魔力を使うらしいので、普段は使用していないという。


 ロミオが帰って来るまでが長く感じたけれど、実際は三分ほどだった。ロミオの部屋直通にスクロールを使って帰ってきた。ディアナの部屋に入ってきたロミオを見て、ディアナはロミオに抱きついた。


「良かった、お兄様……私一人でキャピレット公爵令嬢を相手するのは不安で。ごめんなさい、仕事中だったのに」

「いや、俺を呼んでくれてよかった。向こうもそれを望んでいるのだろう? ディアナに訳の分からない口撃でもされたらたまらない。本当は、ディアナは連れて行きたくないが……」

「でも、私にも話があるとのことのようだし……」

「……そうだな。一緒に行っても、俺が基本的には会話するから」

「うん……」


 嫌な予感しかしないが、ロミオとジュリエットの待つ応接室へ向かった。


 応接室では、ジュリエットがお茶を飲んでいた。ディアナとロミオは、ジュリエットが座るソファーの前に並んで座る。


「やっと来たのね。こんなに私を待たせるなんて」

「訪問を告げる連絡も無しに来たのはそちらだ。それこそ非常識だと思うが」

「私には許されてるのよ」


 許されているって、誰にだ。王族でさえ、貴族を訪問するときは、必ず訪問伺いをするものなのに。


 呆れた顔のロミオだが、これでは無駄な時間だけ過ぎてしまうと思ったのか、早速本題を促す。


「それで? 話とは?」


 傲慢な態度のジュリエットだが、少しだけ表情を改めた。


「……少し前にお母様が気づいたのよ。今はまだ、お母様と私だけの秘密で、お父様には言っていないの。お父様に言う前に、あなたたちに伝えてあげようと思って」

「……? 何を?」

「私とそこの女、ディアナは、取り替えられているのよ!」


 さーっと頭が冷えていくのを感じる。


「私が本当はモンタール公爵家の娘で、ディアナがキャピレット公爵家の娘なの!」


 なぜ知っているのだろう。逆行前は、ロミオとジュリエットの秘密の結婚時に知ることなのに。


「……何を、訳の分からないことを」

「あら、本当なのよ、ロミオ様。いえ、今はお兄様と呼ばせていただくわね!」

「勝手に兄と呼ぶな」

「な、何よ! 分かったわよ、とりあえずロミオ様と呼ぶわ。それならいいでしょ!」


 兄の怒ったような低い声に、ジュリエットも少し動揺しているようだ。


「私がロミオ様の妹なのは、間違いないのよ。つい最近、お母様の見えなかった目が治療で見えるようになって、お母様が私を見て言ったの。目の色が違う。『六枚羽』の印がないって」


 ああ、これは完全に知られてしまった。もう誤魔化しようがない。ディアナは、ロミオのディアナに対する反応を見るのが怖くて、横を見られずにいた。


「ディアナ、あなたの目は青緑色の瞳ね。お母様が言っていた通りだわ。ディアナはお母様の本当の娘よ。左の腰に『六枚羽』の印もあるのよね?」

「……」

「あら、動揺しちゃって。それこそ事実という返事よね」


 そう、動揺していた。手が震えている。


「お母様は私が可愛いから、このまま取り替えられたままでいても良いと言ってくれてるわ。今までお母様の傍にいたのは私だもの。実の娘といえど、他家に渡った子供が可愛いはずないと思うの。だから私も黙ったままでいようかと思ったから、お父様には取り替えについて言っていなかったのだけれど」


 ジュリエットがディアナを見た。


「ディアナ、あなた偽物のくせに、ロミオ様にずいぶん可愛がられているというじゃない。許せないわ! 素敵なお兄様に可愛がられるのは、実の妹の私の特権よ! この盗人!」


 盗人。そうだ、盗人だ。娘同士が交換されていることに気づきながら、それを黙り、ジュリエットが受けるべき、父と兄の愛情を奪ってしまった。目が熱くなり、じわじわと涙が溢れる。


「やっぱり、この状況は正すべきよ。お父様に娘が取り替えられていることを告げるつもり。そしたら、私とディアナは交換されるでしょうから、私がモンタールの娘になったら、ロミオ様とモンタール公爵には、今まで貰えなかった分、私を愛して可愛がってくれなくてはね!」

「……それを言うために今日来たのか」

「そうよ。私を迎え入れるにも、準備が必要でしょ。ディアナが着用したドレスや宝石は、私は使いたくないわ。私は実の妹なのだから、ディアナより良い物、広い部屋も用意してね」


 ジュリエットは上機嫌だ。


「……とりあえず、今日は帰ってくれ。こちらとしても、簡単にそれを受け入れられない。事実確認も必要だから」

「あら、間違いないのに」

「それは、俺が事実確認しない限り、肯定はできない。事実確認が済めば、そちらに連絡する。それまで、キャピレット公爵には告げないで欲しいのだが。こちらも、父には、事実が確実になってから告げるから」


 ジュリエットは不満げに唇を尖らせつつも、頷いた。


「分かったわ。今日は帰ってあげる。でも、事実確認が済んだら、早く連絡して! この前、キャピレットとは仲良くできないみたいに、ロミオ様が言ってたでしょ。この前は言えなかったけど、本当のキャピレットはディアナなんだから。ディアナは実の妹じゃない偽物なんだから、もっとディアナを憎んだ方がいいわ!」


 いい気味とでも言いたげな顔をディアナに向け、ジュリエットが立ち、呼んだ使用人と共に去っていく。残されたのは、ディアナとロミオ。


 ああ、怖い。偽物のディアナは、これからどうなるのだろう。

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