第22話 闇中の祈り
死を宣告されるが、スッカルは表情を変えない。
冷静になれるかどうかで生存確率が大きく変動すると、かれは経験上よく知っている。
まず現状把握。
カラトとシャオフーはそれぞれ左右の壁に寄りかかり、傷を押さえている。まちがいなく深手で、カラトの首からはすごい勢いで血がほとばしり、シャオフーの腹からはぬるぬるした何かがはみ出している。
“戦線復帰は無理だな”
霊薬で助けられるかもしれないが、いまそんな余裕はない。
つぎにかれは敵を、特に双剣の王奴ザーヒリーを分析する。やりにくい敵と認めざるをえない。
“こいつは強い。そして己の強さに溺れていない。自分を群れの犬の一頭だとわきまえてやがる”
王奴のあるべき戦闘姿勢。
犬の群れ。
名誉を捨て、仲間と連携して役割を果たす存在。
強敵だ。
第四軍団の王奴たちは、ザーヒリーの背後で弓に矢をつがえ終えている。
次はよく狙って射てくるだろう。
弓に向かってスッカルが突進しても、途中でザーヒリーがまちがいなく阻むだろう。スッカルはかれと斬りあって負けるつもりはないが、すぐに片付けられる弱敵ではない。
率直なところ、
ただし盤面をひっくり返す望みが完全に断たれたわけではない。
助かる可能性は少しだけある。
スッカルはそれに賭ける。最後まであがくのがかれの主義だ。
「ジッリー」
ただひとり残った部下に声をかけると、腕から矢を抜きながらジッリーがスッカルの横に立つ。
たいまつを捨て、カラトの手放した鎚矛を拾って。
「やだねえ、矢ぶすまの最期かよ」
かれは愚痴を垂れ、「ま、しょうがねえか。戦って死ぬさ」とすぐ割り切る。
「豹の寮であんたに命を守ってもらわなきゃ、ずっとまえに死んでたしな。ここまで永らえただけで上出来だ。妻のことだけ心残りだが……」
「アリーチェに肩を貸して、おれを盾にする位置に入れ」
命じると、ジッリーがいぶかしげに眉をひそめる。
だが聞き返すことはない。かれは床のアリーチェを起こしてスッカルの後ろに回る。
上官からどれだけわけのわからない命令を受けても、危機のときは疑問をはさまず速やかに従う。ジッリーはそういう王奴だ。
かれらの動きに、ザーヒリーが問いかける。
「祈らなくていいのか? ……それはなんのつもりだ? 貴様が死ねばすぐそいつらも死ぬが」
無意味にもほどがあると侮蔑の目。
立ちはだかって体の正中線の前に大剣をかざし、スッカルは笑う。
「さあね」
「そうか。射て」
ザーヒリーが命じる。
次の瞬間、ためらいなく矢が幾本も放たれる。
すべてがスッカルの胴体に命中。
王奴の射手たちが新しくつがえる。また斉射。
それも命中。
アリーチェがかすれた悲鳴をもらす。彼女の前で、スッカルの大きな体に矢が突き立っていく。
それから、驚きと感嘆が第四軍団の王奴たちの目に浮かぶ。
「めちゃくちゃ痛えな、くっそ……」
閉じていた目を片方だけ開き、億劫そうにスッカルが口を開いたから。
ありえないことが起きている。
死人は口を開かないはずだ。
そしてスッカルはどう見ても死んでいなければおかしい。かれの総身に突き立った十五、六本の矢傷からは血が滴っており、頭部や心臓への矢こそ大剣が防いだものの何本かは急所を貫いているのだ。
「倒れもせぬか。尋常でない生命力だな」
呆れ果てたといったようにザーヒリーがつぶやく。
ザーヒリーは歩み寄ってきて、スッカルの胸に双剣の一本を突き刺そうとし、
「だれが死ぬか。寝言吐いてんじゃねえよ」
笑ったスッカルの斬撃を浴びる。
双剣を交差させてザーヒリーは大剣をあわてて防ぐ。
唐竹割りを真っ向からおしとどめた体勢。
片眉を上げてザーヒリーは聞く。
「……なんだ、貴様? グールにでもなっているのか?」
「“霊薬”を飲んでるもんでな。死んでたまるかよ、この程度で」
落雷のごとく、場の全員の意識に響きわたる発言。
第四軍団の王奴たち、脇腹をおさえた虫の息のシャオフー、ジッリーとアリーチェ……だれもが驚愕のまなざしをスッカルに集中させる。
鍔迫り合いしながらスッカルは、ザーヒリーに顔を近づけ、
「取り引きしないか、〈刃舞手〉」
「取引だと?」
「おれたちを見逃せ。かわりに霊薬の秘密を教えてやるよ」
ザーヒリーは何もいわない。ただスッカルをにらんでいる。
スッカルはささやく。
「グール腫への特効薬にして予防薬だ。感染の疑いでジューグンダールに始末されることはなくなるぞ。それにあれだ、エヴレム・カンと戦うためには必要じゃないか?」
「そうと知っていままで隠しておくつもりだったのか、貴様」
冷ややかにザーヒリーはいい、
「いいだろう、貴様は生かしてやる。
ただし取引ではない。拷問を受けて洗いざらい吐け。死なないなら責め甲斐もあろうというものだ、ジューグンダール様がことのほかお喜びになるだろう。ほかのやつらはここで死ね」
「じゃあ決裂だな」
スッカルがいうと、ザーヒリーが呆れの目を向けてくる。“ここからどうにかなると思っているのか?”といわんばかり。
それも無理はない。スッカル自身、刻一刻と力が抜けていくのを感じている。いまのかれはやせ我慢の極地にいる。いまなお矢がかれの肉に深く食いこみ、血管と神経を寸断し、臓腑をうがっているのだ。霊薬によってその傷は再生していくが、矢を引き抜かないかぎり激痛も出血も止まらない。
鍔迫り合いの均衡はまもなく崩れるだろう。
肺からあふれた血が気管に上がってきて、スッカルは強くむせこむ。
大剣が双剣にぐっと押し戻され、奴犬が横からスッカルのふくらはぎに噛み付く。
しかし、
「ど……どうにかなるもんだよ、〈刃舞手〉」
血まみれの唇で、スッカルは微笑する。
左目を閉じたまま。
かれは感じ取っている。賭けに勝利したことを。
すなわち体を張った時間稼ぎが奏功したことを。
奴犬がスッカルのふくらはぎから口を離し、耳をぴんと立てて顔を上げる。
“こいつらは奴犬を放った。奴犬を操るためには犬笛を使う。犬笛の音は人の耳には聞こえないが、あいつなら……”
「おれにも群れはいるんだぜ。紹介するよ、豹隊の突撃手だ」
スッカルがいったとき、盤面がひっくり返る。
奴犬が吠えはじめる。警告のために。
それももう遅い。
曲がり角の第四軍団の背後――
地下墓地のほうから通路を疾駆してきて、
速く、あまりに
疾風あるいは紫電のような。
ライムーン。
空中で、琥珀金の瞳が一瞬にして戦況をとらえる。
彼女の右手には剣がある。
驚愕しながらも、敵の王奴たちの反応はけっして遅くはない。
だがその反応速度をもってしても、ジン族の急襲になお遅れをとる。
乱れ斬りの華が咲く。
それはライムーンが第四軍団の至近で咲かせたものだ。先ほどザーヒリーが豹隊にやったように。
まず切られたのは、人ではない。
第四軍団がかかげていたたいまつだ。
斬り飛ばされたたいまつの先がスッカルたちのほうに飛んでくる。はっとしたジッリーがそれに飛びついて火をふみ消す。
完全な闇がその場を支配する。
闇のなかで人は獣に勝てない。
同じように、ジン族にも勝てない。
ジンの夜目は人よりはるかに利くのだから。盲人と目明きが斬り合うようなもの。
闇のなかで、虐殺がはじまる。
スッカルは感じ取る。
かれと鍔迫り合いしているザーヒリーの刃から伝わってくる変化を。
その強い動揺を。恐怖を。
ついにザーヒリーがとびすさって鍔迫り合いから逃れる。
スッカルは閉じていた左目を開ける。
ほんのわずかだけ、
それは先に目をつぶっていたスッカルの側に宿る、数瞬だけの優位。
その数瞬でじゅうぶんだった。
“舞う足が止まってるぞ、〈刃舞手〉”
刃風を立てぬよう、ゆるりとスッカルが剣を伸ばすには。
長い腕と長大な剣が、気配のない槍と化す。
とすんと剣先がザーヒリーののどに突き立つ。
尋常でない技巧がなしうる、静かな一刺し。
「が……がが……」
第四軍団百奴長の、断末魔のうめき。
双剣でスッカルを斬ろうと、その腕がぶるぶる震えて持ち上がる。
スッカルは大剣をぐりっとねじる。びくんとザーヒリーの体がはねる。
「唯一の神がなんじの魂を憐れみたまわんことを」
血でむせてしゃがれた声で、スッカルは祈ってやる。
敵手のために。
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