第19話 木乃伊


 スッカルはアリーチェの腰を腕ごとぐるぐる巻きに縛った。余らせた縄の片端をつかんで、五歩ほどの距離をとって歩かせる。主に部下たちの懸念に配慮してのことだ。

 記憶をほじくり返しながら前方を指差す。


「このまままっすぐいくと砂漠に出られる……といいたいが、出られない。昔おれたちが通りぬけたときに、通路を崩して追っ手をせき止めたからな。行き止まりだ。シキリーヤ人どもがこの通路を補修していれば別だが」


「へへえ、さすがに経験者の情報はたよりになるね。それで、どうやって行き止まりの通路から逃げるんですかね、わが上官よ? ツチブタのように掘れってか」


「いいかげん機嫌を直せ、アイバク」


 あしらいながら行くと、やがて崩落した箇所が見えてきた。がれきと土砂が大量に降り積もり、完全に道がふさがれている。

 だがその手前にもうひとつ横坑よこあながあった。小さく、スッカルでは屈まないと入れないような場所。

 その坑をスッカルは指し示す。


「そら、三叉路になってるんだ」


 部下のひとり、ジッリーが近づいてくる。かれは燃える小型たいまつ――燃える薬品をしみこませた携帯用の備品――で坑をのぞきこんだ。


「スッカル。どこに通じてるんだ、こっちの道は」


「市内のどこかのはずだ。聖都の外には出られないだろうが、王宮の外にひとまず逃げ出せるなら重畳というものだ」


 わかった、とジッリーはうなずき、


「逃げ出す算段が立ったところで、話がある」


 かれはたいまつでうしろのアリーチェを指す。


「無事に逃げられたとしても、この娘は王奴の陣には連れて行かないほうがいい」


 四人の部下たちがその言葉でいっせいにうなずく。真剣な顔をしていた。

 アイバクが苦みばしった顔でいう。


「スッカル、今度はふてくされていってるんじゃねえぞ。何度でもいうがグール腫の娘を連れて行くなんてまともじゃないんだ。へたするとわが軍が壊滅しちまう」


「……ああ。わかってるよ、陣中まで連れて行きやしない」


 スッカルは約束する。

 一方、自分のことをいわれているとわかるようで、アリーチェは所在なさげにもじもじしている。あげく緊張感に耐えかねてか、よびかけてきた。


「王奴! そこの言葉が通じる王奴っ」


「なんだよ」


「念を押すが、ほんとのほんとに私を治せるのであるな?」


「あー、ほんとほんと」スッカルは生返事する。


「騙したら神に誓って伝染うつすであるぞ?」


“霊薬さえ飲めば治るさ”


 スッカルはそう思ったが、いわない。


 部下たちの懸念もアリーチェの病も、解決だけなら簡単だ。

 なにしろスッカルには霊薬がある。

 ただ、問題はべつのところにあるのだ。


“こいつらが霊薬のことを誰にもしゃべらないようにする方法を考えないとならんな。アイバクたちはまだしも、このこまっしゃくれたシキリーヤ娘をどうしたもんかね”


 アリーチェをこの場でいますぐ治してやってはい解放さよならというわけにはいかない。ミスルの王奴が霊薬を持っていたなどと触れ回られては困るのだ。

 部下たちについても発症予防のため、霊薬を与えるつもりだ。だが同時に、霊薬のことを他人に漏らさないよう念を押さねばならない。

 できればアリーチェにも部下たちにも、霊薬を盛ったと気づかれないことが望ましい。

 霊薬の存在は、秘めておかねばならない。いましばらくは。


 ライムーンがかれに約束させた。

 王奴学校でお互いの背を守り合い、訓練にまぎれて本気で殺そうとしてくるほかの王奴候補をしりぞけ、毎日死の際すれすれで生きていたころに。

 汗と泥にまみれて倒れ伏し、床でお互いの手足を絡ませるようにして眠っていたある夜だった。ライムーンはかれの胸にひたいをこすりつけながらいったのだ。


『たとえ目の前でだれが死にそうであっても、霊薬のことはだれにもいうな。ふたりだけの秘密でなければ婢と君は危険だ。これだけは誓って、おねがい、スッカル……』


 甘やかな過去の記憶が、苦い思いを呼び覚ました。ある大切なことでライムーンはかれに嘘をついていた。そして実のところ、かれもライムーンとの誓いを何度も破ってしまっている。弩で射られたヒュリヤのように、霊薬でしか救えない者たちを目の前にしたときに。

 危ない橋を渡っているのは自覚していた。


“霊薬の存在がジューグンダール・ベイの耳に入ったら、やつは喜々としておれを捕らえて拷問するだろう。ミスル軍に霊薬の存在を隠匿したという罪で。おれの口を割らせて霊薬を確保するという名目で。ウクタミシュ・ベイだっておれをかばうわけがない”


 ぼりぼりとスッカルは頭をかく。

 さしあたり、もうしばらくアリーチェを同行させるしかなかった。そのあいだに名案が思いつくだろう、人気のないところでアリーチェを気絶させて口に霊薬を押し込むとかの。


“それでも、ライムーン……本気でエヴレム・カンに対抗するのなら、この霊薬のことをいつまでも、おれたちふたりの秘密にしているわけにはいかないぜ”


 そんなことを考えながら、一列になって横坑を進む。


 列先頭にいたジッリーの驚きの声が思考を覚ました。


「おい、広い場所に出るぞ」


 ジッリーがたいまつをかかげてそのひらけた闇を照らす。

 あらわになった空間の様子に、誰もがぎょっとした。

 大量の棺。

 岩をくりぬいて造ったひんやりとした室内に、石の棺が所狭しと並べられていた。


“地下墓地か? それにしてはなにかが妙だ”


 スッカルはアリーチェの縄を引いたままゆっくりと進み出て、棺の様子を見る。

 石棺は並べられるだけでなく、積み重ねられていた。暗い空間をみっしりと重苦しく満たして。


「うわ、ミイラムーミヤだ」


 ジッリーの興奮とおののきを少量ずつ含んだ声。スッカルは顔をしかめてそちらを見る。


「おい、軽々しく棺を開けるな。罠が仕込まれてる可能性だってあるんだぞ」


「元からちょっと開いてたんだよ。それよりこれ、確認してくれよ」


 いわれてスッカルはのぞきこむ。

 まず、没薬ミルラをはじめとする樹脂のにおいが鼻をつく。防腐処置をほどこされた死骸特有のものだ。


「……たしかにミイラだな」


 土色の乾いた死骸が目の前にあった。眼窩は井戸のように落ち窪んでいるがうろではなく、よく見れば閉じられたまぶたが残っている。安らかに眠っているかのようだ。


「うっかりたいまつを落とすなよ、ジッリー。彼女・・に引火しかねないからな」


 性別が分かる程度に顔の皮が原型をとどめていた。


「ミイラ?」


 縛られたままアリーチェがとことこやってきてスッカルのそばに立ち、こわごわのぞきこむ。さっとジッリーが彼女から逃げたのでたいまつの明かりも離れ、棺の中は見えなくなったが。

 不満そうに眉をしかめつつ、アリーチェがひとりごちる。


「なんでまたこんな不気味なものがあるのであろ」


「おまえらシキリーヤ人が持ち込んだわけじゃなさそうだな、その反応を見ると」


「もちろんそんなわけないであろ。ばかなことを申すな、王奴。この部屋にふみこんだシキリーヤ人はおそらく私が最初である。

 これだけのミイラがわが国にあったら大賢者さまが没収して、ご自身の薬や魔術の研究に使ってしまうである」


“ああ、フィオレンツァのやつならそうするな……”


 納得するスッカルの横で、アリーチェはさらに疑問をつぶやく。


「それにしても、一瞬しか見えなかったが、大賢者さまが持っている古代ミスル産のミイラと全く違うであるな。あのフィルアウンファラオのミイラは包帯で巻かれていたし、もっとこう、骨っぽかったである」


“たしかにな。ミイラの年齢なんか知らないが、なんというかこいつの見た目は思ったより生っぽい。百年も経ってなさそうだ。他のミイラはもっと古いかもしれないが……”


 ふと気づく。なにか妙、どころではない。

 墓地だとするならこの空間はおおいにおかしい。

 静謐な禁域という感じはする。だが死者の尊厳については、たいして守られている感じがしないのだ。


“石棺に入れて丁寧に扱ってはいる。しかしひとりずつ葬るのではなく、こんなふうに積み重ねるというのは、普通の神経としてありうるのだろうか?”

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