第7話 ドゥーリー


 スッカルは床のクッションに座って早めの夕食をつめこんでいる。

 大きな体でがっつくさまは、飢えた野獣さながらだ。

 と、かれはじゅうたんに並べられた美食のうち、バナナの葉を皿にした一品を指差して文句をつける。向かい側に座っているドゥーリーに。


「この揚げた魚腐ってないか。変な味がしたぞ」


「そんなはずは……いえ、そうかもしれませんね。ただちに取り替えさせますよ」


 とぼけようとしたが考えを変え、ドゥーリーは指を鳴らして即座に皿を下げさせる。「おまえも食ってみろ」といわれたら一巻の終わりだ。人生が。

 しかし、それでもいいかもしれない。近頃のドゥーリーの人生は悪夢と化している。かれの別荘に、スッカルは毎日飯をたかりにくるのだ。


「そういや、水の振り売りの仕事をありがとうよ。難民たちも日銭を稼ぐ仕事にありつけて一息ついてるぜ」


「いや、礼なんか……」


「そうか? それじゃ今後もよろしく、ははは」


 この野郎、貴様をかならずケバブにして、この俺みずからパンにはさんで食ってやる――ドゥーリーは屈辱にわななきながら誓う。

 いまのドゥーリーは難民を追い出すどころか、スッカルのいいつけで日々の仕事を斡旋させられている。「話が違うぞ」と叔父の市場監督官はじめの表の一族衆から責められて、げっそり頬がこけていた。ほんとうに自分で毒をあおりたいくらいだ。


 悪夢が終わることを期待して、かれはもう一度だけスッカルの毒殺を試みる。


「さあスッカル殿、ぜひ一献」


 かれは後ろに置いてあった陶器の瓶をとりあげ、玻璃の酒杯に手ずからぶどう酒をそそぐ。

 その酒には、事前に猛毒を仕込んである。


「酒はいまいち好きじゃない。だいたい聖典じゃあまり飲むなと書いてあるだろ」


「そんなことおっしゃらずに。ぶどう酒の名産地ヘラスギリシアから取り寄せた逸品なんですぜ。値段のほうも張りました」


「しょうがねえな、飲んでみるか」


 スッカルが杯に口をつけるのを、ドゥーリーはまばたきもせず凝視する。

 飲め、飲め、飲め、飲め、飲んでくたばりやがれ。その象をも一口で殺す毒を買うには、酒よりよっぽど法外な値段がついたんだ――これ以上なく真摯な願い。

 ところが、飲み干していつまで経ってもスッカルに死ぬ気配はない。


「やっぱりあまり美味しくないな。ぶどうはジュースにしてくれるほうが嬉しいね」


 かれは厚かましくも「明日は鶏肉がいいと料理人によろしく」と注文をつけ、ぴんしゃんした足取りで帰っていく。厨房から勝手に羊の頭までもっていった。

 ドゥーリーは罵声を吐き散らしながらぶどう酒の瓶を壁に投げつけて割る。


「どうなってんだあの野郎!」


 まちがいなく毒を盛った。今日だけではない、何度もだ。

 それなのにスッカルはけろりとして帰り、翌日また来る。

 もしかしたら偽物の毒をつかまされたのかと思って犬に舐めさせたら悶死した。つまり毒は本物だが、やつには毒が効かないのだ。


霊薬アル・イクシールでも飲んできてんのか!」


 すべての傷を癒やし、すべての毒を解する薬。

 薬の王エリクシール

 もちろん、おとぎ話の存在のはずだ。

 詰め所で様子をうかがっていた手下たちが、荒れ狂うかれのもとに来る。


「無理ですよおかしら。あの王奴野郎、魔王シャイターンの加護があるにちげえねえ」


「だまれ、ぼんくらども! そろそろ闇討ちを成功させろ」


「おかしらの命令通り、寝込みを何度も襲ったじゃないですか。夜道でもやりました。でも歯が立たないんですよ、寝てたはずなのに一瞬で起きるし、矢で狙っても射程範囲外からもう気付かれるし、斬りかかっても素手で叩きのめされるんですよ。俺たち完全に遊ばれてまさ」


「殺されないなら安心だろ。刺し違えるつもりで何度も挑め」


「命取られないだけで、痛めつけられはするんですよ。骨折られたり金玉片っぽ潰されたり。もうあいつを闇討ちしようとするのはうんざりです」


 包帯を巻いた手下たちが涙目で訴える。


「くそが」ドゥーリーも泣きたい。


 直接手出ししても、本気すら引き出せずあしらわれる。

 かといって、ふたたび人質をとろうとするのは危険すぎる。

 ヒュリヤという女は死ななかったようで、ドゥーリーの娘はほどなく無事に返された。だがスッカルはこの件を忘れてくれなかった。『人質のとりあいをまたやろうとするなら、次は殺すぞ』とドゥーリーは釘を刺されている。


 むろんドゥーリーはあがいた。

 町の門から妻子をこっそり逃がそうとしたこともある。

 ところがその日の夕刻、砂漠に送り出したはずのラクダ隊が戻ってきた――スッカルに連れられて。蒼白な妻子としょげきった護衛隊を背後に引きつれたスッカルは、馬にまたがってにっかり白い歯を見せ、


『追跡のしかたは心得てるんだ。こそこそこういう真似をするのはおしまいにしろよ、ドゥーリー。おれもあんまりご婦人方を怖がらせたくないんだ。おれとおまえが揉めなけりゃ、彼女らが怖い思いをすることもないだろ?』


 ドゥーリーは頭を抱える。


「あの野郎、魔王の加護というより魔王そのものじゃねえのか」


 領主がいなくなったこの町で、かれは暴力を一手ににぎって君臨するつもりだった。

 あにはからんや、いまのかれの立場は、町の裏の支配者から一転してしゃぶりつくされるカモだ。


 スッカルという王奴の若造はたったひとりで、ドゥーリーの組織を食い物にしている。宿や料理屋のつけを肩代わりさせられ、折にふれて小遣いをせびられ、気分次第で雑用をいいつけられ……屈辱すぎてもう涙も出ない。

 面子はこっぱみじんである。一族以外の市民たちは、これまで我が物顔で町をのしあるいていたドゥーリー組の惨状ににやにやしているに違いない。今後十年はこの件でひそかに笑われるだろう。


「あの野郎が出ていってくれることを望むしかない。だいたいあいつはミスルの王奴様だろ。なんでこんなところにいやがるんだ、ミスルのやくざをいじめてろよ」


 ぶちぶちと文句をいう途中で、ふと気づいてドゥーリーは考え込む。


「そういえばあいつが王奴なら、とうぜんミスル軍所属のはずだ」


 ドゥーリーの頭がいそがしく働く。


 スッカルは二ヶ月前からカラクの町にいた。

 警士として雇われて、市場の片隅に突っ立っていた。

 ミスル軍がかれをカラクに派遣してきたと考えるのが普通だろうが、なんのために?

 シャームの田舎までことごとくミスルの領土にするためか? 支配させるために……

 ひとりきりで?


「ないな。やつがいまやってることは、このドゥーリーさまにたかることだけだ」


 スッカルは現在、ひとりでこの町最大の暴力だが、町を乗っ取るような素振りは見せない。たいしてこの町に執着もしていないようだ。いまカラクを出ていかないのは、かれが出ていけば難民たちがドゥーリーに殺されるからにすぎまい。

 統治させるためでないならなんのためだろう。

 密偵?


「あんな目立ちまくりの密偵がいるわけがねえ。なんの秘密がこの町にあるってんだ」


 休暇中の王奴? 王奴軍に休暇などというものがあるのか知らないが、どのみちそれもない。ミスルはいままさにシキリーヤ王と戦争しようとしている。あんな凄腕の兵をひとりとして遊ばせておくはずがない。

 結論。

 スッカルがミスル軍によって公式に派遣されてきた王奴だとはどうも考えにくい。


「問い合わせてみるか……おあつらえ向きに、ミスル軍はこっちに遠征してきてるし」


 よしんば公式派遣であったとしても、それならそれでスッカルが好き勝手していることをミスル軍の上のほうに訴えればいい。


「だれが代わりに来てもあいつよりましだ。あいつだけはもう面を見たくねえ」


 そしてもし……。


「もしもあの野郎が、逃亡した王奴だとしたら……」


 やつれていたドゥーリーの顔に喜色が広がる。


「こうしちゃいられるか、叔父貴に話を通すぞ! 表の組合からミスルの王奴軍に書状を送らせるんだ、あいつを引き取ってもらうために。

 あのクソ野郎がはぐれ王奴だった場合、ひょっとしたら王奴軍があいつを殺してくれるかもしれん」


 ひとりの王奴が手に負えないなら、ほかの王奴の力を借りればいい。

 この思いつきにドゥーリーは有頂天になる。


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