第3話 拉致



 三十三歳のドゥーリーは、自身を周到な男だと考えている。

 そういうわけでかれは、まず手下の主だったものすべてを自分の「仕事場」――町はずれに持っている乾物の貯蔵庫――に集めた。


 町中の豪奢な自宅ではない。かれは家庭と仕事を徹底して分ける。自宅には妻子がいて、ドゥーリーは彼女らに自分の仕事を見せたくない。反抗的な奴隷を鞭うったり、頼まれて拉致しただれかののどをかき切ったり、その死体の内臓を抜いてミイラ加工するような仕事の光景は。ことに娘には、悲鳴ひとつも聞かせたくない。


 手駒を集めたら、つぎには計画。

 若い女をひとりさらった。難民のまとめ役の男、その一人娘だ。

 親の情をドゥーリーは知っている。かれの娘はまだ幼く、かれは娘を溺愛している。

 だからこそかれは子を狙った、効果的だとよくわかっているから。

 良心の呵責はとくになし。

 家族は家族で、仕事は仕事だ。

 どれだけひどい目にあわせようが、その女はつまるところ自分の娘ではない。


 とはいえ、すぐ輪姦まわしていいかと手下たちがたずねにきたとき、ドゥーリーは首をたてに振らなかった。


「少しくらい待て、ばかやろう」


 燭台の火が倉庫内をかぼそく照らし、その下には縛られて猿ぐつわをかまされた難民の娘がぐったり横たわっている。壁際に山とつまれた塩の袋のあいだだ。

 倉庫中央で、水鳥の羽毛をつめた寝台に寝そべり、ドゥーリーは周囲の男たちに指示する。


「あの舐めくさった若造がもうすぐ来る。念入りに袋叩きにして、俺が帰ってからお楽しみにしろ」


 だいたい折られた脚が痛すぎて、ドゥーリーは今夜は腰を振るどころではない。いつもなら、頭であるかれが女への一番乗りを果たすのだが……手下たちが楽しんでいるのを横目に見ながら、苦痛をまぎらわすぶどう酒をあおっているだけなのは面白くもない。


「その若造、来ますかね。尻を蹴られた猫みたいにすごい勢いで逃げてると思いますよ」


「ハンバルを使いに出した。あいつならでかさで負けてないし、腕っ節や荒事の経験はあんな若造とは比較にならないはずだ。引きずってこれるだろう。よしんばそれでも逃げられてたら……それを口実に難民どもを始末してやる。ほんとは俺の個人的な恨みより、そっちが優先だからな」


 その場合、自分は脚ひとつを代償に、叔父貴の依頼を完遂したことになる。たまには親戚とのつながりも大切にせねばならない。


「よく聞け、おまえら。このカラクの領主を兼任してるシキリーヤシチリア王は、もう戻ってこねえ。

 ミスルがついに本気の軍を出した。二軍団で東進してきて、シキリーヤ王がたてこもる聖都アル・クドゥスイェルサレムを攻めるそうだ。

 こうなっちゃあの十字教徒どももひとたまりもねえだろうよ。いまごろ船で逃げようと港町へ馬を走らせてんじゃねえか?」


「ほんとですか。やれやれ、あいつらがいきなりやってきて以来たった一年のつきあいでしたが、十年ぶんは税を搾られましたぜ」


 けたくそわるい異教徒の支配がやっと終わる。そう聞いて、手下たちの顔色も晴れやかなものとなる。悪党でも全員が唯一神教徒だ。


「話は最後まで聞け。領主はもう消えたも同然だ。そうなると、いちばん実力のある一族がこのカラクを切り盛りすることになるのさ」


 どこの家がもっとも実力があるか。そんなことは町のだれもが知っていた。今でさえドゥーリーの家はカラクの「表」つまり商人組合を牛耳っている。「裏」ではドゥーリーをごろつきたちの頭目に据えてまとめあげているのだ。

 愉悦でくくと笑いが漏れる。


「そうなったら、俺は警察署長に収まる手はずになってる。おまえらも町の鼻つまみ者から治安を守る警士に転職するというわけだ。これからは多少は行儀よくしろ。女とやろうってときも、あれだ、紳士の余裕と気品を心がけろよ。がっつくんじゃねえ」


「やることは同じじゃないですか」


 どっと手下が笑い出す。脚の痛みも忘れ、ひげをしごいて得意げにドゥーリーは続ける。


「まあ、あの野郎は逃げずに来ると思うぞ。おせっかい屋のようだったからな。ああいうやつは半端な情け心で地獄に転がり落ちるんだ」


 そういうことにドゥーリーは鼻が利く。まちがいなくあのスッカルという野郎は、難民の娘を助けようとするだろう。そうなれば殺せる。どれだけ腕に自信があるか知らないが、こちらは四十人近くにこん棒や刀で武装させ、弓やいしゆみまで持ち出しているのだ。


 計画の実行のかたわら、調査。

 あの若造の身元を調べる。流れ者でも、なにかわかることはあるはずだ。万が一、酔狂で家出し、武者修行としゃれこんでいる金持ちのお坊ちゃんだったりすれば……捕えたあと、これは新しい儲けの種になる。

 やがて夜も更け、あちこちの店や売春宿が閉まったころ、聞き込みに放っていた手下たちが戻ってくる。


「おかしら。奴隷かもしれませんや、あいつ」


「なに?」


公衆浴場ハンマームであいつと同席したやつらに聞きました。奴隷の入れ墨が胸にあったそうです。主人が近くにいる様子はないですし自由民みてえにふるまってるから、逃亡奴隷か、解放されたもと奴隷でしょうな」


 そうと聞いて、ドゥーリーはいっそう腹を立てる。


「奴隷の分際で大きな面をしやがって、俺の脚を折りやがったのか!」


「逃亡奴隷なら主人にひきわたせば礼をもらえるかもしれませんよ、おかしら」


 さっきまでは似たようなことを考えていたが、ドゥーリーはいまや頭に血が上っている。


「ふざけるな、生かしておく選択肢なんぞない。殺っちまわなきゃ気がすむものか」


 おお怖とその手下がひっこんだあと、別の手下が報告する。


「あと、ミスル国からきた嫁がいる青物屋の親父が証言を。あいつの言葉のちょっとしたなまりはミスルのものだそうです」


 ごろつきたちのひとりが仲間の報告に茶々をいれる。


「ミスル人の奴隷かよ。そして腕っ節がまあまあか。おいおい、そりゃ王奴じゃあるまいな」


 一座の爆笑。

 それからとつぜん、戦慄が全員を襲う。

 笑い声がじょじょに絶えて沈黙が舞い降りる。

 ごろつきたちが互いに目を見交わしはじめる。

 考えていることはみな同じ。“ほんとうに王奴だったら?”


「みんな、なに急に黙ってるんだ」


 手にした弩をかざして、イナブという手下ひとりが笑う。まだ十八歳の腕自慢で、世間知らずなところがある。

 人質を拉致してきたとき、女の母親が組み付いてきたから刺し殺してやったと吹聴していた。

 ほかのごろつきが恐懼きょうくを面に出してイナブにいう。


「おまえ、王奴を知らねえのか」


「名前は知ってるよ。奴隷兵だろ、それがどうした」


「使い捨ての戦争奴隷じゃねえんだぞ。専門の教育をふんだんに受けた軍人だ」


 手下たちの会話にドゥーリーはいらだち、腕で寝台を叩く。


「やめろ。シキリーヤ人どもと戦うはずの王奴が、聖都をほっぽってこんな小さな町に来てるわけがあるか。おい!」


 浴場で聞き込みをしてきた手下をドゥーリーはもういちど呼び、


「奴隷の印にもいろいろあるだろうが。主人の名前か、国の名前か、はたまた三日月型か馬蹄型か? それで出自のあたりがつけられるはずだ」


「星の形だそうで」


 ぴたりとドゥーリーは口をつぐむ。

 星の印。それも奴隷に使われる印には違いない。

 だがもしも「アル・カーヒラの五芒星」だったら、王奴だ。

 そして、ハンバルがまだ帰らない。




 王奴。

 それは唯一神教世界でもっとも富強な国ミスルエジプトの奴隷兵だ。

 同時に、支配階級だ。


 ミスルは幼い少年たちを奴隷商人から買い上げて、一律に軍事訓練をほどこす。能力や適性のない者は脱落し、そなえた者は出世の階段をかけあがって奴長アミールの称号持ち――貴族であり将――となる。

 税を取る土地を与えられ、奴隷の身で平民を支配する。


 実力と功績が抜きん出た王奴は、やがてはミスル王や、その候補である十二人の大アミールの地位を狙うことができる。

 ミスル王や大アミールたちは、みずからの兵とするため新しく奴隷を買い、育て……「奴隷が国の支配階級」という奇妙な制度が続いていく。

 奴隷みずからが支える強大な奴隷制。


 王奴の特徴は、以下のみっつとされる。

 強さ。

 忠実さ。

 残忍性。

 かつては火炎天使ジン族と戦う役目であったという、伝説的な戦士たち。


 爪を噛み、あのクソ野郎が王奴ではありませんようにとドゥーリーは唯一の神に祈る。


 悪党の祈りを唯一の神は黙殺なされる。

 「あのクソ野郎」が王奴だというさらなる裏付けを、町に残していた最後の手下がもたらしてくる。

 緊急の凶報として。


「火事だ! 町で火事です」


「いま火事など知るか、それは叔父貴たちが片付けることだ! 表の顔役どもの責任だ」ドゥーリーは怒鳴る。王奴かもしれない男の襲撃を迎えうつことで頭がいっぱいになっている。


「でも、燃えているのはおかしらの館です」


 寝台の上に横たわっているにもかかわらず、ドゥーリーはぐらりと体がかしぐのを感じる。


「あの燃えっぷり、油をまかれて火をつけられてます。麻薬ハシーシュの貯蔵室も債務者どもの借金証書も、まっとうな仕事しのぎの帳簿も火に呑まれてます。地下室に置いてあるぶんは早く火を消せば助かるかも……はやく戻って表衆の火消しを手伝わなきゃ」


 手下の声が奇妙に遠く感じる。


“俺の館?”


 自分の間抜けさにドゥーリーは気づく。

 兵隊のほとんどを、守るべきものから引き離している。

 家庭と仕事を分離しようとした結果だ。


 予想していなかった。

 やり返されることを。同じ手口での、徹底的な反撃を。


 これまではだれもドゥーリーとあえて事をかまえようとしなかった。かれは生まれの良さのたまもので、町のささやかな裏社会の権力を独占してきた。表の顔役たちとも昵懇だ。かれはつねに捕食者側、攻撃して食い物にする側であって、守るという発想に乏しかった。

 いま、よそから来た別の捕食者が、その油断につけこんでいる。


 かれの館には妻と愛妾たち、家内のことを任せる女奴隷ジャーリヤたち、一人娘、それから去勢した忠実な男奴隷アブドが、守衛として五人いる。

 五人の屈強な守衛。通常の防犯ならばじゅうぶんなはずだったが……スッカルという男はあっさり突破したようだった。


「俺の家族はどうした」


 呆然と口にした質問に、手下は蒼白になったまま答えない。


「確かめずに戻ってきやがったのか!」


 わめくと、丸めた紙が差し出された。


「これが……近くの壁に打ち付けられてました」


『ドゥーリー・ハサン・ムスターリーに』と仰々しくドゥーリーの名が書かれてある。


 紙をひったくって、ドゥーリーは目を走らせる。


『おまえの家族は生かしてある』


 最初の一行にドゥーリーは深い安堵を覚える。安堵した自分に強い憎悪を覚える。

 ただし、次の一行で安堵は霧散する。


『われわれの天秤は釣り合った。おまえらがシャイク・アークの娘にすることは、おまえの娘がされることだ』


「娘は五歳だぞ!」


 悲鳴をあげてドゥーリーは紙を握りつぶし、わななく指でまた広げる。


『シャイク・アークの娘を解放して返せ。そうすればおまえの娘も返す。

 夜明けまでにその隠れ家を出、人質を連れて町に戻れ。

 以降の文はお仲間ぜんぶに教えてやれ。おまえらの家々も、おまえらの砂糖工場も製紙工場も、売春宿もついでにケバブ屋も、今夜のうちに火をかける用意ができている。がら空きの巣を襲うほどかんたんなことはない』


「この野郎は狂ってる」


 うめきながらもドゥーリーには、町に戻る以外の選択肢がない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る