第15話 脱出


「こちらへ来い。ミスルの奴隷兵め」


 重々しい声。

 重々しい足取り。

 銀の騎士を踏みつけたスッカルの前に、別の騎士が現れる。背は高く、手には剣ではなく鎚矛メイスと盾を持っている。


「重い両手剣を軽い片手剣のようにあつかう奇術はたいしたものだが」


 くぐもったシキリーヤ語は、頭部全体をおおう桶状かぶとの通気孔から漏れている。


「しょせんはこけおどし。さあこっちを向け。一対一で騎士と戦う名誉を与えよう、卑しいミスルの奴隷兵よ。吾輩の名はベニャ――」


「おう、まずこいつを始末してからな」


 名乗りを無視してスッカルは両手で大剣を持つ。

 スッカルが背を向け、大剣を「銀の騎士」にふりあげると、騎士ベニャなにがしは泡を食う。


「こら、待たぬか!」


 大剣をふりおろす途中でスッカルは、身を猛烈に回転させた。

 斬撃の軌道を垂直から水平方向へ力まかせにねじ曲げる。

 ぶうんと大剣はうなりをあげて、ふみこんできたベニャ某の頭を横殴りに刈る。

 かぶとがなければ、ベニャ某の頭の上半分はすっ飛んでいただろう。強烈な一撃はかぶとをへこませ、騎士は横によろめいて片ひざを落とした。


「こ、この卑怯者め……!」


 奇襲によって初手をとられ、うめくベニャ某に、


“うるせえ、こっちは名誉だなんだとお遊びにつきあってる余裕がねえんだ”


 スッカルは遠慮なく追加攻撃を叩き込んだ。

 剣のふるいかたを、さっきまでの軽快な技からがらりと変えている。両手で持って猛烈に、一撃一撃が重いめったうち。目が回っているらしきベニャ某はそれでも盾をかかげて身を守る。だが斧が巨木をけずるがごとく、剛剣は盾を切り刻む。たちまち盾が割れる。

 鈍器となった大剣で、ふたたびベニャ某のかぶとをなぐりつける。

 かれが倒れたところですばやく、スッカルは剣先をベニャ某のひざの裏に突き立てる。金属で守られていない部位。

 あまりに早く一方的な決着に、シキリーヤ兵たちがひるみを見せている。


 わああと叫び声が横で上がった。

 立ち上がった銀の騎士が、スッカルの腰にしがみつこうと突進してくる。それを一瞥いちべつしてスッカルはひょいとかわす。

 銀の騎士の首をがっしりと腕に抱え込み、


「武器の提供ありがとうよ、少年」


“そして間違ったな、向かってこずに逃げるべきだったぞ”


「この外道!」


 かぶとの内側から響くかん高い声は、涙の響きを帯びていた。怒り、屈辱、そしてはるかに格上の戦士に翻弄された無力感が、幼い声ににじみ出ている。

 スッカルは暴れる銀の騎士を軽々とひきずって、椅子で戦っている部下たちに声をかける。さすがに王奴軍“豹”ファハド隊の猛者たちであり、かろうじてまだ一人も欠けていない。


「おまえらの横の壁だ! 正確な位置はわからんが、手が空いてるやつから壁を調べろ!」


「うるせえ、手は微塵も空いてねえ! まず敵兵を減らすのを手伝え!」


 もっとも口の悪い部下アイバクの罵声が返ってくる。

 スッカルは銀の騎士の首根っこを抱えたまま、シキリーヤ兵たちに「動くな」と叫んだ。


「攻撃をやめろ。でなければこのお嬢ちゃんの首をへし折るぞ」


“こいつは連中のうちでも名のある貴族の子弟にちがいない”


 一騎打ちを挑んできたベニャ某は、あきらかにスッカルを銀の騎士から引き離そうとしていた。ならば人質に使えるかもしれない。

 効果はてきめん。

 シキリーヤ兵たちが動きを止め、互いに視線を交わしあう。


「だめだ! みんな私に構わないで、こいつらをすぐに殺すのである!」


 銀の騎士がきんきん声でわめく。


「ちょっと黙ってろ」


 スッカルは銀の騎士のかぶとを剥ぎとるように脱がせる。口をふさぐつもりだった。

 そして敵兵ほどではないが、動揺することになる。

 かぶとの下から現れたのは、肩まで栗色の髪を伸ばした美少年……否、少女だった。エメラルド色の瞳が悔し涙にうるみ、愛らしい頬は怒りに赤く染まっている。


“げ、声変わり前のお坊ちゃんじゃなく小娘かよ”


 さきほどお嬢ちゃん呼ばわりしたのは侮辱であったのだが、それが正鵠を射ていたことにスッカルはとまどった。

 アイバクが口をはさんでくる。


「美しい瞳だな。スッカル、この犬どもにいってやれ。おれたちから離れないとこの娘の綺麗なお目目をひとつずつくり抜くぞ、と」それからアイバクは、スッカルがためらっているのを見て眉をしかめた。「おい、頼むよ。こんな状況で甘っちょろい考えでいるんじゃない。ミスルの王奴は情け容赦ないといううわさで恐れられてるんだぞ。いまその武器を失わせるな」


「わかってるとも」


 うなり、スッカルはアイバクがうながしたように、シキリーヤ人の言葉でさがるように命じた。敵兵は歯ぎしりしながらそろそろとさがった。


“女子供の目をほじくると脅さなきゃ、自分と部下が死ぬ。あいかわらずミスル軍は楽しいね、戻るなりなんとも素敵な任務だ”


 うんざりしつつ、スッカルは床に落ちていたベニャ某の鎚矛を部下たちのほうに蹴飛ばした。がらがらと音を立てて鎚矛は大理石の広間に転がる。椅子を放り出したアイバクがそれをさっと拾い上げた。


「アイバク、壁を打て。音の違うところを探すんだ。怪しい箇所があったらそこを調べろ。開け方はわからんが煉瓦を片っ端から押すとかしろ」


 少女を引きずって部下たちのところに戻りながら、スッカルは砂漠の言葉に戻って指示した。

 アイバクが言われたとおりに壁を打ちはじめる。

 王奴たちがなにをしているのかシキリーヤ兵たちは理解できなかったようで、広間の入り口をふさいだままざわめいている。


 敵兵たちがふたたび襲いかかってくるまで余裕はない、とスッカルは見ていた。

 時間を稼いだだけだ、それもほんのちょっぴり。

 下級兵には、勝手に高貴な人質をあきらめるという判断が許されていないだけだ。だから下がるしかなかった……高位者のだれかが「娘が死んでもやむなし」と決断すれば、すぐ殺到してくるだろう。


“この場に槍隊といしゆみ隊が駆けつけてきたら終わりだ”


 槍ぶすまを作られてそのうしろから矢を飛ばされれば、なすすべもない。


「急げ、アイバク!」


 声をかけたときごんごんと音がしはじめた。

 アイバクが壁に鎚矛を打ち付けている。


「おい、何してる!」


「ここだ、音が違う! 開け方を探るひまなんぞあるか、向こう側が空洞なら壊せばすむ!」


 そのとき、鎚矛が煉瓦の壁にひびを入れる。そのひびは八方に伸びてゆく。そしてさらに次の一撃で、壁は砕かれた。

 煉瓦が崩れ落ちて、黒ぐろとした穴が空く。かろうじて人がくぐれる程度の大きさの穴からは、ほこりっぽい空気が流れ出してくる。


「よし、行け。行け」


 命じながらスッカルは部下たちを隠し通路にとびこませる。背後で、事態を悟ったシキリーヤ兵たちの怒号が広間にこだまする。いまにもかれらは突進してきそうに見えた。

 ため息もそこそこにスッカルは、穴の横に最後に残ったアイバクに言う。


「おまえも行け」


「あんたもだ、スッカル。その娘を解放するなよ、人質を投げ捨てたら連中は全速力でわれわれを殺しにかかってくる」


「人質を取ったままでも追われるぞ、たぶん。しかもこいつがいると足が遅くなる」


 苦々しげにぼやきつつも、スッカルは敵兵のほうへ向き直る。

 娘の首根っこをつかみ、そのもがく体を盾にする。ぴたりとシキリーヤ兵たちの足が止まった。


「追ってくるなよ、そうしたらこいつを殺す」


 少々ためらい、追加した。


「……逃げたいだけだ、こいつに危害は加えない。追ってこなきゃ適当なところで放してやる」


「嘘つきの異教徒め」


 腕のなかで人質の少女がわめく。

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