第9話 ライムーン


「王奴という連中はみんな段取りを知らねえのかよ。今日町に来たと思ったらいきなりこっちの別荘まで訪ねてくる、しかもドゥーリー組全員で出迎えろたあどういうこった」


 ドゥーリーは愚痴を吐く。かれは泡を食って客人出迎えの用意をしている。集められた手下たちも当惑していた。


「動くのが速すぎるだろ。そりゃこっちが呼んだんだからありがたいがよ」


 目下、ミスル軍はアル・クドゥスイェルサレム包囲戦にとりかかっているという。馬を駆けさせれば半日の距離だ。そこでかれはミスル軍に訴えの書状を送ったのである。


「スッカルなる名のひとりの王奴に町が苦しめられています」と。


 ミスル軍が調査の兵を派遣し、スッカルを引き取ってくれればよい。そこまでいかずともスッカルの野郎が逃げ出せば上々――そんな目論見であった。

 ミスル軍はかれの期待通りに動いた。

 対応はきわめて早かった。

 砂漠を越えて書状を送ったのは昨日だ。今日の昼にはもう派遣された王奴数人が、カラクの囲壁の前にいたという。


「やあ、やあやあ。よく来てくれました」


 手下たちに輿を運ばせ、にこやかに腕を広げてドゥーリーは出迎える。

 中庭に面したアーケード状の柱廊に、市場監督官がたたずんでいた。その後ろには人影が三名。


「わが甥よ」


「よう、世話かけたな叔父貴にも……おい、叔父貴、顔色が悪いぞ」


 市場監督官の顔は真っ青だった。かれはささやくようにいった。


「甥よ、あとのことは心配するな」


「……叔父貴?」


「それでは失礼させていただいてよろしいか。ここから先は見たくない」


 足早に立ち去る市場監督官の最後の言葉は、後ろに並んでいた客人たちに向けてのものだった。全員が頭巾のついた砂よけの外套をまとっている。

 ドゥーリーの目はその先頭にいた者に吸い寄せられる。

 華奢な体格。男の平均よりやや低めの背丈。


「ドゥーリー・ハサン・ムスターリーだな」


 涼やかな声。その者は頭巾をうしろに払い、外套を脱いだ。肌にぴったり合った軍装が現れる。


 ドゥーリーも手下たちも声を失う。

 かれらの前にあるのは人界の美ではない。


 その王奴の耳は横向きに長くとがっている。ハイズラーンの葉の形に。

 なめらかな肌は褐色。腰まで流れる髪は白金色で、細い首のうしろから長い一本のおさげに編まれている。

 肢体は軍人らしく引き締まっているが、それがため女体ならではの起伏がかえって目立つ。手足はすらりと伸び、腰まわりのくびれは深く、完璧な肉身に凛とした色香をまとっている。

 見るものに息をのませる極まった麗容のなか、金の瞳が冷え冷えとかがやく。琥珀金エレクトラムボタンのように。


 ドゥーリーは呆然として内心でうめく。

 なんてこった、あまっこだ。それもこんなしびれるようないい女見たことねえぜ。それから、なんてこったと繰り返す。


 このあまっこ、ジン族だ。

 あまたの名を持つ魔法の種族。

 殺戮に長けた美の化身。

 砂漠のアールヴエルフ

 火炎天使。


「ジ……ジンの王奴とは驚いた。あまっこ、いえご婦人であってもそれなら無理ないってもんですな。ちょっと昔は近くのアル・クドゥスイェルサレムをジン族が治めてましたから、おたくの種族の強さについては子供のときいやってほど聞かされてましてね。あ、もしかしてそっちの他の方たちもジン族なんですかね?」


 緊張からくるドゥーリーの愚にもつかないしゃべりを、


「貴様の叔父と話はついた」


 ジンの娘の声がさえぎる。

 娘がほかの王奴から短槍を受け取る。


「カラクはこれより、近隣の他の町に先駆けてミスル領となる。ミスル軍施政下で治安は完璧に保たれ、戦後は王奴に与えられる封戸イクターになる。社会に寄生するダニ共には用がない」


 直後、ドゥーリーの心臓を槍先がつらぬいている。

 技の起こりも見えない、静かで速やかな一刺し。


「ええ?」


 手下たちがざわめく。かれはふしぎな思いを抱いて、胸に突き立った槍を見つめる。市場監督官が言及した「あとのこと」というのは、自分の妻子のことだとかれはこのとき悟る。

 その思考も意識も、死にぎわの激痛という赤い闇に呑まれる。


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