第17話 グール腫


“あいかわらず狭くて暗くてほこりっぽい隠し通路だぜ”


 スッカルはひとりごちる。

 部下の王奴四人と人質の少女ひとりがかれに同行している。

 もっとも正確には、少女は自分の足で進んではいない。両脇をかかえられ、鎧ごと引きずられる形でもがきながら叫んでいる。


「この奴隷兵ども! みんなが追いついてきたら、ぜったい吊るし首にしてやるのである!」


「そいつは困るな。吊るされたら息が詰まっちまいそうだ」


 少女の右腕を持つスッカルは減らず口を叩く。

 左腕を持つアイバクがぼそりとつぶやいた。「いらつく雌犬だ」

 アイバクの口調に危険な予兆を感じ、スッカルはすばやくいった。


「連れてこいと言ったのはおまえだぞ、アイバク」


「追っ手がかかったら盾として役に立てるつもりだった。この通路は狭い。ひとりかふたりが残れば足止めできる。矢だけは厄介だから、シキリーヤ兵どもが来たらこの娘を盾に使う予定だった。だが、その追っ手がこない」


 それは事実だった。

 スッカルは首をひねる。


“おかしいな。着ている鎧はいいものだし、この娘は人質の価値があると思ったんだが。連中、とりもどそうとやっきになっているわけではないのか?”


「下手にこちらを刺激することでこの娘を傷つけられることを恐れているのかも……

 おい、おまえのお仲間、来ないぞ」


 言語を切り替えて少女にたずねてみる。

 が、鎧の少女はそれを疑問ではなく、嘲笑と受け取ったようだった。

 もともと自分でも、味方に切り捨てられたのではないかと不安になりはじめていたのだろう。少女は殴られたように口をつぐみ、じわりと瞳に涙を浮かせた。広間では『自分のことなど気にせず攻撃しろ』とシキリーヤ兵たちに言っていたが、それは勇気というより興奮した勢いであったらしかった。


「お、おい、泣くな」


 うろたえるスッカルに、アイバクが言った。


「まあ、シキリーヤ兵どもの思惑はこのさいどうでもいい。この鎧娘は重いし、暴れる。こっちの体力を削ぎやがる。追っ手がすぐ来ないなら……」


「そうだな。この娘はここで解き放とう。おまえの言うとおり疲れるし」


「スッカル、馬鹿なこと言ってるんじゃないぞ。いつ盾が必要になるかわからないんだ。こいつを運びやすくする必要がある。俺が言いたいのは、追っ手がすぐ来ないなら、こいつの鎧を剥ぐ時間があるということだ。いって聞かせろよ、鎧を脱げと」


 というわけでスッカルは気が進まないながらいいわたすことになった。


「甲冑を脱ぐか自分で歩け」


 人質の少女は答えない。長いまつ毛に涙をためて、むっつり口を閉ざしている。


「聞こえなかったのか?」


「やればいい」


 少女は重苦しい声でいった。


「いうことを聞かなければ目をえぐるのであろ? やればいい」


 スッカルは渋い顔をして肩をすくめ、アイバクにいう。


「意固地になったぞ。やはり捨てていったほうがいいんじゃないか」


 それを聞くと、アイバクはいきなり少女の髪をつかんだ。苦痛のうめきを少女が漏らす。


「おい、何してる――」


「スッカル。俺の言葉を翻訳してくれよ。いうことを聞かなければ犯す、とこいつにいうんだ。王奴学校ティバークで学んだろう。十字教徒の女どもは純潔を守ることを気にする、俺たち唯一神教の女と同じように。

 だから、ただ傷つけるより、この場の全員に処女を捧げさせてやるとおどしたほうが効果的かもしれん」


 スッカルは黙ってアイバクに近寄る。頭ひとつ背が高いかれに間近で見下ろされ、アイバクはひるみを見せて少女の髪をはなす。

 一言ずつ刻むようにスッカルはいう。


「はったりとしてはいいかもしれんな。ただしその脅しで駄目なら解き放つぞ。いいな?」


 気圧されたことを恥じてか、アイバクが吐き捨てた。


「甘っちょろいのはよせといっただろ」


「よく見ろ、アイバク。十五そこらの小娘だぞ」


「じゅうぶん男を知る年頃だろ。なんだ、子供だからかわいそうだといいたいのか? ご立派な騎士道ファールスィーヤの発露だな。俺たちは何歳から剣を握らされてた? あんた自身、初めて人を殺したのは十一か十二だろ、スッカル。それこそひげも下の毛も生えないうちから盛大に血をふりまいてたあんたが、いまさら異教徒の小娘に哀れみを抱くのか?

 あんた、いつからそんな軟弱になったんだよ? 昔はいちばんぎらぎらした戦士だったのに」


 険悪な雰囲気に、ほかの三人の部下も立ち止まってふたりの様子をうかがっている。

 スッカルは目を細めた。


「たしかに、いまはあまり殺さない。死ねばもとには戻らないと気づいたんでな」


「はっ、いっとくが俺は別にこの娘を殺そうといったわけじゃ――」


「おれが心配したのはおまえの命だよ、アイバク。軍法じゃ、大アミールたちが許可した場合をのぞいて強姦は極刑だ。そして、軍規違反を阻止する責任は直属の上官にある。つまりこの場じゃおれだ。おれは今回、ライムーンとともにファハド隊をあずかる立場に戻されたからな」


 アイバクはとつぜん、隊に復帰した上官の、かつての異名を思い出したようだった。

〈豹の寮の魔王〉あるいは、〈王奴殺しのスッカル〉。

 沈黙がつかの間、薄闇に満ちた。

 スッカルは念を押す。


「アイバク、おれはおまえが、この小娘を必要以上にいたぶるつもりだとは思っていない。そして軍規のことでおれに……上官に逆らうほど愚かだとも思わない。おまえはただ小娘をおどすつもりで献策しただけだ、そうだろ?」


 息づまる一瞬ののち、アイバクは頬をゆがめるようにして笑った。


「もちろん。ほんとうに手ごめにしているひまなんぞない」


「いい争いしているひまもな。おれはおまえのいうとおりに小娘をおどしてみよう。そしておまえはおれの決定にしたがう。話はついた」


 少女に向き直って、スッカルは伝えた。

 かれの意表をつくことに、それを聞くなり少女はおかしげに笑った。


「私を汚す?」


“なんで笑う”


 うすら寒いものを覚えて、スッカルは顔をしかめた。くらいものに触れた気がしたのである。少女の笑いは怨念まじりの自虐だった。

 少女は笑いを消して、


「わかったのである。鎧を脱ごう。手伝うがいい」


 スッカルはためらったが、いうとおりにした。もしも少女が隠し持っていた武器でとつぜん攻撃してきたとしても対応できるよう、じゅうぶん注意しながら。

 少女はスッカルの助けを借りて手甲を外し、肩甲とわき当てと二の腕の甲を外し、


「異教徒たち、私を汚せるつもりなら好きにするがいいのである」


 腰バンドと肩の留めひもをゆるめると、体の前後に胸甲と背甲が落ちる。がしゃがしゃんと重い鋼の音。

 意外にも大人びた体つきだった。少女がひとつずつ脱ぐたびに、肉感的に熟れた体の線があらわになっていく。鎧下着の上からでも見て取れる腰や胸部まわりのむっちりした肉付き。王奴たちは顔にこそ出さないが若干の当惑と気まずさを覚える。


「この呪われた体を見て、まだその気になるのであれば!」

 鎧下着を少女はばっと脱ぐ。最後の一枚――シャツの胸元の革紐をゆるめ、襟ぐりを自分で大きくくつろげてみせた。清らかに白い肌があらわになる。


 深い谷間のあいだに、別の種類の白い肉が盛り上がっていた。

 こぶし大、ぶよぶよとした水死体のごとき汚らわしい白。その肉のこぶの中央で、赤い目がぎょろりと動いた。


 王奴たちのあとじさりは素早かった。スッカル以外のだれもが少女から二歩か三歩引く。


「なんてこった」アイバクがののしった。「食人鬼グールしゅだ」

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