第12話 グール
一条のあまりに細い光が差しこむ。
抜き身の宝剣が向こうに突き抜け、砂のトンネルがついに外界に通じたのだった。
はっと視線をかわすお互いの姿もかすかに見てとれる(闇でも目がきくジン族のライムーンには、その前から見えていたろうが)。
みなひどい有様だった。埋もれたトンネルは極端に狭くなっていて、もうほとんど腹ばいでモグラのように掘っていたのだった。
「一字剣はなんでも突き通せるって本当だった。ひどい使い方だけれど」
ライムーンがちょっと得意そうにいう。砂まみれだが彼女が喜びの表情を取り戻していることに、スッカルはなぜかほっとした。
少女の顔が一瞬で戦慄に塗り替えられ、ふりむくまでは。
「……アミ、うしろから近づく音がする」
ライムーンが震える唇で口走る。ふりむいてもいま来た闇のなかにはなにも見えない。だがジンは目だけではなく耳も鋭い。信じないのはあまりに危険が大きかった。
「母さん、剣を貸して!」
掘り続けて疲弊したアミより自分のほうが、剣を振るう余力がありそうに見えた。スッカルは母親から剣をひったくり、押しのけながら前に進んで逆手に持ち替える。猛然と明かりの入る穴のまわりを掘り崩す。
ひとりずつでもくぐれる穴を急いで開けなければならなかった。
這いずる者の音は、いまやスッカルにも聞こえていた。
次の瞬間、ライムーンの悲鳴。
彼女がうしろに引き抜かれる気配。
「ライムーン様!」とアミの叫び声が聞こえ、彼女が王女を守ろうと下がる音がした。
そのときスッカルの頭にまず浮かんだのは、ひとりだけ逃げる選択肢だった。
もうじき穴はかれが通れる程度に大きくなる。
つぎに浮かんだのは、母親と自分だけが逃げることだった。
ライムーンが襲われているあいだに、大人も通れるくらい穴を広げるのは不可能ではないはずだ。
……かれが選んだのは、どちらでもなかった。
スッカルはうしろにずり下がり、刃を持って向き直る。
地面に引き倒されたライムーンに、
ガチガチとグールの歯が宙を噛む音。
薄暗いなかでも輪郭でわかるのは、そのグールは腹部と手足を食いちぎられているということだ。四肢は左手しか残っておらず、絡まった蛇のようななにかが腹からはみだしていた。
いまにも顔をかじり取られそうなライムーンの悲鳴が、秘密通路に反響しつづけている。
グールにとびかかり、スッカルは逆手に持った一字剣を何度も背や延髄に突き立てる。
“なんで、おれは、こんなことを――殿下なんか放っておいて死なせればいいのに、「ご主人様」を厄介払いできる機会なのに――”
“主筋を守る義務なんかくそくらえ、王さまも殿下もくそくらえだ、殿下なんか嫌いなのに――”
嫌い。そうだろうか。
自分はライムーンのことを、ほんとうに嫌いだったろうか?
「首を切り離して! 首を、そうでないと止まらない!」
アミの絶叫。
いわれるまま首を落とそうとスッカルは、グールの髪をつかんで短剣をふりあげる。
とたん、グールが肩越しに首をねじった。真後ろに、自分でごきごき首の骨を折りながら。
一瞬息が止まった。
それはかれを見上げるグールの眼球が、魚卵塊を思わせる赤い無数の複眼になっていたためではない。
歯茎や口蓋から芽ぶくようにして、刃物のような牙があらたに何十本も生えていたからでもない。
そのグールが見知った顔だったからだ。
遊び半分ながらかれに武芸を教えてくれたことのある戦士。
退路を守ってグールたちを押し止めたジン兵は、自らがグールとなっていた。
“サラームさん”
気を取られた一瞬が致命的だった。
伸び上がるようにして怪物がかっと口を開く。鮫のような乱杭歯が剥き出される。
その牙で食いつかれた――左の首筋に灼熱。
自分の肉や太い血管が噛み切られるのをスッカルは感じた。
苦痛に叫ぶ。
死に至る傷。ただし相討ちだ。
己に牙が届くのと同時に、スッカルは正面から突き刺している。一字剣をグールの首に。
刃先がかつんと脊椎に突き立つ感触。ぐっと押し込むと一字剣は向こう側へ突き抜けた。ジンの魔法が刃にかかっているのか、ありえないほどにあっさりと。ぎこぎことのこぎりのように差し引きし、完全に首の骨を断つ。横に刃を引くと、グールの首が半ば以上切り離された。
グールのあごの力が弱まる。怪物は地面にずるずる崩れ落ちた。
スッカルもへたりこむ。
傷ついた頸動脈を手のひらでおさえながら。
血潮が指の間から間欠的に噴き出す。左半身が赤く濡れていく。
“頭が重い。なんでだろう、血が抜けて体は軽くなってるはずなのに”
アミとライムーンの声が間近でかれを呼んでいる。
“殿下がまた泣き顔だ”
おぼろな明かりのなか、スッカルはアミの後方のライムーンを見つめる。
乳きょうだい。
なんで腹が立つのかわかった気がした。
もっと幼いころはアミのひざの上を争い、ただ自然に接していた。
その彼女が年ごとに「憐れみ深い理想的な主人」としてふるまうようになっていくのが嫌だった。
このジン族の乳きょうだいと対等でいたかった。
慈悲も哀れみも受けたくなかった。
主人と奴隷という立場を当たり前のものにしたくなかった。
ライムーン、と最後に名を呼ぼうとしてみる。
声すらももう出なかった。
少し後になって、スッカルは目覚めた。砂漠の日の光がまぶたを通して顔面を焼いていた。
“あれ?”
秘密通路のすぐ外のようだった。
なんでおれは生きてる、と思いながら首の傷に手をやる――それは跡形もなかった。代わりに首にぶらさがるものに気づく。
「うわ!」
細長い蛭かミミズのような
一気に覚醒した。力任せに剥がすと、血管にもぐりこみかけていたその生き物たちは引き抜かれ、弱々しくうごめいた。
“
川沿いの湿原に棲む、尻の袋に大量に血を貯める大型の蛭だ。血を抜いて失血死させるときや、
泣き声が聞こえた。
へたりこんだライムーンが顔をおおってむせび泣いていた。
呆然としてそれを見、それから、スッカルはすぐ隣に寝ているアミにも注意を向ける。
「母さ……」
答えが返らないと知って絶句する。
管蛭の入っていたと思しき革袋がぺしゃんこになって転がっていた。
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