第14話
☆☆☆
「引きこもりの彼女じゃん」
移動教室で廊下を歩いている時のことだった。
そんな声が聞こえてきて、あたしは反射的に振り向いていた。
しかし、そこには誰もいない。
でも確かに聞こえて来た。
『引きこもりの彼女じゃん』と……。
きっとまた香澄たちの仕業だろう。
どこかに隠れてあたしの反応を見ているに違いない。
それなら無視するまでだった。
あたしは早足で教室へと向かった。
他の生徒たちをかき分けて、聞こえて来た声から逃げるように足を進める。
そして渡り廊下に差し掛かった時だった。
不意に肩を掴まれて悲鳴を上げそうになっていた。
振り向くとそこには会話もしたことのないクラスメートの男子が2人立っていた。
「な、なに……?」
名前は確か、明智君と三好君だ。
その顔を見た瞬間あたしは咄嗟に身構えていた。
2人とも制服を着崩し派手なピアスをつけている。
クラス内で仲がいいのは香澄だ。
「ちょっと話あんだけど」
金髪の明智君がそう言ってあたしの腕を掴んで来た。
その力は容赦なく、ギリギリと肉に食い込んでくる。
あたしは顔をしかめて痛みに耐えた。
「話って……?」
この2人にはついて行かない方がいいと、脳内で警告が鳴り響く。
しかし、これだけ強く掴まれたんじゃ逃げようがない。
あたしは掴まれていないほうの左手でスカートのポケットからスマホを取り出した。
とにかく誰かに連絡しよう。
そう思ったのに……赤毛の三好君が当然のようにあたしのスマホを取り上げたのだ。
その瞬間自分の顔がサッと青ざめるのが自分でも理解できた。
全身から血の気が退いて行って冷たくなるのを感じる。
こんな時に限って渡り廊下を歩く生徒はいなくて、助けを求める相手がいない。
あたしはなにも言えないまま、2人に引きずられるようにして歩き出したのだった。
近くの多目的トイレに連れ込まれたタイミングで授業開始のチャイムが鳴り始める。
「こんなところで……なんの用事?」
あたしは早鐘を打つ自分の心音を聞きながらそう聞いた。
背中に冷たい汗が行く筋も流れて行く。
「彼氏とどんなことしてるのか教えてもらおうと思ってさ」
三好君がそう言い、ニヤリと笑った。
その後ろでは明智君が制服の上着を脱いでいる。
後ろへ下がろうとしても、狭いトイレの中では身動きもできないも同然だった。
三好君の手があたしに伸びて来る。
触れられそうになった瞬間、咄嗟にその手を払いのけていた。
「いってぇな!」
途端に怒鳴り声を上げ、目を吊り上げる三好君。
喧嘩馴れしているのか、その声も表情も嫌というほど迫力があった。
三好君の怒鳴り声であたしの心は完全に縮み上がってしまった。
なにも反論することができず、その場にズルズルとしゃがみ込んで、恐怖の眼差しを2人へ投げかけることしかできない。
さっきから無言を貫いている明智君があたしの前髪に触れて、かき上げた。
暴力的な手ではなかったが、それでもあたしの歯はかみ合わなくなるほどの恐怖を感じた。
「なんだ、お前って結構可愛いじゃん」
明智君があたしの顔をマジマジと見つめてそう言った。
「本当だな。ほとんど興味なくて見てなかった」
三好君がそう言い、おかしそうな笑い声を上げる。
あたしに興味がないのに、どうして突然こんなことを思い立ったんだろう?
考えつくのはただ一つ、香澄の存在だった。
香澄はあたしの彼氏が海だと知ったときから妙に絡んでくるようになった。
きっとこの二人も香澄からなにか吹き込まれたに違いない。
あたしはどうにか体を震えを押し込めて2人を見た。
「か……香澄になにか言われたの?」
途中で言葉が止まってしまわないよう、早口にそう聞いた。
「よくわかったな」
三好君が驚いた表情になってそう言った。
やっぱり、香澄が絡んでいるみたいだ。
「そりゃわかるだろ。こんなことさせるなんて香澄しかいねぇよ」
明智君はそう言うとズボンのポケットからタバコを取り出して、馴れた手つきで火をつけた。
紫煙がゆっくりと天井へ登っていく。
あたしはそれを視線で追いかけた。
煙は天井付近で止まり、それが火災報知器に触れるのが見えた。
視線を戻し、ジッと明智君を見つめる。
「俺も一本くれ」
三好君が明智君へ向けてそう言い、タバコを受け取る。
2本分のタバコの煙が天井へ向けて登っていく。
喉の奥に苦い香りが張り付いて吐き気を感じた。
「運が悪かったなぁお前も。香澄の初恋の相手と付き合うなんてなぁ」
三好君の言葉にあたしは「えっ」と声を漏らしていた。
次の瞬間。
突然大きなベルの音が鳴り響き、スプリンクラーからシャワーのように水が噴き出していた。
「うわっ!」
「なんだ!?」
2人が慌てはじめたタイミングで勢いよく立ち上がり、あたしは多目的トイレから飛び出したのだった。
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