第5話 人質交換
熱風がドゥーリーの顔に吹き付ける。歯ぎしり。大たいまつとなった自分の館が、すでに火を消し止められる状態ではないとひと目でかれは悟る。
「役立たずども、館はもういいから町中を探せ! 俺の家族を探せ。俺の家族をさらったあのクソ野郎を見つけ出せ」
「クソ野郎がいたらどうします、殺しますんで?」
「馬鹿か、てめえは。それでこっちの人質を殺されたらどうする、うかつに刺激するな。まず下手に出ろ。とにかく引きずってでも生かして連れてくるんだ」
いっていることが支離滅裂だと自覚してドゥーリーはうめく。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうめ。かれは怯えている。怯えていることを感情は認めないが、頭は認識している。
ここにいたってかれの頭脳は確信している。
かれが敵に回したのは王奴だと。
かつて人族がジン族と戦った時代に、王奴は、敵手であったジン族から戦いについてのあらゆる文化を学び取った。
残忍なふるまいは、そのひとつ。
なまじ王奴についての知識があるのが災いする。ドゥーリーの頭のなかでは敵の姿が際限なく怪物へとかわっていく。
いきなり夜を切り裂いて怪音が鳴り響く。
一拍後、寝台の足元に矢がぶち当たり、あわやドゥーリーの膀胱はゆるみかける。
野次馬がわっと逃げ散る。消防隊まで姿を消した。
「やつの攻撃だ、外したぞ!」
手下たちが色めきたって弓や弩をつがえる。物陰に隠れながらだが。
王奴なら外すわけがない、とドゥーリーは脂汗を流す。尖っていない鏑矢を使い、しかもぎりぎり命中させなかったのはわざとだ。偶然と思いたくなるすさまじい精度だが……
これは威嚇だ。いま殺せたのだぞとわからせに来ている。
同時にただの脅しではなく、呼びかけだ。
問答無用で殺しに来なかったからには、手紙に書いていたとおり交渉するつもりだ。それを暗に告げている。
だからドゥーリーは寝台から身を起こさない。かれを隠れさせようと手下が肩を貸しに来たときも手をふって断る。
やがて、闇に包まれた路地から、クソ野郎の姿が現れる。シャイフ・アークら難民の男数人をひきつれて。
「射つな!」
ドゥーリーは手下を制止する。そうしてよかった。
かれの妻子がいた。シャイク・アークが、幼い娘を抱き上げている。反対側の隣では、さるぐつわと目隠しをされて後ろ手に縛られたかれの妻が歩かされている。娘がドゥーリーのほうへ手を伸ばしてかれを呼びながら泣き出す。「
「子供に泣かれるのは趣味じゃない。おまえが拉致なんてやらなきゃよかったんだ」
心底からうんざりした口ぶりでスッカルがいう。
「貴様……これだけの損害を出させやがって、覚悟はできてるだろうな」
精一杯の虚勢をドゥーリーは叩きつける。
スッカルはどこ吹く風とまったく動じない。
「家は建て直して、金はまた稼げ。折れた脚もそのうち治る。だが死んだら戻らないぜ。
シャイク・アークの奥方の腹に刃をねじこんだのはどいつだ? おまえらにこの場でそのつけを払ってもらってもかまわない。そのつもりになればおれはおまえら全員を殺せるんだぞ」
とくに凄むでもない乾いた声。できることをできると申告しただけの態度。
一転して陽気な声に戻り、
「それはあとで話すとしてドゥーリー、本題に入ろうや。このさいどっちも人質は解放しないか? おたがいいちど身軽になってから話をつけるべきだと思うね」
「おかしら、耳を貸すな。こいつは手打ちしたいんだ」
激高した若い手下イナブが後ろから叫び、ドゥーリーの肩をつかんでくる。
「こちらを殺せるだなどとはったりだ。こいつは内心びびってる。牽制しまくってるのは、本気でやりあうつもりがない証だ。こっちは四十人いて、本気で潰しあったらあいつに勝ち目はないとわかってるんだ!」
「てめえは引っ込んでろ、馬鹿野郎」
脂汗を浮かべながらドゥーリーはイナブに吐き捨てる。イナブの顔に驚きと失望、それから軽蔑が浮かぶ。
イナブのやつ甘やかしすぎたぜ、とドゥーリーは舌打ちしたくなる。若いものにありがちな向こう見ずさと粗暴さはふだんなら頼もしいが、いまはひたすらうとましい。
手下の前での体面と、王奴への恐怖が釣り合ってドゥーリーはぐらぐらと揺れる。
かれの葛藤を見て取ったスッカルが提案する。
「ドゥーリー、こうしよう。まずこっちがひとつ譲ろう。そら、奥方を返すぞ。つぎはおまえが人質を返せ。そうしたらおまえの娘も返す」
ドゥーリーの妻が解き放たれる。目隠しだけ取られ、駆け戻ってきた妻が寝台のそばにひざをつく。
あなた、あの子を助けて。妻の目が懇願している。
「たすけて、パパ!」
泣き叫ぶ娘の声が最後の後押しをする。
「よし……女を放せ」
ドゥーリーはこちらがわの人質を解放するように告げる。
そこまでは万事がうまく運ぶ。それから、いくつかのことが短いあいだに起きる。
人質の女が騾馬から降ろされる。
シャイク・アークが「ヒュリヤ、こっちに来い!」とたまらず自分の娘の名を呼ぶ。。
ヒュリヤが足かせを解かれてよろめきながら走る。
ヒュリヤがかたわらを駆け抜ける瞬間、イナブが装填した弩を持ち上げて、その横腹に射込む。
「やめろおおおおおおお!」
ドゥーリーかシャイク・アークか、どちらの父親のものかわからない絶叫。
太矢で胴を貫かれたヒュリヤが転倒する。
「おかしら、よそ者どもに舐められるなんて俺は……」
ふてくされた表情のイナブがドゥーリーを向くが、その言い訳がましい言葉は最後まで吐かれることはない。なぜなら途中で即死する。
空間ごと裂く勢いで、踏みこんだスッカルの剣がかれを斬り下げている。その肩口から鎖骨肋骨を断ち割って心臓までまっぷたつに。
噴水のような血しぶき。
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