第9話
☆☆☆
3階の女子トイレの中には誰の姿もなくて、ちょうど話がしやすかった。
「この子ね、こんな見た目と雰囲気でしょう? だから学校でもなかなか打ち解けないんだよね」
コトハが困ったように眉を下げて言う。
あたしは素直に頷いた。
それはそうだろう。
ユズは誰がどう見てもとっつきにくい雰囲気と見た目をしている。
「せめて前髪は切ればいいのに」
コトハにそう言われても、ユズは左右に首をふるだけだ。
ユズと出会ってから数分経っているが、あたしはまだユズの声を聞いていないことに気が付いた。
コトハはため息を吐きだし、制服の胸ポケットからヘアピンを取り出してユズの前髪をまとめてやった。
顔がハッキリ見えるようになると、少しだけ印象が変わる。
ユズは整った顔をしていて、笑顔になればきっと可愛いだろう。
「ユズは友達が欲しいんだよね?」
コトハの言葉にユズはゆっくりと頷いた。
その態度には驚いた。
人を寄せ付けない雰囲気はわざと出していたものではなかったようだ。
「でも、どうすればいいかわからない。だからずっと1人なんだよ」
コトハはあたしに説明するように言ってくれた。
あたしだってクラス内では地味で目立たないし、言いたいことはなかなか口から出て来てくれない。
だから人のことなんて言えないのだけれど、ユズほどではないと思っている。
「だから、ね? 星羅」
突然名前を呼ばれて我に返った。
「え?」
「ほら、さっきのアプリ」
コトハは目を輝かせて言った。
「あっ!」
そうか、ユズに使ってみようと言っているのだ。
これだけ暗い女の子でも友達が欲しいのだ。
それなら、手伝ってあげればいい!
悪い事に使うわけではないので、あたしの中から一瞬にして罪悪感が消え失せていた。
もしもこのアプリが本物なら、今日からこの子は人生を帰ることができるだろう。
劇的に変化しなくてもいい。
少しでも役に立てたらそれでいい。
そんな思いで、あたしは音楽を流し始めたのだった……。
☆☆☆
「あははっ! コトハってばおもしろぉい!」
数分後、トイレにこだまする笑い声にあたしが唖然としていた。
さっきまで地味で笑顔なんてひとつも見せなかったユズが、今はコトハの話にお腹を抱えて笑っているのだ。
どこからそんな声が出るのだろうと疑問になるほど、大きな声を出している。
「あ、もうホームルーム始まっちゃうじゃん! 2人も遅刻しないようにね!」
すっかり人格が変わってしまったユズは元気よくそう言うと、あたしたちに手を振ってトイレを出て行ってしまった。
あたしはその後ろ姿を呆然として見送る。
「ほらね! すごいでしょ!」
そう言うコトハも興奮しているようで、頬が赤くなっている。
49 / 202
まさかここまでの効果があるとは思っていなかったのだろう。
ユズには『明るい性格になる』と伝えたのだけれど、あまりの激変ぶりに驚いてしまった。
「これってコトハが根回ししたわけじゃないよね?」
違うと知りながらも、そう聞かずにはいられなかった。
だって、音楽であそこまで人格が変わるなんてありえない。
少し気分が良くなったり落ち着いたりすることはあるけれど、ユズの場合はまるで別人になったのだ。
「そんなワケないでしょ? 疑うなら1年生の子に聞いてみるといいよ」
そう言われて、これは冗談でも嘘でもないのだと確信した。
このアプリは本物だ……。
次のデートは土曜日だった。
いつものように出かける準備をして家を出る。
向かう先は海の家だ。
普段からほとんど外へ出ない海は、外で約束することを嫌う。
働いていないという引け目もあるのか、近所の人に見られるのが嫌みたいだ。
あたしは早まる鼓動を押さえつつ、海の家へと急いだ。
前回のデートの出来事を思い出す暗い気分になるが、今のあたしには『人格強制メロディが』ついている。
これさえあれば、海はきっと優しい人になってくれる。
このアプリを使って以来、田村はあたしに声をかけることがなくなっていた、
それはまるで別人のようで、あたしが目の前を通ろうが横を通り過ぎようが、田村の視界に入っていない様子なのだ。
もっとすごいのは1年生のユズだ。
一見しただけで暗澹たる気分にさせられたあの子が、クラスの中心に立ってみんなを笑わせている姿を目撃していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます