第20話 死地再び
「ジン族のしわざであろ、このミイラは。私たちが来る前にずっと聖都を支配してたのはあの異種族であるぞ」
アリーチェがまくしたて、ふと気づいたように石棺をちらりと見た。
「もしかしてジン族のミイラであろうか?」
「それはない」
スッカルはきっぱり否定する。
「たまたまおれはジン族をよく見知っている。間違うことはありえない、これは人族の死骸だ……それに、人族は土葬が一般的だが、ジン族は火葬だ。かれらは同族のむくろを炎で焼き尽くすのを好む」
同朋の肉体が塵になるまでかれらは焼く。〈ジンの魔石〉という魔法を帯びた核のみがあとに残るという。
アリーチェはおぞましがるようにぶるりと震えた。
「そんなことして、最後の審判のときはどうするんであろ……復活の日に肉体がなければ戻れないというのに」
「おや、十字教徒も常識を知っているようじゃないか」
聖典にいわく――この世がついに終わるとき、最後の審判の前に、死者たちはことごとく復活する。
だから死んだのち肉体を大きく損ねてしまってはならないのだ。
受肉できなくなるから。
「ジン族も唯一神教徒だが、やつらの教えはまたいっぷう独特なんだ。やつらは最後の審判のとき、自分たちの肉体は炎によって形作られると信じてる。もともと火から創られた種族だからな」
ジン族の好むいいまわしに、「炎に
塵は塵に。灰は灰に。
人は土に。ジンは炎に。
滅びののち帰るべきところが違うのだと。
「教えの微妙な違いの話はさておき、この岩の地下墓地にはたしかにジン族の手が入ってる感じがするな。聖都が滅びる前にジンに仕えていた人族の奴隷たちかもしれない」
“おれや母さんのようなな”
スッカルは石室を見渡す。
葬り、こうして肉体を保存しているぶん手間はかかっている。扱いとしてはじゅうぶんに優しいといえるだろう。地面に穴を掘っただけの共同墓地に投げ込まれる貧民の死体よりましだ。
だが、棺まで用意しておきながら荷物のように重ねて積み上げるのは……やはり奇妙としかいいようがない。
異文化の異種族ゆえに、微妙な人の感性を理解しきらなかったのだろうか。
“わが元ご主人様たちも奇妙なやり方をしたもんだぜ”
「気になるならこのふしぎな地下室のこと、戻ったらライムーンに聞いてみてはどうかな、スッカル」
シャオフーが提案する。ずっと東のかなたから売られてきた、黄色い肌の王奴だ。
なんでライムーンなんだ、とシャオフーに聞く者はだれもいない。
ライムーンはかつてここにあったジンの王国の王族だ。
スッカルの元主筋だ。
いまはどちらもミスルの王奴だが。
スッカルがシャオフーの提案に反応する前に、「おっ」とジッリーが声をあげる。
「ちょっとみんな、上を注目」
かれは部屋の中央にある石の柱のもとで、たいまつをかかげて仲間たちを呼ぶ。
「またか。今度はなにを見つけた、ジッリー」
「上だってば、天井を見てくれ! 古いモスクみたいになってるぞ、そしててっぺんが……あれ、地上に通じる出口にみえないか。板かなにかで塞がれてないか?」
その言葉に王奴全員が上を向く。
偽りはない。
そしてドーム頂部に、正方形の石の枠がある。
たしかに木の板でふさがれていた。
「……そうか、井戸だ。地上に出ている部分を使われていない井戸に見せかけているんだ」
さらに気づく。
“おい、これ……”
甲高い悲鳴。
戦士たちの怒声。馬のいななき。
「なんだこりゃ。戦の音じゃねえか。あの出口が通じているのは市内……だよな?」
“しかも砂漠の言葉だった。もう城壁を突破したのか、うちの軍”
王奴軍による、聖都市民への狼藉が始まっているのかもしれなかった。
スッカルは顔をしかめる。
都市が陥落するたびに略奪や強姦、ときに虐殺が起きるのはふつうのことだ。
軍規のきびしい王奴軍でもそれと無縁ではない。というより、軍団を率いる大アミールの性格によっては、積極的に兵にそれを行わせる。味方への褒美と敵への見せしめをかねて。
特にジューグンダール・ベイの軍はやるだろう。
仇敵の顔を思い出すと胸くそ悪くなった。スッカルはぺっと床につばを吐く。
それから、呼吸を練って肺腑の奥から叫ぼうとして、
「待て! 待てスッカル!」
部下たちが血相を変えてかれにしがみつき、口をふさいできた。
「なんだおまえら。助け呼ぼうとしたのに邪魔するなよ」
スッカルは部下たちの手をふりほどいて文句をつける。
アイバクが猛然とまくしたてる。
「冗談じゃねえ、おまえいきなり叫ぼうとしただろ、この響きそうな地下室で! 馬鹿野郎、おまえの本気の大声は、地上でも間近で聞いたら鼓膜が破れかねないんだ!」
「おっと、すまん。よし、耳をふさげ」
部下たちにいいながら、スッカルは言葉がわからず状況をつかめていないアリーチェに向き直る。
不安げな彼女の両の耳穴に指をつっこむ。
「ひゃうん!? なっ、なにするであるか!」
アリーチェが目を白黒させて身をよじる。縛られた少女が自分で耳をふさげまいと見てのスッカルの温情。
そうしておいてふたたび息を吸い、
「だれかいるか!」
巨大な音が地下室に反響する。耳をふさいでいるにもかかわらず部下たちの何人かが顔をしかめる。
少しのあいだはなにも起こらない。
だが、投石機の弾が家を叩き壊すかのような轟音は、目論見通り外の人間を引きつけたようだった。
やがて、上からの明かりが差し込む。
天井の井戸のふたが外されたから。
地下室をのぞきこむ人影が声を発する。
「なんだ、おまえたちは」
砂漠の言葉。顔に砂よけの布を巻きつけた兵。
王奴。
「お仲間か。こっちは“豹”隊だ」耳から手をはなしたアイバクが答える。
「ああ、使者として行った連中か」
「そうとも。途中で攻撃を始めやがって、こっちは死ぬところだったぞ!」
「災難だったな。上の人間のやったことを俺たちにいわれても困るが」
へっ、違いねえやと嗤い、アイバクが要求する。
「じゃあそれは置いといてやるから、とっとと引き上げてくれよ」
「……少し待ってろ。道具をとってくる」
「あ、おい」
のぞきこむ人影が去る。
スッカルたちはめいめい石棺にこしかけた。
いましがたの王奴が道具を持って戻ってくるのを待つ。
スッカルは軽く困惑する。さっきからかれの横にアリーチェがぴとりとくっついているのだ。
「それにしても」
アリーチェがとつぜんいう。とげとげしい声。
「ジンというのは尊大な連中だったというが、王奴も似たようなものであるな」
“この小娘、王奴軍に市壁突破されたと気づいて怒ってるのか?”
それにしては距離が近すぎる気がするが……
「ま、概して傲慢な傾向はある」
ひとまずスッカルは同意し、
「だがおまえらシキリーヤ人には負けるぜ」と挑発してみる。
このあたりでアリーチェから、新しい情報を引き出せそうな気がしたのである。
図にあたり、アリーチェはたちまち憤慨した。
「なにを根拠にそのようないわれなき中傷を口にするのであるか!」
「根拠ねえ。おまえらが聖都に乗り込んできて居座ったことはどう説明する。この包囲戦はそこが発端だぜ」
指摘すると、アリーチェは狼狽したがすぐいいつのる。
「攻めてきたのはそちらであろう! 私たちは異教徒の国ミスルと話し合いこそしなかったが、こちらからの攻撃もまたしなかったはずであるぞ。聖都はもともとミスルの領土ではなかったではないか、なぜ文句をつけられねばならぬ。
傲慢というならミスルの王奴どものほうこそではないかっ、ある日いきなり頭ごなしに従え従えと命令してきて、私たちがその使者を叩き出しただけで攻めてきたではないか」
「よし、ちょうどいいからミスルからの立場をよく聞いていけ。
シキリーヤ人はミスルに逆らったから攻められてるんじゃない。このままだとミスルの急所になりうるから攻められているんだ。
この聖都はミスルの前庭
わかるか? いまやミスルは、聖都を絶対に捨て置けないんだ。
かつてのジン王国のように友好条約を結んだ相手ならまだしも、シキリーヤ人には占領させておけなかった。おまえらは話に応じなかったんで、いざというときミスルが援軍を送り込めるかすらわからなかったから……しかも、シキリーヤ海軍はまだしも陸軍の規模は、四千程度の兵しかない。エヴレム・カンにあっさり聖都を落とされるのが目に見えてた。
むざむざ竜王に要地を渡すくらいなら、先にこっちが落とすしかなかった。
おまえらシキリーヤ人は、この地を保持できると本気で信じてたのか? シキリーヤ海軍のおかげで補給は問題ないとしても、どうやって少数の兵でミスル王奴軍やエヴレム・カンに対抗するつもりだったんだ? 勝てると思ってたならそれこそ傲慢だ」
スッカルが説いている途中からアリーチェは鎮静し、その頭はうつむいていった。彼女は悄然といった。
「……そんなことくらい、父上たちもわかっていなかったわけではないである」
“父上?”
ああ、こいつやっぱりシキリーヤ人のえらいやつの娘か、とスッカルは納得しつつ畳み掛けた。
「なあ、シキリーヤ人はなんでここに居座ったんだ? さっさと城門を開いてミスルとの話し合いに応じれば、今日の戦闘にはならなかった。なにか知ってるなら教えろよ」
話を引き出せそうな予感があった。
はたして、アリーチェはあきらめ気味につぶやく。
「私のせいである」
「おまえの? どういうこった」
「ルーム戦線で、エヴレム・カンの侵略を食い止めるためシキリーヤ軍は前線に立った。でも負けた……そのうえ大勢がグール腫に罹患したのである。私のように」
だから、とアリーチェは声を震わせる。
「父上は、私やたくさんの臣下を治すために、図書館に幽閉していた大賢者さまに知恵を乞うて……怪しげなことをいろいろと詰め込まれたのである。ミスルが
スッカルは表情筋を動かさないことに全力を注ぎ込んだ。
“フィオレンツァのやつ、霊薬のことに感づいていたんじゃあるまいな?”
「霊薬があればグール腫はたちどころに消え去ると、大賢者さまは約束したである。病状の進行を抑える薬もくれて、それで父上は大賢者さまを信じるつもりになったようである。図書館からは出さなかったけれど」
「待て。つまり……おまえらが来たのは」
「大賢者さまの指示にしたがい、ミスル軍の弱みを握っておいて、〈霊薬〉をミスル軍からゆするためである」
スッカルは無言になった。
“フィオレンツァ、おまえな……今度の戦もおまえのはた迷惑な陰謀のたまものかよ”
ため息をついてスッカルは続きをうながす。
「アリーチェ……それで霊薬はミスルに要求したのか」
「した。もらえず軍で攻められた」
「当たり前だ、ミスル軍は霊薬を持っちゃいなかった。フィオレンツァにしてはあんまりにもやり口が雑な……おい、なんでおれを使者に指名した?」
「え? それは知らなかったけれど……そなた、有名人物なのであるか? 名前は」
「スッカルだ」
「知らぬ」
アリーチェの困った表情を見て、ほんとうのようだなとスッカルは納得する。
アリーチェはややあって、
「父上に聞けばよい、父上がそなたを指名したはずであるから。父上は大賢者さまとしょっちゅう手紙をやり取りして、指示をあおいでいる」
アリーチェの父というのが何者か、スッカルにもそろそろわかってきた。
“ぜんぶおまえが糸引いてたのか、フィオレンツァ。どこまで霊薬のことを知ってる。シキリーヤ王を動かして、今度はなにを企んでる? エヴレム・カンが来る時になっても引っ掻き回すつもりか”
『スッカル、スッカル、愛しいあなた。わたくしの砂糖、ご主人様――』
記憶の底から白いジンの貴婦人の声が反響する。閨の寝台での甘い睦言。
フィオレンツァ。シキリーヤ図書館の大賢者。世界からの奴隷制廃絶を目指す、ミスルの宿敵。国や軍を駒とした、血をふりまく危険な
そしてかれの妻。
“ええい、やめだ。あいつのことは忘れろ、二度と会うこたあねえし”
ごつんと肩口に頭突され、スッカルは我に返る。
アリーチェが声をうわずらせていた。
「王奴……ス、スッカル」
「なんだよ」
「私はこれからどこに連れていかれるのであるか? さっきのはおまえたちの仲間であろ?」
ああなるほど、とスッカルは悟る。
先ほどからの情緒不安定な様子は、どうやら怯えからのものらしかった。
「心配しなくとも陣までは連れていかねえよ」といおうとしたが、困ったことがひとつ。
“ここを出てすぐ、こいつのグール腫を治して街中で解放したとしても……”
アリーチェにはろくな末路が待っていそうもない。
すでに聖都は王奴軍に市壁を突破されているのだ。
完全に制圧されるのも時間の問題。
落城の混乱のなかでアリーチェが王奴軍に見つかれば、いちばんましな道は捕らえられて奴隷だ。
二番目が即座に殺されること。
最悪が、恥辱と苦痛に満ちた嬲り殺し。
皮肉にもいまはグール腫が彼女の貞操を守っているが、それがなければどうなるかわからない。
“こいつがジューグンダールの戦利品ということになったら、高確率で三番目だな”
奴隷といってもいちがいに待遇が悪いわけではない。ミスルでは特にそうで、王奴の花嫁はほとんどが買われてきた女奴隷だ。
とくに子を産めば、正式な妻に繰り上がるならわしだ。法でその地位は保証される。
だが、ジューグンダールは……あの若い大アミールが求めるのは妻候補などではない。かれは好むのだ、奴隷女や若い小姓の首を締めながら犯すことを。それも絶息するまで。戦のあるときはとくに昂るといって、毎晩ひとり
アリーチェはいまや不安を隠しもせず震えている。
その震えを、肩をくっつけられたスッカルは直に伝えられている。
かれは渋い顔になる。
“ジューグンダールのやつはこいつがシキリーヤの貴種だとしてもなんの手心も加えないだろう。こんなちび娘をそういう死に方させるのは寝覚めが悪いな”
そのとき、頭上に影がさす。
「待たせたな」
先ほどの男がふたたびのぞきこんでいた。
「人手と道具を調達してきた」
言葉通り、井戸をのぞきこむ人影が増えている。
綱がついた一人乗り用のかごがするすると降りてきた。
「それに乗れ。ひとりずつひっぱりあげてやる。上がったら風呂なり食事なりでねぎらってやるぞ」
アイバクが「けっ」と吐き捨てる。
「遅かったな、まったくよ」
立ち上がったアイバクは、急にふりかえった。
「おい、スッカル、俺が先でいいか? あんたは重いしな、かごの綱が切れそうだ」
スッカルはけげんに思う。
アイバクは笑っているが、その目はどこか底光りしている。
危険な目。
「おい、アイバク……」
「俺はとっとと外に出たいんだよ。なあ、譲れよ」
スッカルの返事を待たず、アイバクはかごに乗り込む。
かごは上へとたぐられていく。
天井に空いた、井戸を模した出入り口へ。
「そら、手をつかめ」
先ほどの覆面の王奴が、アイバクに手を差し伸べる。
それをがっちり握りながら、アイバクは、
「ところでひとつ聞き忘れたがよ、そっちの所属はどこだ。第四軍団か、第九軍団か?」
一拍の間。
覆面の王奴が目をほそめる。
「なぜ気にする。どちらでもミスル軍だ」
「悪いな、もうひとつ。なんで縄ばしごじゃなくかごなんだ? ひとりずつ引き上げてどうしようってんだ? 出す片端からひとりずつ刺し殺していくつもりだからか?」
そのやりとりに、下で見上げていたスッカルたちは身を引き締める。
“しまった。気を抜いてた”
もちろん所属がどちらでも同じなどでは、ない。
スッカルは前者に恨みを買っている。
アイバクがせせら笑う。
「俺は性格がとびきり悪いんでね。親切にされるとまず疑っちまう。でもおかげで、相手がこっちをだまそうとしてるときの甘い言葉はだいたい見抜けるぜ」
覆面の王奴が自由なほうの手で剣を抜き、アイバクに突き下ろそうとする。
その前にアイバクはかごから飛び降りている――相手の手をがっちり握ったまま。
覆面の王奴とアイバクがもろともに落下してくる。
もろともに床に叩きつけられて痛みのうめきをあげる。
が、より軽傷であったのはアイバクだった。かれは即座に、相手の剣をもった手首をつかんで組み敷く。
「スッカル、手を貸せ、人質にするぞ!」
得意げに顔を上げたアイバクの表情が苦痛にゆがむ。
矢がその背中にどんどん突き立っていく。
井戸の口から第四軍団の王奴たちが射ってきたものだ。
覆面の王奴も目を剥いてびくんとはねる。かれの目と目のあいだにも矢が突き立っている。
味方を巻き込むことをいとわない、なりふりかまわない矢の嵐。スッカルたちが近づくこともままならない。
それからふたりの体の上に、続々と第四軍団の王奴たちが飛び降りてくる。
剣を抜き、前へ進み出ながら、かれらは冷酷に告げる。
「ジューグンダール様からのことづてだ、叛逆者スッカル。
売国奴は売国奴らしく、暗い穴のなかでぶざまに死ねと」
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