第4話

☆☆☆


海との出会いを思い出したあたしは強くかぶりを振った。



あの時の海は確かに優しかった。



あたしを救ってくれた恩人で、そんなこと初めてだったあたしはすぐに海の事を好きになってしまったんだ……。



でも、あの時の感情は徐々に薄れつつある。



海がちょっとしたことでキレて暴力を振るう人だと、見抜く事ができなかったのだ。



あたしは大きく息を吐きだして宿題のプリントから視線を上げた。



海に殴られた右頬が痛くて、なかなか問題に集中することができない。



家に戻ってからちゃんと冷やしたからこれ以上腫れることはないと思うけど……。



そう考えていたとき、コトハからメッセージが届いた。



《コトハ:ほっぺた大丈夫?》



やっぱりあたしのことを心配してくれていたみたいだ。



ほんの少し、コトハへの罪悪感が胸をもたげてくる。



海と付き合い始めた時は応援してくれていたコトハだけれど、時折青あざを作って登校するようになったあたしを見て、怪訝に思い始めている様子だった。



あたしがどれだけ下手な嘘をついても、コトハはきっと全部見抜いている。



《星羅:大丈夫だよ!》



元気一杯な絵文字と一緒にそう返事をするしかなかった。



《コトハ:そっか……。余計なお世話かもしれないけれど、星羅に聞いてほしいことがあるの》



その文面にあたしは顔をしかめた。



きっと海と別れろとか、そういう話なんだろう。



それなら聞きたくない。



海への気持ちは揺らいでいるけれど、それでもあたしはまだ海のことが好きだった。



きっと、初めて付き合った相手だからだろう。



離れたくないという気持ちの方が強かった。



そのため、あたしはコトハのメッセージを無視して再び宿題へと視線を向けた。



相変わらず頬はジクジクとしつこく痛んでいるけれど、今度はちゃんと集中できそうだ。



そう思っていたのに……。



コトハからのメッセージが立て続けに送られてきて、あたしは息を吐きだした。



コトハはどうしてもあたしに話を聞いてほしいのだろう。



勉強中だから後にしてと言えばきっと諦めてくれる。



そう思ってスマホ画面を確認した。



《コトハ:人格強制メロディって知らない?》



《コトハ:今の星羅にとって必要なアプリだと思う!》



「人格強制メロディ……?」



あたしは1人呟いて首を傾げた。



聞いたことのないアプリだった。



アプリストアでダウンロードすることができるんだろうか?



そう思い、少しの好奇心に負けてストアを表示して検索をしてみた。



しかし、コトハの言っているようなアプリは見当たらない。



仕方なくコトハに返事をすることにした。



《星羅:なにそれ?》



《コトハ:人格を変えたい相手に人格強制メロディを聞かせて、その後に『あなたは優しい人』とか『あなたは明るい人』って言う風に相手になって欲しい性格を伝えるの。そうすれば、相手は人格が変わるっていう噂だよ》



コトハのメッセージにあたしは瞬きを繰り返した。



相手の人格を帰ることができるメロディ……?



《星羅:コトハ、あたしのことを心配してくれているのは嬉しいけど、そういう都市伝説はあんまり好きじゃないんだよね》



きっとコトハは見るに見かねているのだろう。



ありもしないアプリの存在を伝えてくるなんて……あたしはどれだけ不幸に映っているんだろう。



バッグの中から手鏡を取り出して自分の顔を確認してみると、右頬が少し膨れているのがわかった。



明日の朝までには治ればいいけれど……。



そんな懸念を感じていた時だった。



鏡の中に海の姿が見えた。



海は顔を真っ赤にし、目を吊り上げてあたしに殴り掛かろうとしている。



あたしは悲鳴を上げて振り向いた。



取り落とした手鏡が音を立てて床に落ちる。



しかし、そこには自分の部屋が広がるばかりで誰もいない……。



当たり前だ。



海は自分の家にいるはずだ。



ホッと胸をなで下ろして手鏡をバッグにしまった。



きっと昼間の出来事がちょっとしたトラウマになっているだけだ。



そう思って安堵したものの、トラウマを抱えながら付き合う意味はあるの? と、頭の中でもう1人の自分が語り掛けて来る。



別にいいの、それでも海のことが好きだから。



本当に? 今のままじゃ幸せにはなれないってわかってるのに?



そんなのわからないじゃん。海だって、変わってくれるかもしれないし。



人格強制デロディで?



もう1人の自分の言葉にあたしは呼吸が止まるかと思った。



心臓は大きく打ち始める。



《コトハ:人格強制メロディはこのサイトでダウンロードできるみたいだよ》



そんなタイミングで、コトハからURLが送られて来た。



あたしはゴクリと唾を飲み込んでそれを見つめる。



こんなの嘘。



あたしは都市伝説なんて好きじゃない。



わざわざサイトを確認したりなんてしない。



これが、正常なあたしの判断だった。



でも今は違った。



大好きな海に殴らせ、素足で逃げて帰って来たところなのだ。



普段は考えないようなことを考え、手を出さないようなものにまで手を出してしまう精神状態だった。



ダウンロードしちゃいなよ。



それはもう1人の自分からのささやきだった。



偽物でもなんでもいいじゃん。



とにかく1度ダウンロードするだけ。



大丈夫。



怪しいと思ったら、すぐに消しちゃえばいいんだからさぁ。

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