第8話

これで音楽は聞かせたことになるから、今度はどんな人格になってほしいかと相手に伝えるんだっけ?



あたしは恐る恐る田村の顔を見つめた。



今の田村はなにを考えているのか全く分からない、目の色さえ失ってしまっているように見えて、一瞬寒気を感じた。



軽く身震いをしてから、ゆっくりと言葉を探す。



「あんたは……あたしに興味を無くす」



あたしが言葉を切った瞬間、田村が我に返ったように息を飲み、そして目を見開いてあたしを見つめた。



あたしは固唾を飲んで田村を見返す。



普段、この至近距離にいれば田村は必ずなにかしら声をかけてくる。



あたしが田村の目の前を横切った時、偶然廊下ですれ違った時、それは毎日のルーティーンのように繰り替えされていた。



それなのに……。



田村は何度か瞬きをしてあたしを見つめた後、どうして自分がここに立っているのかわからない、という様子で首を傾げ、そのままあたしに背を向けたのだ。



なにも言わず遠ざかっていく田村の背中。



その背中を呆然として見つめていると、影から様子を伺っていたコトハがすぐに飛んできた。



「すごい、目の前に星羅がいるのになにも言わずに行っちゃったよ!」



コトハは興奮気味にそう言い、飛び跳ねて喜んでいる。



確かに珍しい。



でも本当にアプリの効果なのかどうか気がかりだった。



田村はあたしの言葉を聞いてショックで何も言えなくなっただけじゃないだろうか?



あたしは半信半疑で首を傾げる。



「これだけじゃ判断できないよ」



「そう?」



コトハにとっては十分な検証に見えたようだ。



「それならもっと他の子にも使ってみようよ!」



コトハは目を輝かせて言った。



「他の子って言われても……」



田村のように気味の悪い生徒がそういるわけじゃない。



香澄やそのとりまきたちの人格を変えることができればそれは嬉しいけれど、このアプリが偽物だったら、音楽を聴かせた後ややこしいことになってしまう。



考え悩んでいると、コトハがなにか思いついたように「あっ!」と声を上げた。



視線を向けるといたずらっ子みたいな不敵な笑みを浮かべている。



「別に、相手の性格を悪くする必要はないんだから、そんなに悩まなくていいんじゃない?」



コトハにそう言われて、あたしは頷く。



確かに、人格を悪い方へ変える必要はないと思うけれど、このアプリが本物なら相手の言動が変化してしまうことは確かなのだ。



「丁度いい相手がいるの!」



コトハはそう言うと、あたしの手を握りしめて急に走りだしたのだった。


☆☆☆


コトハからなんの説明も聞かずにつれて来られた先は1年生の教室が並ぶ3階だった。



「ちょっと、こんなところになにしに来たの?」



「言ったでしょ? 丁度いい子がいるって」



コトハは同じ説明を繰り返して1年A組の教室へ顔をのぞかせた。



普段見慣れない先輩2人が来たことでクラス内は一瞬静まり返った。



若干の申し訳なさを感じていると、教室の一番の前の席で文庫本を開いている女子生徒に視線が向かった。



その光景自体は別に珍しくないけれど、女子生徒がまとっている雰囲気に目を奪われたのだ。



ただ文庫本を読んでいるわけじゃない。



猫背で丸まった背中はこの世のすべての不幸を背負っているかのように、暗澹とした空気に包み込まれているのだ。



誰にも話しかけられず誰とも仲良くせず、ただ1人の世界に入り込んでいる。



稀に、こういう雰囲気の子はいる。



でもこの子は特別に暗い雰囲気を持っている子だ。



ジッと見つめているだけでも、こちらの心が重たく沈んで行ってしまいそうな気がする。



するとコトハが躊躇することなくその子へ向かって歩き出したのだ。



あたしは慌ててコトハの後を追い掛ける。



「やっほーユズ。今日はどんな本を読んでるの?」



馴れたように声をかけてユズ、と呼んだ子の肩に手を置く。



その瞬間、ユズはビクリと体を跳ねさせてコトハから避けるように立ち上がっていた。



「ちょっとユズ、あたしだよ?」



長く伸びた前髪の間からコトハの顔を確認すると、ユズは安堵したように息を吐き、そして元通り席に座った。



どうやら、あたしたちがここへ来たことにも気が付いていなかったようだ。



「この子はあたしの幼馴染の相川ユズ。こっちはクラスメートの星羅だよ。ユズ、聞いてる?」



コトハが紹介してくれている間も、ユズはジッと文庫本に視線を落としたままだ。



そんなに熱心になにを読んでいるのだろうと思い、少し場所を移動して表紙を確認した。



『呪いの実技編』



そう書かれた表紙にあたしは寒気を感じて身震いをした。



まさかこの子、本当に実践するつもりじゃないよね?



呪いなんてありえないと考えながらも、あたしはマジマジとユズの顔を見てしまった。



ギョロリと大きく見開かれた目は文庫の文字を追い掛けて上下に激しく動き、あまり眠っていないのか目の下にはクマがくっきりと浮かんできていた。



充血した白目は真っ赤に燃えていて、咄嗟にユズから視線を逸らせた。



見てはいけないものを見てしまった気分で、苦い物を飲み込んだ後のような気分の悪いさを感じた。



「ユズ、ちょっと話があるんだけどいい?」



それでもコトハはいつもの口調で声をかける。



するとユズはようやく文庫本から視線を上げた。



コトハはユズの血走った目を怖がる素振りも見せず、ユズをつれて教室を出たのだった。

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