第6話
☆☆☆
香澄の存在は腹が立つけれど、今はコトハを探して話を聞く方が先だった。
しかし、残念なことにコトハはまだ登校してきていないようだ。
落胆しつつ自分の席へ向かって鞄の中の教科書などを机に移動して行く。
「このお菓子おいしそー!」
途端におおきな声が聞こえてきてそちらへ視線を向けてみると、香澄が机の上にカラフルな缶を置いていた。
それは有名なお菓子メーカーのもので、あたしは思わず「あっ」と声を上げていた。
将来パティシエを目指しているので、お菓子に関するものにはつい反応してしまうのだ。
「どうしたの星羅ちゃん?」
香澄が小首を傾げて聞いてくるので、あたしは咄嗟に視線を逸らせた。
「なんでもない」
口の中でモゴモゴと返事をして再び自分の机に向き直る。
「もしかしてこのお菓子が欲しいとか?」
そう言ったのはマチコだった。
あたしは左右に首をふる。
とても高級なお菓子だから食べてみたいと思っていたが、これ以上絡まれるのは嫌だった。
それなのに、香澄がそのお菓子を一つ持ってあたしの席までやってきたのだ。
香澄が自分から動くなんて珍しいことだった。
いつもはとりまきたちが香澄の席に近づいて行くし、欲しいものがあっても買ってこされるのが常だった。
「あげるよ」
香澄は満面の笑みを浮かべてそう言った。
しかしその笑みは歪み、優越感に満ちたものだった。
きっと、あたしには買うことのできない品物だからだろう。
あたしはすぐに手を伸ばすことができなかった。
香澄は口は優しいが態度は最低だ。
わざと見下しているとわかるように態度で示してくる。
それが胸に引っかかり、手を伸ばすことができなかった。
「なにしてんの? さっさととれよ」
いつの間にか香澄の横に立っていたナツコが声をかけてくる。
威圧的な声色でそう言われると、あたしの緊張感は更に高まって動けなくなってしまう。
他のクラスメートたちに助けを求めて視線を送るが、誰もあたしのことなんて気にしていなかった。
「あ、そっかー!!」
動けなくて固まっていると、香澄が突然そんな声を出した。
「星羅ちゃんってパティシエ志望だったよね? こんなお菓子なんて興味ないんだ?」
「そ、そんなことは……」
『そんなことはないよ』と最後まで言えないのがもどかしかった。
あたしの言葉はいつでも自信をなくし、そして途中から消えてしまうのだった。
「あんたがパティシエ?」
マチコがそう呟くと、香澄の取り巻きたちが一斉に笑い始めた。
あたしは全身が熱くなり俯いてしまう。
「なにがおかしいの? 素敵な夢だね!」
香澄はただ1人、なにがおかしいのかわらないという表情を作ってあたしにほほ笑みかける。
その微笑みにはいつも通りの揶揄が含まれていて吐き気を催した。
「ごめんね。そんなすっごい星羅ちゃんにこんなクズみたいなお菓子をあげるなんて言っちゃって」
香澄はそう言うと、あたしの間の前でお菓子を握りつぶした。
原型を留めなくなったそれを香澄が床に投げつける。
あたしは呼吸を止めてその様子を見ていた。
どうしてそんなことをするんだろう。
あたしがすぐにお菓子を受け取らなかったのが悪かった?
それとも、香澄のとりまきにならなかったことが気にいらなかった?
どっちにしても、お菓子にはなんの関係もないことだった。
「なにしてるの?」
そんな声が聞こえてきて視線を向けると登校してきたコトハが立っていた。
コトハは険しい表情であたしを見ている。
「おはようコトハちゃん」
香澄はそう言い、コトハの髪の毛に指をはわせる。
コトハは一瞬顔をしかめたけれど、その手を振りはらうことはしなかった。
香澄が面倒な性格であることは、コトハも周知の上だ。
「あたしたち、別になにもしてないから」
香澄はそう言うと、飽きたようにあたしから離れて行ったのだった。
その後ろ姿を見送ったコトハが床に落ちたままのお菓子を拾い上げた。
小袋に入れられているそれは小さなカップケーキだ。
開店前から行列で並び、それでも昼前には完売してしまう有名店のものだ。
「もったいなことするね」
コトハは顔をしかめてそう呟くと、ゴミ箱へと移動した。
「ねぇコトハ、昨日のことなんだど」
あたしはコトハの背中を追い掛けて声をかけた。
「星羅の彼氏はあまりよくないと思うよ?」
「そうじゃなくて、あのアプリのこと」
あたしの言葉にコトハが一瞬明るい表情を浮かべた。
しかしそれはほんの一瞬の出来事で、次の瞬間にはまたいつものコトハに戻っていた。
まるで誰にも気が付かれてはいけないというような雰囲気を感じた。
「廊下で話をしようか」
コトハにそう言われて廊下へ出ようとした時だった。
「ねぇ、大丈夫だった?」
粘つくような声が聞こえてきてあたしとコトハは同時に立ち止まっていた。
「田村……」
そばに近づいてきていたのはクラスメートの田村だったのだ。
田村は身154センチで体重は100キロ近くある。
年中汗をかいていて、そばに加齢臭のような刺激臭がした。
あたしは思わず顔をしかめて、田村から一歩離れた。
「心配なんだよね、星羅ちゃんのことが」
田村は荒い呼吸を繰り返しながらあたしを見つめる。
田村に『星羅ちゃん』と馴れ馴れしく呼ばれたことで全身に鳥肌が立った。
生理的に受け付けない上に、あたしと田村が会話していると後から香澄たちにまたイジられるのだ。
香澄たちへと視線を移動させると、幸い今はお菓子に夢中になってくれている。
「ごめん、急いでるから」
そう言ってくれたのはコトハだった。
コトハはあたしの手を握り、田村から逃げるように教室を出たのだった。
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