第19話
☆☆☆
「その買い物、どうしたの?」
玄関を入った瞬間偶然トイレから出て来た母親に見つかってしまった。
しまった! と思うと同時に買い物袋を背中に隠す。
「安売りの服を買ってきただけ」
「そんなに沢山?」
「アウトレットのお店に行ったの。一枚500円とかだから、つい買いすぎちゃった」
学校の近くに最近できたアウトレットの店を思い出し、あたしは早口に言った。
あのお店ならとても安い商品が沢山並んでいることを、母親も知っていたからだ。
「あぁそうなの」
納得した母親は途端に興味を無くしたように頷き、リビングへと入って行く。
その後ろ姿を見て、あたしはホッと大きく息を吐きだした。
月5000円のお小遣いでこれだけの商品を購入したとバレたら、なにを言われるかわからない。
背中に回していた買い物袋をそっと前に持って来て、そのロゴを見つめた。
それは若者に人気のブランドで、安売りになっていたとしても一枚500円で購入できるようなものではなかった。
あたしは「ふふっ」と小さく笑って自室へと急いだのだった。
☆☆☆
それからのあたしはまるで天国にいるかのようだった。
学校生活は順調で邪魔者は誰もいない。
お金がほしくなれば香澄に命令して持って来させ、コトハと一緒に好きなだけ買い物をする。
あたしにとってはセレブ学生のような生活そのものだった。
「ねぇ、今日の掃除当番変わってくれない?」
そんな生活に水をさすようなことを言って来たのはマチコだった。
マチコとナツコの2人は香澄がいなくなってからも2人でつるんでいる。
「え?」
あたしは怪訝な顔をマチコへ向ける。
「なにその顔。香澄がいなくなって調子に乗ってるみたいだけど、あんたはクラスの底辺なの。それは変わらないんだけど?」
マチコはそう言うとあたしを見下ろした。
香澄がいなくなって数日。
マチコは今度は自分がクラストップになろうと企んでいるのかもしれない。
確かに、今まで言えばマチコとナツコの2人がトップになってもおかしくはなかった。
でも……あたしはもう、今までのあたしとは違うんだ。
「掃除くらい自分でやったら?」
席を立ち、視線を合わせてそう言った。
まさか言い返されるとは思っていなかったのだろう、一瞬マチコが驚いたように目を見開いた。
「なに生意気なこと言ってんの? 星羅のくせに!」
マチコがあたしの机を叩いて叫ぶ。
大きな声や音を出せば相手が言う事をきくと思い込んでいるのだろう。
昔のあたしならそれだけで十分に震えあがったころだろう。
「掃除もできないくせに、どうして偉そうな顔をしてるの?」
そう質問するとマチコの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
怒りで震えているのもわかった。
「星羅、調子乗ってんじゃねぇぞ!?」
そう言って近づいて来たのはナツコだ。
ナツコは目を吊り上げて、大股であたしの前までやってきた。
「調子に乗ってるのは自分たちじゃないの?」
「なんだとお前……!」
ナツコが右手を振り上げる。
咄嗟に目をつむってしまいそうになったが、拳が振り下ろされる前にナツコへ向かって突進していた。
そのままナツコの体に両手を巻き付けて抵抗する。
「なにすんだよ!」
ナツコが体のバランスを崩して転倒すると、あたしも同じように転倒した。
しかしナツコの体をキツク抱きしめたまま離さなかった。
香澄の取り巻きだった生徒たちはあたしたちの様子を呆然と見つめているだけで、なにも言ってこない。
もう香澄の時代は終わったのだ。
それと同時にマチコとナツコだって終わっているのだ。
「くそっ! 離せよ!」
ナツコがあたしの下で暴れて、マチコがあたしを引き離そうとする。
「マチコもナツコも、もうやめたら?」
静かな声が聞こえてきて視線を上げると、そこにはコトハが立っていた。
コトハは冷たい視線を2人に投げかけている。
「いい加減気が付なよ? 誰もあんたたちにはついて行ってないんだよ?」
コトハにそう言われ、ようやくナツコが教室内を見回した。
「みんな香澄がいたからついてきてただけ。もっと詳しく言うと、香澄のお金について行ってただけ」
あたしはナツコを見下ろしてそう言った。
そして、笑う。
本当に心の底からおかしかった。
これからクラストップになろうとしていたナツコの、愕然とした表情。
クラストップという夢がもろくも崩れ去った時の青ざめた顔。
「そうだ。そんなナツコとマチコに素敵な音楽を聴かせてあげる。気分が落ち着く音楽だよ」
あたしはそう言うと立ち上がり、スマホを取り出したのだった……。
マチコとナツコの2人の音楽を聴かせたあたちは、2人を自分の支配下に置いた。
あたしがトイレに立てば必ず2人がついてくる。
あたしが喉が渇いたと言えば、必ずどちからが飲み物を用意した。
そんなあたしたちを見てクラスメートたちは最初驚いていたけれど、一週間もすればそれは日常として受け入れられるようになっていた。
イジメられっ子が下剋上を果たしたと言うだけの、よくある話だった。
けれど、その日常が定着していくと、クラスメートたちの反応も変わり始める。
マチコとナツコの2人がどれだけクラスメートたちに大きな顔をしても、全く反応しなくなったのだ。
その代わり、あたしとコトハの2人に向けて愛想笑いを浮かべるようになった。
ことある度とにおやつを持って来て「食べてね」と言ってくる生徒もいる。
これが香澄が見ていた世界なのだと、すぐに気が付いた。
あたしもコトハも香澄のようにお金なんて持っていない。
それでも誰かがトップになれば、みんなその人に右習えするらしい。
「あ~あ、平和すぎて落ち着かない」
あたしは大あくびをしてそう言った。
香澄が学校にいた頃は多少の刺激があったけれど、今は全くないと言っても過言ではなかった。
毎日登校して、クラスメートにちやほやされて、家に戻って寝る。
ただそれだけのサイクルだ。
「贅沢だよ星羅」
コトハが呆れた顔でそう言った。
「そうかな? もうちょっと刺激的でもいいと思うけど」
「それなら部活とかバイトとかはじめたらいいじゃん」
「そういうのはめんどくさいんだよねぇ」
あたしはそう言ってもう1度欠伸をした。
「でも、家ではお菓子作りをしてるんでしょ? 家庭科部に入ればいいのに」
確かに、パティシエの夢を叶えるために毎日のようにお菓子作りや勉強に励んでいる。
でも、部活動に入れば否が応でも作りたくないものでも作らないといけなくなってしまうのだ。
「やだよ。家庭科部ってミシンとかも使うでしょ? そんなの興味ないもん」
あたしはコトハの提案をそう言って突っぱねた。
その時、教室から出ていく大きな体が見えた。
田村だ。
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