第16話 殺生巧者2


 タン、タン、タタタン。タン、タン、タタタン。

 砂漠を太鼓ダラブッカの音がどよもしている。


  われわれは鋼、われわれは犬

  われわれは刃、われわれは牙


 敵味方の投石機マンジャニークが、城の内外からひっきりなしに岩の弾や焼夷弾を投げあっている。

 特別な軍衣を着たライムーンは砂丘に立つ。そのふもとで、隊列を組んだほかの王奴たちが、盾をかかげて吟唱している。

 それは王奴に、みずからが何者かつねに思い出させるための言葉だ。戦う奴隷として買い取られたその日から、すべての王奴に叩きこまれる。


 ライムーンは吟唱に加わっていない。

 それでも、彼女も王奴だ。

 褐色の肌の、ずばぬけた美しさのジンの娘。

 彼女はこれから攻める城壁を前にして、槍を手にしたまま臨戦態勢にある。肩をほぐすため、槍を左右の手に持ち替えてくるくる回す。完璧に均整のとれた胴体のまわりをめぐらせながら。

 きびきびとした武人の動き。

 にもかかわらず身ごなしから匂いたつ、魔性のもののうるわしさ。


  主人あるじのため斬り、主人のため狩る

  主人のお望みあらば素手で獅子を討ち取り

  主人のおんためならばみどりごを絞め殺す


 ライムーンは両手で持った槍を首のうしろに当て、ぐっと全身でのけぞる。

 猫のように柔軟な背がうしろへ弓なりにしなる。見事に実った胸が、軍衣の前部をきつく張りつめさせる。彼女の軍衣は妖美な体の線を浮かせている。体にぴったり合う仕様でこそ、ジンの敏捷性を最大限に活かせるから。


  わが魂は神のもの、わが身は王のもの

  かしずき、奉仕し、服従するがほま

  われらは奴隷なり、所有される者らママーリクなり


 歌が荘厳な響きのうちに終わり、太鼓に合わせて王奴たちが進みはじめる。

 敵の矢がふりそそぐ城壁の下へ向けて、盾を頭上にかまえながら。

 移動できる攻城やぐら“ブルジー”や、矢をふせぐ屋根のついた“小屋ダッバーダ”といった攻城兵器も、がらがらと移動しはじめる。


 ライムーンはかれらとともには動かない。

 単純な話で、所属が違う。攻撃にうつる部隊はジューグンダール・ベイの第四軍団。ライムーンはウクタミシュ・ベイ傘下第九軍団の一隊、通称“豹”ファハド隊の指揮官だ。

 聖都から目を離さないライムーンに、背後から声がかけられる。


「もどかしそうだな、ライムーン」


 馬に乗り、騎兵に囲まれた少壮の将である。狼を思わせる頬の削ぎたった面長の顔。

 大アミールにして東方総督、ウクタミシュ・ベイ。


 しかしこのときのライムーンはひざまずかない。ふりむきすらせず城を見ている。

 戦場でさえなければそれは罰されて当然の非礼だ。ウクタミシュは王とともにミスル国を牛耳る、十二人の大アミールのひとりなのだから。

 つねならばライムーンも礼儀を尽くすが……


「ウクタミシュ閣下。もうぼくを行かせてください。あの城に」


 ライムーンは冷たく静かな声で許可を求める。聞くものが聞けばおののくであろう、煮えたぎる内心を抑えた声。

 準備運動は、待機中せめて体を動かしていないと暴発しそうだからやっていただけだ。


「聖都のなかにぼくの部下たちがいます。そしてスッカルの愚か者が」


「愚か者か」


「愚かです。あれ以上に甘い王奴を見たことがない」


 ウクタミシュ・ベイは彼女と同じように冷えた目を、前方の城壁にそそぐ。


「ライムーン、おまえが本当に罵りたい相手は、おまえの乳きょうだいではあるまい。愚かなことだと私も思う、和平交渉に味方を送ったあとで攻撃を命じるなどとは。言っておくが、この総攻撃に私は関与しておらぬ。

 これはジューグンダール・ベイの決定だ」


 ウクタミシュ・ベイとジューグンダール・ベイの対立は知らぬ者がいない。かれらは両者ともに「ベイ」の称号を持つ大アミールだ。王奴たちの頂点に君臨し、次代のミスルの王位を争っている。

 かれらふたりが率いるこの遠征軍の陣中でも、たがいに功を競っていた。

 より正確には、ジューグンダールがウクタミシュに追いつこうとしている。


「ジューグンダールは野心的な若者だ。かれは私の東方総督の地位を欲しがり、私を蹴落としたがっている。

 今回、私が送りこんだ和平交渉の使者が話をまとめて帰ってきたら、かれにはいいところがなにもない。だから交渉そのものを土壇場でつぶしにきたのだよ。われら同僚をだしぬき、異教徒が占拠したアル・クドゥスの都を自分こそが攻め落とすためにな」


「閣下」


「焦るな。もうすこし機が熟するのを待て。そら、“塔”のひとつが城壁に達しそうだ……が、異教徒どもの反撃が猛烈だな。見てみろ、放っておけばあれは敵に壊されるだろう、火矢か投石機の弾でな」


 つくづくくだらない戦だとウクタミシュはいう。


「交渉によらないならば、城はじっくり攻めるべきものだ。坑道を掘って地下から壁を崩すか、がっちり包囲して飢えに苦しませるか。

 今回は急いでいるから、こうするのもしかたがないが……

 まあよい。わが第九軍団の損失は少なくすませる。犠牲の大部分は、ジューグンダール・ベイの第四軍団に押しつけてやろう。

 さて、交渉をつぶす口実として、ジューグンダールはおまえが話した『隠し通路』の存在をもちだしてきた。

 それをもって異教徒どもは包囲から脱出し、要人をアスカロンの港まで急行させて逃がすつもりなのだと。見せかけの和平交渉で時間を稼いでいるあいだにな。ジューグンダールはあつかましくも私とおまえを非難してきた。見えすいた異教徒の思惑にまんまとだまされるところだったのだぞ、と」


“ジューグンダールにいつか返す借りがまたひとつ増えた”


 ライムーンはその危険な内心を口にはしなかった。

 ただ答えた。


「城内から砂漠に通じる秘密通路を、そもそも異教徒どもが見つけているのかどうか。

 かれらは聖都を調べ尽くしながら攻め落としたのではありません。ジン族の国が滅びたあとの聖都にやってきて、空城となっていたあの市街を占拠しただけです」


「その秘密通路の出口が発見できないことについても、ジューグンダールはおまえを責めている。おまえが故国の情報をわれらに隠しているのではないかと」


 ウクタミシュ・ベイは手を振った。


「もちろん、私は否定した……おまえやスッカルはあの城から逃げた当時、十歳だった。そしてどこかの岩山につながった出口は、ほとんど砂に埋まっていたのだろう? いまや外側から見つけられなくなっているのは無理もない。

 しかしジューグンダールにとっては、筋が通っていようがいまいがどうでもよいのだよ。われわれの派閥に難癖をつけられればそれでよいのだ。

 われらが王からあずかった遠征軍が敵前で分裂するなどあってはならぬ。

 私は国家のためを考えて、やつの総攻撃開始の要求を認めざるをえなかった。もちろん、遠征が終われば王にこのことは述べるが……ジューグンダールのために無血の勝利を逃し、流血の勝利を選ぶことになったのだと」


 温かさのかけらもなくウクタミシュ・ベイはいう。

 嘘だ、とライムーンはいわない。あなたは間違いなく最初からジューグンダールの暴発を計算していただろう、とはいわない。だからこそスッカルを――現場判断の能力に優れているが、軍にとってはいくらでも代えがきく、帰参した叛逆者にすぎないかれを――使者として行かせたに違いない、とはいわない。

 こうなっては婢は全力で戦わざるをえない、それもあなたの計算のうちなのだろうとはいわない。

 ただ彼女は槍をひそかに強くにぎる。

 はたしてウクタミシュはいった。


「いっておくが戦闘となっても、私はジューグンダールに攻城の主導権をにぎらせてやるつもりはない。

 わが第九軍団にはライムーン、おまえがいる。王奴中で最高の突撃手がな。

 この総攻撃では、ジューグンダールの兵ではなくわが兵が一番乗りの功をあげることになるだろう」


 ふたりの目線の先では、いくつか壊されながらも攻城兵器がじりじり壁に近づいている。

 やがて城壁上では、攻城兵器が接近してきた箇所にシキリーヤ兵が集中しはじめる。

 ウクタミシュはあごでそれを示す。


「獲物が横腹を見せている。ころあいだ、敵兵がまばらになった箇所を食い破ってこい。十奴長アミール・アシャラライムーン。

 最初に城壁上に立て。いつものように、突撃し突破し攻略しろ。武器を捨てない敵を殺せ。城壁内にすえられた投石機を壊せ。敵の要人を確保しろ。

 それらの任務を、先に城内に入っている味方を支援しながら行うとしても、やりかたはおまえの自由だ。いっている意味はわかるな?」


 敵中突破して乳きょうだいを助けに行ってよいと、大アミールじきじきのお墨付きが与えられていた。


「感謝します、ウクタミシュ閣下」


 その点だけは。

 そう続いた言葉を彼女は口中で噛み殺す。ライムーンの姿は、ぱっと散る砂をのこしてその場から消えた。

 消えたというのは正確ではない。彼女は走り出しただけだ。

 ただ、砂のうえをゆくその走りが、人の足より三倍も速いだけである。


 敵味方が注目していない、城壁の高い箇所をあえてねらって駆ける。

 城まで百歩七十歩五十歩と、みるみる距離がつまっていく。城壁上のシキリーヤ兵のひとりが彼女に気づく。その兵は彼女の接近のあまりの速さに目をみはり、事態をさとって絶叫する。


「ジン族だ! ジンの兵!」


 叫びながら兵は弩をかまえる。


 次の瞬間死んでいる。


 ライムーンが、城まで四十歩の距離で槍を投げたから。通常の投げ槍の殺傷有効射程、その倍近い距離――だが走る勢いをのせ、しなやかな全身のばねを使って投げられたその槍は、兵の口をつらぬいて後頭部から飛び出す。

 ろくに見届けもせず、ライムーンは妖印を浮かせる。

 のどもとから胸にかけて血の色の、鮮やかな紋がくっきりと浮かび――


 彼女はひょうに“変化”した。


 金色の獣となった彼女は、城壁への最後の距離を詰める。

 高くんだ。

 七ジラー(約四・五メートル)ある城壁の六ジラーまで達する。豹の肉体でこそなしうる技。城壁に鋭い爪を立て、最後の一ジラーを駆けのぼる。


 彼女はぎざぎざの矢狭間を越え、城壁上の通路にするりと降り立ち、歩く。

 軽やかに、むぞうさに。

 軍衣をまとった美しい娘の姿にもどって。

 両側からシキリーヤ兵たちの絶句と動揺の視線が集中する。そのなかをライムーンは進む。転がった死体の口から槍を抜き……


「矢をはなて!」


 シキリーヤ兵の指揮官が怒鳴る。


「城壁上で暴れさせるな! あのジン族の女を排除しろ!」


 細長い通路の左右で、焦った敵兵がいっせいに弩をかまえる。

 彼女をはさみうちする態勢だが、それは失策以外のなにものでもない。

 弩の太矢が両横から飛んできたときには、ライムーンはふたたび死の旋風と化している。


 射線を予測する。

 それを外すために急激に駆ける。

 じぐざぐに跳ぶ。


 やったことを単純に言えばそれだけだが、単純にはやすぎた。その結果、ひとつとして彼女に当たった太矢はない。

 シキリーヤ兵たちの、同士討ちの悲鳴が上がる。狼狽のあまりにかれらは禁忌を犯していた――飛び道具の射線上に味方を置いた。ライムーンにかわされた太矢の何本かは、味方を殺傷してしまっている。


 ライムーンの槍が繰り出される。

 雷光のように穂先がひらめくつど、シキリーヤ兵の体が穴の空いた血袋と化す。


 かれらのあいだを駆け巡って彼女はくるくると舞う。奏楽的に。

 悲鳴が伴奏かなでる、刃の舞曲。


 ライムーンが血をふりまくその場所に、城壁の下から攻城はしごがかけられる。ほかの王奴たちが抵抗を受けず城壁上に乗りこんできて、殺戮に加勢する。

 兵の質でも量でも圧倒されて、もともと数の少ないシキリーヤ兵が一掃されてゆく。

 血と汗を袖でぬぐい、ライムーンは立ち止まって荒い呼吸をととのえる。


「だからこの聖都は呪われてるって言ったんだ……」


 うわごとがかぼそく聞こえた。

 見ると、血の池に横たわったシキリーヤ兵のひとりだった。


「こんなところに来たのが間違いだった……呪いが大地を覆ってる……砂漠も、異教徒の軍も、怪物たちももううんざり……神よ、聖母よ、はやくみ使いに迎えに来させて……痛い……痛い、痛いんだ……」


 ライムーンは槍を逆手にくるりと持ち替えて、瀕死の兵に慈悲とどめを与える。

 それから、身をひるがえして足早に市内へと向かう。


“どこにいる、スッカル?”

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