人格矯正メロディ

西羽咲 花月

第1話

「あたし、将来はパテェシエになりたいんだよね」



それはよく晴れた午後の部屋の中だった。



梅雨入り前の日差しはまだ柔らかく、ともすれば眠ってしまいそうな心地の良さだった。



大好きな彼氏の部屋にお邪魔して、24インチのテレビでお笑い番組を見ているところだった。



番組中に世界的に有名なパティシエールが登場したのを見て、あたしは思わず自分の夢を口走っていた。



「はぁ?」



スマホから顔を上げた彼氏が怪訝そうにこちらへ顔を向ける。



彼の肩にかかりそうな金髪が、窓から差し込んでくる日差しを浴びてキラキラと輝いていた。



「この人みたいに世界的に有名になりたいの」



彼の機嫌が微かに変化したことなんて気が付かず、あたしは言葉を続けた。



次の、瞬間……。



パンッ! と、肌を打つ音と自分の右頬に衝撃を受けたのが同時だった。



しかしあたし自身はなにが起こったのか理解できず、呆然として彼を見つめるばかりだ。



「お前なんかがそんなもんになれるワケねぇだろ!」



彼の吐き捨てるような言葉に我に返る。



どうやら殴られたらしい右頬がジワジワと熱を帯び、ピリピリとした痛みが襲って来た。



手のひらで殴られた頬に触れてみると、他の部位よりも熱っぽい。



なにも言えないままのあたしを無視し、彼は乱暴にテレビの電源を落とした。



そして再びスマホ画面に視線を落とす。



まるで、つい数十秒前にあたしを殴ったことなんて忘れてしまったみたいに、それはいつもの彼の定位置だった。



なにが彼の機嫌を損ねる要因となってしまったのか、あたしはしばらく1人逡巡した。



今日は土曜日で学校が休みで、あたしは朝から彼、窪村海(クボムラ ウミ)の家に遊びに来ていた。



コンビニで買って来たお菓子やパンを一緒に食べて、テレビを見ていた。



ただ、それだけの日常の一コマだったはずなのに……。



あたしは横目で海を見た。



海は最近流行りの動画を見ていて時折口もとに笑みを浮かべる以外、特に表情を変えることもない。



あたしはそっと海の隣に座り、スマホ画面を確認してみた。



画面上では人気動画配信者たちがおもしろい企画をしている。



「なに見てんだよ」



スマホから顔を上げた海に睨まれて、あたしは「ご、ごめん」と、咄嗟に謝っていた。



そしてわずかに海から離れる。



海に殴られた右頬は今でも熱く、痛みを伴っている。



放置していて大丈夫だろうか?



不安になり、バッグから手鏡を取り出して確認した。



思ったよりも強く殴られたようで、微かに腫れてきているのが確認できた。



小さくため息を吐きだした、その時。



鏡の中に映るあたしの後ろに海の姿が見えた。



海はジッとこちらを見つめている。



その表情はとても冷たくて、見ているだけで凍り付いてしまいそうな寒気を感じた。



咄嗟に手鏡を下ろして振り向く。



同時に海と視線がぶつかった。



人を射抜くような鋭い視線に思わず悲鳴を上げていた。



「ど、動画、終わったの?」



自分でも情けないくらいに声が震えていた。



海は自分の彼氏なのに、いつからこんな風に怯えるようになってしまったんだろう。



「嫌味か?」



「え?」



あたしは海の言葉に首を傾げた。



本当に、なんのことを言っているのか皆目見当がつかなかった。



しかし、海はどうやらあたしに怒っているようで、スマホを置いてジリジリと近づいて来た。



身長180センチの海に見おろされるとそれだけで威圧感で押しつぶされてしまいそうだった。



あたしは必死に笑顔を貼りつかせて海を見上げた。



「ど、どうしたの?」



「嫌味かって聞いてんだよ! 俺が無職だから、わざと自分の夢の話なんかしたんだろ!」



怒鳴られた瞬間自分の体がギュッと凝縮するのを感じた。

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