第2話 王奴



「くびだ!」


 市場監督官ムフタスィブの老人はつばを飛ばしてがなった。かれの家に呼びつけられて解雇をいいわたされたスッカルは、一応弁明する。


「正当防衛ですって。あっちは刃物抜いてたんですよ」


「余計なことに首をつっこむからだろう!」


「市場の警士として雇われたんですよ、おれは。ああいうごろつきを取り締まるのが役目じゃないんですか」


 カラクの町の市場監督官は、糸が切れたように椅子にがっくり座り込んだ。顔をおおって力なくいう。


「あんたに頼んだのはこの市場を泥棒や怪しい輩から守ることだ。あの難民どものようなな。甥の脚を折ってくれなどと頼んじゃいなかったぞ」


「……甥? ドゥーリーが、あんたの?」


 その言葉でスッカルはぴんときた。裏のからくりに。


「ああ、そうか。あんたがドゥーリーを難民たちにけしかけたんだ。カラクから立ちのいてほしいから」


 市場監督官は顔を上げて腕を広げる。


「しかたあるまい。うちの町のためだ。わしとて難民たちを気の毒と思わないわけではない。だがな、暴れまわってるキプチャク人どものせいで、遠くから逃げてくる戦争難民はこの先どんどん増える見込みだ。甘い顔をしたらよそ者はどんどん増えていく。寄りつかれないよう厳しくせにゃならん。甥は悪党だが、そういう役回りにはぴったりの男だ。

 住み着こうとするよそ者はいらんのだ」


「俺もよそ者ですが」


「あんたは別だ、力の強い若い男は働き手として役に立つ。それに業腹だが、甥の脚を折ってのけた手際はたいしたものだ。あんたのような価値のある者ばかりだったら難民にもなにもいわん……が、連中はほとんど老人と女子供だ。

 いいか、あんたをくびにはしたが、撤回してやらないでもない。

 ついていってやるから甥に頭を下げに行け。怪我をしたあれの手下になって難民どもを追い払うんだ。ちゃんということを聞くならこの先も雇ってやる。わしが責任をもって甥には手出しさせん」


 スッカルはちょっと考えた。

 たぶん市場監督官は親切心でいっているのだろう。

 だが、


「いや、どうせそろそろ次の町に行こうかなと思ってたので……お世話になりました」


 かれは自分の感情に正直な男だった。

 ドゥーリーの手下になって難民をいじめるというのは、かれの性に合わない。

 聞くに堪えない罵声とともに、市場監督官が律儀にも日数分の給料の袋を投げてくる。


「唯一の神はなにとぞきさまに金輪際ご加護を与えたまわぬように。とっとと消えろ!」ふと眉をひそめ、「水と食料はあるのか? 調達していますぐ町を出ろ。シャームシリア砂漠を渡って可能な限り遠くへ逃げろ。甥の手の者があんたを殺しに行くぞ」


「心配してもらってありがとう。あんたに神のご加護と平安がありますように」


“この人、口は悪いがけっこうよくしてくれる雇い主だったな”


 給料袋を拾って監督官の家を出、スッカルは暗くなった空を見上げた。


“おおむね悪くない町だった。だから、そろそろ放浪に戻らなきゃな”


 その土地に愛着が湧くたびに、スッカルは旅の身に戻る。


『甘いスッカル。砂糖スッカルの名の通りに甘いスッカル。君はその甘さで損ばかりしているぞ。気分で動くな、すぐ人におせっかいをするな、そして、誰も信じるな』


 かつていわれた警告の言葉。そばにはいない乳きょうだいの声が、記憶の底から浮かんでくる。


“ライムーンは元気だろうか”


 ぼんやり思ったときだった。


「おい、止まれ」


 声をかけられてスッカルはふりむく。

 街区の暗がりの奥から、ふたつの人影があらわれる。

 片方は肩をそびやかした大男だ。背丈はスッカルと同じくらいあるだろう。胴回りはややでっぷりしているが、腕の太さは遜色ない。


「そら、いうべきことをいえ、老いぼれ」


 大男はその屈強な手でもうひとりの腕をつかんでいる。半ば引きずるような歩かせ方。


「助けてくれ」


 弱々しい声を出したのは、昼間ドゥーリーにからまれていた難民の老人だった。顔の半分がひどく腫れている。あえぎながら非難と懇願を吐き出した。


「ああ、あなたのせいだ……いや違う、おねがいだ……頼む、いっしょに来てくれ……」


“なるほど。そうきたか。ドゥーリーの腐りっぷりを甘く見ていた”


 スッカルは口の両端を下向きにひんまげる。なにがあったかは想像がついた。任侠アイヤールという輩のやることは相場が決まっている。しかし想定したなかでもっとも陰湿な手できたようである。

 ドゥーリーはどうやら自分でいったとおり、屈辱を忘れない男のようだった。スッカルと難民たち、両方を片付けることにしたらしい。


「なにがあった、じいさんシャイク


「この人たちに妻と娘が……私の妻と娘だ! 妻が刺し殺され、娘が連れていかれた。井戸水を汲んでいるときにひきずっていかれた。娘を守ろうと妻は食い下がったが、短刀で……この人たちは、娘を助けたければあなたに来てもらえと……」


「全部おまえの責任だぞ、よそ者。落とし前はおまえがつけるのが筋道だよな」


 大男が冷笑を浮かべていいはなつ。


「さあ、まずはいっしょに来い。町外れに、悲鳴をどれだけあげても周りに聞こえない場所がある。

 おかしらの前に這いつくばって詫びを入れれば、命だけは助かるかもしれんぞ。もしもおまえが逃げようとすれば、夜明けには結婚式ごっこをするぜ。花嫁はあまっこで、おれたちドゥーリー組の四十人全員が花婿って寸法さ。この老いぼれの娘に似合わずかわいい子でうれしいよ」


 老人はうつむいて震えていたが、大男が喜々として続けた言葉には悲鳴をあげた。


「全員がやりおわったら、のどをかき切って『薬』の材料にする。明日の夜からもその先も、毎晩ひとりずつ、この難民どもを同じように処分していく。スッカルとやら、逃げたいならそうしてみてもいいんだぜ。ただしその場合、だれかに落とし前をつけさせなきゃおかしらは納得しないってこった」


 薬と聞いてスッカルはげんなりした。

 たぶんミイラムーミヤのことだろう。


“ドゥーリーの野郎、噂通りほんとうに偽ミイラ製造業もやってたのか。奴隷の売買といいケバブ屋経営といい、最近の悪党は手広く商売してんな”


 異教の国々――十字教を信じる大内海北岸の諸国――では、古代ミスルのミイラは薬として高く売れる。異教徒の迷信につけこんで唯一神教徒の商人たちはたんまり稼ぐ。

 しかし、ミスル国はミイラの輸出を許可していない。よって売られるミイラの数はけっして多くはない。

 そこで商売の法則の一。品薄の人気商品は、かならず贋作が出まわる。

 ミスル国と隣接するここシャームの地では、ミスル産といつわって自作したミイラを売りつけるいかさま商法があるらしい。


「ちくしょう、あなたがドゥーリーの脚を折らなければ、ここまでひどい話には……」


 大男が腕を離すと、老人は震えながらその場にくずおれた。

 道端の角灯メムラクの火の下でよくよく見ると、老人というほどの歳ではない。やつれ、苦悩のしわが眉間に深く刻まれているため極端に老けて見えただけだった。

 かれに向けてスッカルはたずねた。


「じいさん、あんたの名前は?」


「あ……アークだ」


「シャイク・アーク、おれにどうしてほしい? ドゥーリーのところに行ってほしいのか?」


 のこのこ行けば、ほんとうにケバブにされるだろう。火であぶられて小刀で一寸刻みだ。シャイク・アークも、人を死に追いやる頼みだと気づいたのか、たちまち口ごもる。


「それは……そこまでは」だが大男がシャイク・アークの脇腹を蹴ると、かれはたちまち屈した。「申し訳ない、そのとおりだ。この人たちのところに行ってほしい。本当にすまない。だが、あなたが行けば娘は返ってくる。そして、この町から出ていくまでに猶予をやらないでもないといわれている……なあ頼む、行ってくれ。われわれみんなを助けると思って。あなたの冥福を唯一の神にずっと祈る、頼む」


「よし、黙っていいぞ、老いぼれ。このよそ者が死ぬとは決まってないんだぜ。おかしらによく詫びれば両脚を叩き折られるくらいですむかもしれん。

 よそ者、わかったらとっとと来い!」


 大男の怒鳴り声を聞き流してスッカルは少し考える。

 悪いがじいさん、自分たちでなんとかしてくれ――そう突き放すことは簡単だった。そのままさっさと町を出ればいい。ドゥーリーの手の者が追ってきても自分ひとりならなんとでもなる。しかし、そうすれば難民たちは殺されるだろう。そしてスッカルの気分はよくない。


 そう、気分がよくない。いま、すでに。

 というわけで、冷笑をスッカルは返す。


「町外れにドゥーリー組四十人が、か。この町の任侠はだいぶ平和ぼけしてんなあ。長いこと敵がいなかったようでけっこうなこって」


「なに?」


「戦争のやりかたも知らないってことだよ」


 ひるがえったスッカルの手の甲が大男の横面に当たった。

 頬骨が砕け、割れた奥歯が飛び散り、紙人形のようにきりきり舞いした巨体が横に倒れた。伏したままぴくりとも動かなくなる。

 シャイク・アークが目を限界まで見開いている。

 スッカルが一撃で片をつける瞬間を、かれはこれで二回見た。

 見下ろしてスッカルはいう。


「あんたの娘を助けられるかやってみよう。ちょっとあんたのお仲間を呼んでくれよ。男手は何人だ?」


「部族の男なら十六人……だが戦えやしないぞ、半数は老人と子供だ。その残りは体のどこかが不具なんだ。われわれは戦で役に立たないがゆえに、女子供を託されて逃がされた。四十人ものごろつきを相手にしたら勝てない……それに、歯向かう姿勢を見せたら即座に私の娘が殺される」


「戦うのはおれひとりでやる」


 スッカルは手をひらひら振る。


「ただし人質の管理が必要だ。それには人手がいる。従軍経験者がいるなら好都合だ」


「……人質?」


「取られたなら取り返しゃいい。そこの男はひとりめだ。しばらくは目をさまさないから、いまのうちにくくっときな」


 立ち尽くすシャイク・アークを置いてスッカルは歩き出す。時間を無駄にするつもりはない。

 目指すのは街の中心部だ。

 ドゥーリーはスッカルに対し、『おまえのことはいつでも調べられる』と言った。


 のろまな話だ。

 スッカルはこの二ヶ月のあいだにとっくに調べている。この町のだいたいの勢力を、その力の基盤を。どこが弱点かを。

 ドゥーリーが市場監督官の甥だということまでは知らなかったが、そのほかの知るべきことはだいたい知っている。

 最初から攻撃しようと思っていたわけではない。ただの軍人の本能だ。


 スッカルは軍人だ。

 ミスルの「王奴」だ。

 逃亡中だが。

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