第21話 死閃
第四軍団の王奴たちが、しずかに進み出て横に広がる。
つけいる隙のない戦闘態勢。
「エヴレム・カンはいうそうだ。『生とは死との対峙なり』」
敵の隊列の真ん中、おそらくこの場の指揮官らしき王奴が、覆面の下から低い声をだす。
両の腰から、しゃらりと双剣を抜きながら。
「『生者に
スッカルは抑えた声で、横の部下カラトにいう。
「大剣をよこせ」
アリーチェから奪った得物。それとベニャ某から奪った鎚矛。
カラトに持たせているその二本だけが、こちらがわの武器。
対して向こう側は、十本以上の剣が灯火を反射し、暗い地下墓地にきらめきを乱舞させている。
相手の正確な人数はわからない。上にはまだまだいるだろう。
“ちっ”
スッカルの背に冷たい汗が流れる。
この敵は雑魚の群れではない。
百戦錬磨の王奴の部隊だ。
スッカルはすばやくこの場の選択肢を検討する。
第一の選択肢。降伏――助かるわけがない。戦の最中の私闘は明らかに軍規違反だが、あっちはすでにジューグンダールの名を出した。つまり生かして帰さず、絶対にここで殺して口封じする気だ。
第二の選択肢。戦闘――自分とシャオフーとカラトとジッリーの豹隊四人で、三倍に迫る数の王奴に勝てるかというとさすがに苦しい。しかもこちらのふたりは丸腰。
第三の選択肢。逃走――取って返してシキリーヤ人たちにいる王宮へと走る。あっちはあっちで殺そうと襲いかかってくるだろうが、そこで第四軍団の王奴たちと鉢合わせさせれば……あとは混乱のなかで死中に活を望むしかない。
いちばん死ぬのが遅くなりそうのは最後。
大剣を受け取りながら、スッカルは後ろのアリーチェに意識を向ける。
“もうこいつは解き放って自分で走らせるほうがいいな”
「おい、逃がしてやる。いまから全力でおまえのお仲間のところに駆け戻るぞ」
彼女に顔を向ける。アリーチェは急にいわれた言葉に戸惑った様子だ。
「縄を切る。動くな」
そういいながら大剣の柄をにぎりしめたとき、とつぜんスッカルの脳裏にひらめくものがある。
第四の選択肢。脅迫。
「……悪い。逃がすのはやっぱりなしだ」
え、え、と困惑の声を洩らしているアリーチェに対し、スッカルは大剣をかかげる。
快風のごとく、斬撃一閃。
「ひっ、……あ……きゃああああ!!?」
剣先は、腰を縛る縄とシャツの前をきれいに断つ。
少女の肌には傷一つなく、その純白の胸元が衆目にさらされる。バナナの皮が裂けて白い果肉がとびだすような艶めかしさ。
禍々しいグール腫もまたあらわになる。
雪色の乳房の間で邪眼がぎょろぎょろ動く。
アリーチェは自由になった手でとっさに胸を隠そうとする。その細い両手首を、スッカルは大きな手のひらでひとまとめにがっしりとつかむ。吊り下げる。
「グール腫を隠すな」
「ちがっ、胸が、ちょっ、これ私の胸が全部見え……!」
「どうする、ジューグンダールの犬ども」
真っ赤になって宙で脚をばたばたさせるアリーチェにとりあわず、スッカルは敵に向けて冷笑する。
「おれたちに近づけばおまえらも感染するぞ。そうなったらジューグンダールがおまえらを処分することにためらいを抱くと思うか? ……いや、『感染の可能性あり』だけでじゅうぶんだな。あいつの性質くらいおまえらも知っているだろうが」
その呼びかけに、第四軍団の王奴たちは無言。
ただし、動揺はしたようだった。一歩二歩とそろそろ下がったから。
「さあどうする? 死にたくなけりゃこの場からさっさと失せるのをすすめるぞ」
「これ、助かっても上の人に処分されるの俺たちも同じじゃない?」ジッリーがこそこそカラトに囁いている。
“うるせえ、あとのことはあとで切り抜けるしかねえだろ”
敵の指揮官、双剣の王奴は少し黙っていた。
それから、天井の出入り口をあおぎ、
「弓を落とせ。離れて仕留める」
「あっこの野郎。これだから王奴はいやなんだ、汚い手をすぐ使いやがる」
毒づくスッカルに向けられる部下たちの目が心なしか冷たい。
「よし、退避!」
スッカルは命じてアリーチェの小さな体を下ろす。とたんに涙目のアリーチェがかれに殴りかかった。ひょいとそれを小脇に抱えて横坑に飛び込む。
「このクズ! このクズ! このクズ! このク……」
抱えられたアリーチェが叫びながらじたばたもがく。
「静かにしろ。さっきの王奴たちが声をたどって来たらおまえも殺されるぜ」
スッカルが注意すると少女は黙ったが、抱えられた姿勢からかれの腹にぼすぼすとこぶしを叩き込んでいる。
したいようにさせておきながらスッカルは「結局、逃走を選ぶことになったな」とつぶやく。
“ま、脅したのは無駄ではないはずだ”
グール腫に感染する危険を思えば、敵は追跡に熱心にはならないだろう。少なくとも肉薄はためらうはずだ、おおいに。
という見通しが甘かったことは、すぐ気付かされた。
三叉路まで戻った時、背後から獣の吠え声。
ジッリーがこわばった顔で吐き捨てる。
「うっそだろ。あいつら奴犬まで放ちやがった。どれだけこっちを殺したいんだ」
奴犬。
王奴の使う軍用犬だ。
その役割は追跡し、取り巻いて吠え、咬み、王奴がくるまで足止めすること。通常の猟犬とさほど異なるところはない。
ただ一点において違うのは――奴犬はつねに人を追う。
訓練では罪人を追いかけさせられる。餌にはしばしば人の肉を与えられる。戦の前には飢えさせられ、追撃戦において解き放たれる。
追われる者にとっては、冥府から出てきた怪物にことならない。
やむなくスッカルはアリーチェを下ろす。
「犬が来る。走れ」
「ど、どこへ走れというのであるか!」
「寝ぼけるな。おまえの親父、シキリーヤ王のもとにだよ。王女なんだろ?」
「……うん」
「いっとくが遅れても拾わん。必死でついてこい」
“王宮はまだ陥落してないはずだ”
スッカルは打開策を巡らせる。
生き延びるためにはとにかく、第四軍団以外の人間がいるところにいかねばならない。
逃げてきた王宮に戻り、そこを突破して市外に出、第九軍団と接触する。
第九軍団を率いるウクタミシュ・ベイは、目障りな競争相手であるジューグンダール・ベイをこの件で非難し、証人としてスッカルたちを保護してくれる――はずだ。
超人的な無茶をなしとげ、最後は希望的観測にすがるしかない状況。
それでもほかに手がなさそうだった。
スッカルたちは走り出す。
あいにく、逃げ切るには無理があった。
通路は闇にとざされ、たいまつの弱い明かりだけでは足元が心もとない。
そのなかでの全速疾駆はどうしても負担が大きい。
訓練を受けた豹隊の面々についていけず、当然ながらアリーチェが遅れる。気丈にも弱音を吐かず助けを求めない。が、激しいあえぎで彼女の限界をスッカルは知る。
奴犬の吠え声。さっきより遥かに近い。
曲がり角を越したとき、とうとうアリーチェの悲鳴が豹隊の背に届く。倒れる音と、猛る複数の犬の気配も。
スッカルは緊急停止する。
「スッカル!」
きびすを返したかれに、放っておけと言外ににじませてシャオフーが叫ぶ。
「おまえらは行け」怒鳴ってスッカルは通路を引き返す。
打算が半分。王宮に駆け戻ったとき王女がいるといないとでは、シキリーヤ人からの待遇が違うだろう。
もう半分は、責任感。年端もいかない少女への。
人質にして連れてきたのはかれだから。
“急いで始末をつけなければ”
たいまつを持ったジッリーが離れるほど完全な闇になる。
闇の中では人は獣に勝てない。
“そうなる前に奴犬をぜんぶ殺すか追い散らす”
横に倒れて丸まり、頭をかばうアリーチェに、六頭もの奴犬が攻撃をしかけている。狼ほどの体躯。
スッカルは踏み込んで大剣をふるう。一頭の背骨を叩き折る。
飛びかかってきた二頭目のはらわたを返す刀でぶちまける。
三頭目を蹴り上げて通路の天井に叩きつける。天井に
残り三頭は突っ込んでこない。
だが逃げてはいかず、戦意も失わない。スッカルとアリーチェをとりまいて一定の距離をたもち、いつでも隙をみて攻撃にうつる構え。
足止めに徹している。
王奴のようにしたたかな獣。
うなる奴犬たちににらみをきかせながらスッカルは叱咤する。
「アリーチェ、立て!」
ふらつきながらアリーチェが身を起こそうとする。
すかさず奴犬がとびかかる――その頭が横殴りに砕かれる。
カラトの手にした鎚矛で。
「くそったれ! さっさと行くぞ、スッカル!」ジッリーがたいまつを振ってわめき、シャオフーがアリーチェを助け起こそうとする。
豹隊の三人も結局、足を止めて戻ってきていた。
だが、奴犬の足止めの役割はすでに存分に果たされている。
曲がり角の向こう側に明かり。
とみた瞬間に、第四軍団の王奴たちが飛び出してくる。
敵の斉射。
出会い頭に、すさまじい反応速度で。
至近距離からの矢だが、豹隊の面々もかろうじて対応――致命傷を回避する。ジッリーは右腕を射抜かせて矢を止め、カラトとシャオフーは身をよじってすれすれでかわし、スッカルは大剣を盾にして弾く――
しかし、その矢の弾幕そのものが目くらまし。
まさにその一刹那、敵の先頭にいた王奴が、転がるように豹隊のふところに入っている。
双剣。
斬撃。
宙に乱れ舞う死閃。
カラトとシャオフーがあっと叫び、それぞれ首と横腹を押さえて横によろめく。
スッカルの大剣のみ、双剣と噛み合ってはね返している。
「ほう、いまの二段構えの不意討ちで討てなかった男は初めてだ。グール腫に感染する危険を冒して突っ込んだ甲斐はあった。嬉しいぞ」
双剣の王奴が、すばやくとびすさる。
軽やかに歩を刻んでふたたび間合いをはかりながら、
「〈王奴殺し〉だったか、スッカル? 貴様の仰々しい二つ名、あながち虚名というわけでもないな。私は第四軍団の
だが私は任務を優先せねばならぬ。確実を期すために一対一にはこだわらぬ。
だから、唯一の神に祈りをすませろ。貴様らは残り三人。貴様以外のひとりは手負いで、ひとりは女子供だ。
ここで終わりだ。死ぬがよい」
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