竜王戦争

第31話 哀れみをこめて



 日没の砂漠は赤く明るい。

 残照と火炎と、光を反射する抜き身の刃のために。


「ウクタミシュ・ベイの糞馬鹿野郎!」


 スッカルは怒鳴って、伏せた姿勢から立ち上がる。

 かれは大波のように連なる三日月型砂丘バルハンのひとつを守っている。

 罵声を合図に、かれは二十名ばかりの豹隊の仲間とともに矢を降らせる。

 接近していた敵の部隊――キプチャク人の騎馬隊めがけて。かれらは環状の隊形で、乱戦の場を走り回っていた。

 そのうちの数騎を鞍上から射落とす。


 殺気だったキプチャクたちはそのまま突っ込んでくるかに見えたが、かれらの圧力の波はとつぜん引いた。

 豹隊が第二射を浴びせる前に、つぎつぎ馬首をめぐらし、怖気づいて砂丘から離れる――かに見える。


“うまい逃げっぷりだ、こっちも馬を引き出して追撃したくなるじゃねえか”


 スッカルは敵の後ろ姿の吸引力・・・に感嘆する。罠とわかっていても、むずと心が動く。


『戦場でぶつかる軍は咬み合う犬だ。どんなに劣勢な軍でも、残って戦うかぎり雄犬だ。ところが、背を向けて逃げはじめれば、たちまち発情期の雌犬に変わるのだ』


 むかし王奴学校で、教師役の老いた王奴に聞いたことがある――品のないいい方だが思えば的確だった。


『逃げる軍の尻は雄犬の本能を刺激する、煽る。だから追う側の軍は熱狂する。おぼえておけよ、軍のほとんどの戦死者は敗走するときに出るのだ。

 だがその本能を利用し、雌犬をよそおっておびき出すのが極めてうまい軍隊がいる。キプチャクら騎馬の民が代表的だ』


「念のためいっとくが追うなよ、死ぬぞ」


 というわけでスッカルは、アイバクやジッリーら周囲の部下たちに注意する。部下たちの舌打ち。


「追うわけねえだろ。馬上でふりむきながら射てくるのはやつらの常套戦術だってことくらい、頭に叩き込んでる」


「ならいい。奴ら、こっちが高所の優位をとってると見ていったん引っ込んだだけだ。気を抜くな」


 スッカルは警告し、燃える砂漠を見渡す。

 誰いうともなく「竜王戦争」と呼ばれはじめているこの戦の光景。


 シャームシリア砂漠のあちこちで火が踊っている。ぴょこぴょこはねる影絵さながらに、兵士たちがその前で殺し合っている。灌木の茂みを、砂丘にまばらに生えた草を、倒れ伏す死体を、緋色と真紅がのみこんでゆく。あたかも赤薔薇の園のよう。


 王奴が咲かせる、邪悪の花々。


 この火はウクタミシュ・ベイが配下に放たせたものだ。


『これまでの戦を分析するに、敵はまず騎馬部族キプチャクの兵でなだれこんでくる。私はシャームの牧草を、敵の馬のために残しておくつもりはない。

 やつらは草原の民であり、その軍の維持は草原から出ると困難になる。どこまでも広がる緑の地帯ならば、その大量の馬群をささえるのに頭をさほど悩ませずにすむが、ここは砂漠だ。

 やつらは馬の糧秣の確保に悩むだろう。解決するには、各地の城を落として莫大な穀物飼料を手に入れるか、貴重な牧草地を奪うかだ。

 だから、焼く。やつらの馬を飢えさせてやる。

 さいわい干ばつのために草には火が放ちやすくなっている』


 軍会議でウクタミシュ・ベイはそういってのけた。

 家畜の草を奪われる現地の民のことは、かれは問題にもしなかった。


 そして主の容赦なき命令を、第九軍団の王奴たちは忠実に、容赦なく徹底した。

 無数の小部隊が軍に先行し、焼き討ちと徴発を繰り返した。


 そういうわけで、本軍の先頭に立たされたスッカルたちの目の前に現れるのは、どこまでいっても不毛の砂漠か焼け野原だった。


『俺たちが割り当てられたこの行軍先頭の位置は、明らかに悪意があるぞ』豹隊の面々、ことに不平屋のアイバクはぶつくさいったものだ。『焼け出された民から恨めしげな視線を真っ先に向けられるのは俺たちだ。……それはどうでもいいとして、もしも敵が襲ってきたらどうするんだ? 最初にぶつかる羽目になるじゃないか』


『それをウクタミシュの野郎はお望みなんだろうさ』


“おれたちが損害を引き受けることを”


 スッカルの私兵、すなわち豹隊と旧シキリーヤ軍の混成軍は、総勢二千四百名。

 ウクタミシュとジューグンダールの両ベイに次ぐ第三の勢力だ。

 あくまでも実質は異教徒の軍にすぎず、ミスル軍にとって異質の存在。


 ウクタミシュ・ベイがかれらを利用し尽くすのは当然だった。

 かれはスッカルたちに、ミスル軍の前を行かせたのである。不測の事態にはおまえらが対処しろとばかりに。

 そして思惑通り、キプチャク騎兵と最初に激突することになったのはスッカルたちだった。




 後方に駆け去ったキプチャクたちの一隊は、スッカルがいったとおり、砂塵とともにすぐに戻ってきた。

 それを見た時、はじめて豹隊に動揺が走る。


「唯一の神よお助けを。キプチャクの連中、あれをおれたちにけしかける気だぞ」


 ジッリーが苦々しい声をあげる。無理からぬことだ。

 見えてくるのは、百体ばかりの人型のもの。

 水死体めいて白くふくれあがったぶよぶよの体。

 食人鬼グールたち。

 散らばらぬように、足首を鉄鎖でつながれている。


 その周りを牧人さながらキプチャク騎兵が誘導し、追い立てている。


「……身に着けている衣服の残骸からして、シャーム人だな。先日陥落したシャーム北部都市の住民のなれの果てだろう」


 観察したライムーンがいう。

 彼女の声もやや、いつもの鋭さを欠いている。戦慄を押し殺した態度。

 シャオフーが細い目の上の眉を寄せ、かすれた声で、


「よ……よくまあキプチャクども、凶暴なグールを鎖につなげたものだ」


「順番が逆だ、馬鹿が」


 アイバクが皮肉る。陰鬱に。


「ありゃ生きている捕虜を鎖につないでからグール腫に感染させたんだ。敵にはどうやら、人ではない者と人でなししかいないようだぜ」


 にわかにグールたちが自発的に歩きはじめる。

 砂丘の上のスッカルたちに反応している。グールは人を食らう魔獣であり、生者に飽くなき攻撃を繰り返す。それ以外の行動原理はない。


“だが妙だな。あのグールども、なぜ周りのキプチャク人どもに襲いかからない? キプチャクにはグールを使う方法があるのか”


 思考をふりすて、スッカルは砂丘のふもとに達した醜悪の肉の群れを見下ろす。

 弓をふたたび手にとって、弓なりに放つ。

 曲射、遠くから見事にグールの一体の頭部に命中――がくんと後ろにのけぞっただけでそのグールは動きを止めない。


「……やはり簡単には死なないか。遠距離用の矢は無意味だな」


「ならばこれだろう」


 スッカルが嘆息すると、ライムーンが新たな種類の矢を矢筒から取り出す。

 彼女は率先してその矢をつがえ、彼女専用の弓できりきりと引き絞る。


「全員肉削矢にくそぎやを使え。ひきつけて射つぞ」


 肉削矢は鏃が大きい、重い矢だ。

 中距離から近距離で使うもので、人体を引き裂く効果が大きい。


「ずたずたに切り刻むか火しかない」


“あるいは霊薬”


 スッカルたちの眼前でしだいに怪物たちの足どりが速まり、砂丘へと走りはじめる。がちゃがちゃ足の鎖を鳴らし、しばしばもつれて倒れながら。


「駆け上がってくるぞ。十歩の距離に入るまでは射ろ」


「そのあとは剣を使え。突くより斬れ、首をはねれば確実だ」


 スッカルとライムーンは交互に部隊に命令する。

 指揮系統の面では本来はまずいが、かれらは長いことこれで問題がない。


 砂丘の斜面にとりついて、グールたちが殺到しはじめる。

 応えて豹隊から肉削矢が飛ぶ。

 三日月型砂丘の斜面は、風下側の砂がもろい。スッカルたちはむろんそれを見越して、風上側を占拠している。

 グールが無理に斜面を駆け上がろうとするたび、砂が崩れてかれらは登りあぐね、そこに矢がふりそそぐ。

 斜面で展開される殺戮劇――突撃する側が何度矢を浴びても起き上がるグールでなければ、あっさり戦闘は終わっていただろう。

 それでも矢ぶすまとなった結果、起き上がらないグールが徐々に増えていく。


「剣を使う必要はないかもな」


 ほっとしたようにジッリーがいった。


「……いや」


 ライムーンがはっと顔を上げ、命令を出す。焦った様子で。


「全員、盾だ!」


 遠間からの矢。

 グールの群れの背後で、五十騎ほどのキプチャク騎兵が弓を引き絞っていた。

 それも、縦列となった騎馬隊を砂丘の左翼方面に走らせながら。

 キプチャク人の名高い武技、疾駆騎射。

 騎乗しながらつるべうちに馬上で矢を放つのは、高等技術の極みだ。


「“亀甲”!」


 命令とともに弓を起き、革帯で肩にかけていた円盾をかかげ、スッカルは膝立ちになる。両隣のライムーンとアイバクがかれに密着し、同じように盾を寄せ合う。

 砂丘頂上の豹隊は、鉄と革の甲羅を持つ一匹の亀となる。

 次の瞬間、盾にやじりがつぎつぎ突き立つ。


 横のライムーンが叫ぶ。


「スッカル! このまま釘付けにされるとまずい、グールどもがどんどん上ってくる!」


「わかってる」


“グールなら矢の巻き添えにしても惜しくないってことか、考えるじゃねえか”


「だが落ち着けよ、ライムーン。キプチャクの連中は射ちながらおれたちの風上に回りこむ気だ」


「……最後は作戦通りになったか。だがあいつらに手柄を上げさせるのもしゃくだ」


「いってる場合か」


 射撃で援護しながらグールを砂丘に突撃させ、同時に迂回して風上側の斜面から襲う。この局面でのキプチャクの戦術行動は、文句のつけようのない完勝への道だ。

 だが、


“包囲しようとは欲をかきすぎだぜ。グールの後ろから射ってるだけでよかったのにな”


「シキリーヤの連中、頼むぞ」


 スッカルはつぶやく。

 はたして、回り込むキプチャク騎兵をさえぎるように、砂丘群の陰から鉄をまとう戦士たちが出てきて立ちふさがる。

 身にまとうのは堅固なかぶとと鎖かたびら、場合によっては板金鎧。馬を下りて盾を手にした歩兵たち。

 接近しての白兵戦では王奴にすら一目おかせる、シキリーヤの「騎士」たち。


 もともと、敵が風上に回りこもうとするのを予測し、それを叩くべく砂丘ふもとに伏せておいたのだ。

 伏兵に対面したキプチャク騎馬隊が砂丘への射撃をやめ、かれらの軍刀を抜刀する。

 盾を下ろして、スッカルはほくそ笑む。


“シキリーヤ人は硬いぞ、キプチャクども”


 馬は堅固な障害物には突っ込まない。ぶつかる直前に足を止めてしまう。

 騎馬突撃というものは馬体の圧力でじわじわと歩兵陣を崩し、できた陣の裂け目に乗り込んでそこを広げるのだ。

 だから歩兵が足並み揃えて動じていない場合、ただ突撃しても蹴散らすことはできない。

 そして、シキリーヤの騎士たちはさまざまな欠点はあれど、決して臆病ではない。


 砂丘のふもとで、白兵戦が始まる。


「スッカル!」


 ライムーンが警告の声を発する。


「わかってる。みんな得物を抜け」


 グールたちが砂丘の上に到達していた。

 死臭がぷんと鼻をつく。

 豹隊のだれかが唱えている。神は偉大なりとの祈りに混ぜて。


  われわれは鋼、われわれは犬

  われわれは刃、われわれは牙


 それに合わせて、スッカルも怒鳴る。


「刻め、咬み裂け、王奴ども。動く屍肉をただの屍肉に戻せ」


 抜剣。


「哀れみをこめてすべて滅ぼせ」

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