聖都攻略戦

第14話 死地


 突撃ラッパが鳴っていた。


“へ?”


 スッカルは聖都アル・クドゥスイェルサレムの王宮広間で凍りつく。

 広間の外のさらに外……城壁外の砂漠から聞こえてくるそれは、味方の軍のものだった。

 殺戮開始を告げる音。


「いやいやいや、ちょっと待て……」


 つぶやきも漏れようというものだ。


“味方はなんで攻撃を再開してやがる?”


 スッカルは古巣のミスル軍に帰参していた。

 いまかれは敵に占領された聖都のなかにいる。聖都には、王奴軍に追いつめられたシキリーヤ王国のシキリーヤシチリア人たちが立てこもっているのだ。

 スッカルはそこへ帰参早々、降伏勧告の使者として行かされたのであった。



『一年前、シキリーヤ人どもは四千の兵力で聖都に入植した。ジン王国が滅びて以来、廃墟となっていたあの都市に』


 帰ってきたスッカルに対し、ミスル遠征軍のふたりの司令官のうちひとり、ウクタミシュ・ベイはそう説明した。


『われわれは立ち退くようにかれらに何度も求めた。そこはミスルにとって戦略上、非常に重要な土地なのだと。

 ところが奴らは話し合いに応じない。聖都は十字教徒のものだと主張して、あの阿呆どもは譲らない。エヴレム・カンが来るいまになっても立ち退かず、協力してくるそぶりもない。

 わが軍は、敵か味方かわからない勢力を背後に残して前進するつもりはない。

 潰すことはたやすい。しかしその前に、もう一度だけ奴らと話してみようではないか。包囲し、軍の力を背景としてな』



“っていってたじゃねえか、ウクタミシュの野郎”


 にもかかわらず王奴軍は、双方で合意した一時休戦を一方的にふみにじったようだった。


“やっと和平について話し合えそうだったのに。外の連中、おれたちが交渉の席につくかつかないかのうちに総攻撃をはじめやがった。これはあれか、おれに対する手の込んだ処刑か?”


 衝撃に固まっているのはかれだけではない。

 スッカルはつかの間、交渉していた相手を見つめた。

 絶句して目を見開いている十字教徒たち――シキリーヤ人の騎士たちを。ことに長方形の卓の上座にいるシキリーヤ王を。痩せた老人で、子鹿のようなおびえた目をしていた。


 おおいにまずい状況だった。

 背後にいる四名のスッカルの部下は、かつてスッカルと同じ隊にいた者たちだ。いずれもスッカル自身とおなじく、高度な軍事教育を受けた王奴だ。

 だが、全員がこの会談に先立って武装解除されていた。

 そして四千の敵兵にとりまかれていた。

 事態を把握したらシキリーヤ人たちは絶望し、激怒し、スッカルたちを切り刻むだろう。


 待っていたら殺される。


 悟った瞬間、かれは弾かれたように動いた。

 長身を投げ出すようにして、卓の上を転がる。立って卓の上を走りだす。上座にいるシキリーヤ王へと。

 むろん人質にするつもりだ。


 しかし金切り声をあげて、その王は椅子ごとうしろにひっくりかえる。椅子ががたんと倒れ、金の王冠が床に転がる。

 このときにはすでに、騎士たちが席を蹴立ててつぎつぎ剣を抜いている。 


“倒れた椅子が邪魔――敵兵は反応してる――王を人質にするのは絶望的――”


 判断の速さが生死を分けた。

 すぐさま目標を変え、スッカルは卓の横に跳ぶ。


 新たな標的は、そのときもっとも近くにいたひとりの騎士だ。

 そいつは周囲の鎖かたびらだけの兵といでたちからして違っていた。美しく完璧な銀色の板金鎧を身につけ、会談中ずっと脱がないでいた。


 が、小柄だった。

 持っている大剣は不釣り合いに大きすぎて、とっさに抜こうとしても抜ききれないようだった。


 というわけでその「銀の騎士」に目をつけたスッカルは、空中でそいつの胸甲を蹴飛ばす。

 銀の騎士はひっくり返るように背中から倒れる。

 すばやくスッカルはその手から剣をもぎとる。横から襲いかかってきていたシキリーヤ兵の顔面へと、鞘から抜かず突きこむ。

 血と歯をとびちらせて転倒する相手に目もくれず、立ち上がろうとして腹ばいになっていた銀の騎士の背をふみつけて拘束。

 スッカルは大剣を鞘ばしらせる。


 そして、鋼を歌わせはじめた。


 異様な風切り音が広間に鳴った。幅広の大剣は、王奴たちの使う細身の剣であるかのように軽々と宙をはしる。

 スッカルが片手でふりまわすたび、大剣はひゅんひゅんとすすり泣く。その都度、シキリーヤ兵たちの剣が叩き落とされ、あるいは折れ飛ぶ。本来は両手で使うはずの剣にあるまじき軽快な斬撃は、正確無比であり……鎖かたびらを着たかれらの胴体ではなく、四肢の末端や剣そのものを狙っていた。


 たちまち三人の敵兵が武器を失う。かれらは目に憎悪を燃やしていたが、無敵圏をつくる刃にたじろいでつかの間足を止める。

 斬撃の壁で身を守りながら、スッカルは状況を確かめる。

 スッカルの部下たちはそれぞれ座っていた椅子を抱えあげて、殺到する剣を払いのけている。倍の剣士に攻撃されてまだだれも死んでいないのは見事だが、いくら王奴でも危険な状況だ。


 広間の入り口ではシキリーヤ王が、兵士に守られながら出て行くところだった。入れ替わりにどっと敵兵の増援が入ってくる。

 どうやって逃げたものか、とスッカルは焦る。


「指示を! スッカル、このごくつぶし野郎、とっとと指示をだせ!」


 椅子の脚で複数の剣とつばぜり合いするはめになっている部下たちが、スッカルに向けて罵りまじりにわめく。


「フンコロガシども、すこしだけ待ってろ!」


 スッカルは怒鳴り返す。

 普通なら死ぬしかない状況だ。ここは敵の城内で逃げ場はなく、多勢に無勢すぎる。

 だが、たまたま逃げるあてがあった。

 この王宮のことをかれはよく知っていた。

 なにしろ、育った場所である。

 王奴軍の使者としてここにおもむかされたのも、ひとつにはその経歴があるからだ。


“あー、たしかあの夜、この大広間からジン王はおれと母さんとライムーンを逃がした”


 スッカルはこめかみをぐりぐり揉みながら、壁の調度を確認する。

 聖都から逃げ出したその夜の記憶は、霞がかかったようにおぼろげだった。いまのように生きるか死ぬかの瀬戸際だったはずなのだが。


 それでも、徐々に思い出はよみがえってきた。シキリーヤ人たちに聞かれないよう砂漠の言語でぶつぶつ記憶をなぞる。


「ジンたちはすえ置かれていた大きな鏡の裏に回ってなにかしたな……そうしたら壁に通路が空いて地下道に」


 そうそう、思い出した。

 壁の通路。


「おいみんな、この広間は壁に隠し扉がある! そこから逃げられるぞ」


 せっかく思い出したというのに、椅子を振り回す仲間たちにはあまり喜んだ様子はない。


「そこってどこだよ、具体的にいえや!」


「たぶんそっちの壁の大鏡の裏に、あっれ? 鏡どこいった?」


 スッカルの視線が左右に反復横跳びしはじめる。

 目印の鏡が消失していた。

 砂色をした煉瓦の壁一面。そこにはいま、赤や緑のたくさんの旗が貼りつけられている。シキリーヤ人の騎士諸侯たちがそれぞれ持ち込んだ紋章旗。かつてそこに置かれていた大きな鏡は、シキリーヤ人たちが廃墟となった聖都を獲得したあと、どこかに移されてしまったようだった。


「調度をごてごて紋章だかなんだかに置き換えやがって! なにとぞ唯一の神がこの異教徒どもを美的感覚喪失の罪で裁き、未来永劫地獄の火でケバブにしますように」


 スッカルは毒づいたが、とにかく壁を調べないと始まらない。

 そこでとつぜん足元から可愛らしい声。


「無礼な、無礼者、私から脚をどけるのである!」


 見下ろすと、胴鎧を踏みつけられた銀の騎士だ。甲羅を踏まれた亀よろしくじたばたしている。かん高く妙に可愛らしい声に、スッカルは片眉を上げる。


“声変わり前の子供か? まあ今はどうでもいいや”


 大広間の戸が空いてまたまたシキリーヤ兵たちの増援が追加される。

 菜っ葉よろしく刻まれる前に、なんとかして逃げねばならない。

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