2 星明かり(モリン)
とはいえイウも少しは慣れてきたのか、モリンが小舟の係留を終える頃には目を覚ました。まだ少し顔を赤くしているが、落ち着いた様子で木陰の枯葉の上にアースロを放してやっている。地面はうっすら霜に覆われていたが、初冬なのか分厚く積もるほどでもなく、木の下は地面も乾いているようだ。
「おい……大丈夫なのか? それ」
イウが枯れ葉の一枚に薄く光毒を塗って与えているのを見て、モリンはおそるおそる尋ねた。
「うん、好きみたい」
光脈の森の植物を食べていたのは知っているが、それでも見ていると背筋がひやりとする。アースロは普通の枯れ葉をもそもそと噛んでいたが、毒で光る葉を目の前に出されると、触覚をピンと立てて食べかけの葉を足蹴にし、喜び勇んで齧りに行っている。
「可愛い……」
「なんかそいつ、ちょっと大きくなったよな」
「そう。およそ一・二倍の大きさに成長した」
「そんなにでかいのに、まだ子供だったのか……」
はじめはイウの胸当ての中にすっぽり収まっていた虫は、最近少し尻尾がはみ出すようになっていた。アースロがもぞもぞする度に中身が見えそうになっていたので、ロヅ翁からもらった冬服がゆったりした意匠でよかったと思う。まあ比較するなら神官服の方が似合っていたが、本人はふわふわの黒い毛皮が縫い付けられた襟に頬を寄せて、幸せそうにしている。
「主が原因なら、穴が開いてるのはもう少し内側かな」
「地図には描かれていない。ロヅ翁は知らされていなかったか、或いは情報の持ち出しを禁じられたのだろう」
「ここの主、どんな竜なのか知ってるか?」
「いや」
首を振ったシュドは冷え性なのか、袖を引っ張って指先を隠そうとしている。あのじいさんは一体いつから準備をしていたのか、細身の黒い探索服には袖口や裾に毛皮が縫い付けられ、手足の長い彼の寸法に合わせられていた。マントも含め全身黒尽くめで、少し三ツ目達の服装に似ている。
「伏し目、そろそろ……面を返して」
「この後は断崖へ向かうのだろう。未接触部族の土地を、顔を隠して訪れるのは危険だ。慣れた方がいい」
「でも……恥ずかしい。向こうに着いたら、頑張るから」
「いいからその目を観察させなさい」
「おい」
本音をぶちかましたシュドの後頭部をぶん殴りたくなったが、飛ばないと叩きにくい位置にあるので見逃してやった。しかし、断崖集落で顔を隠さない方がいいのは確かにそうなので、イウにはもう少し我慢してみろと言っておく。
「大丈夫だよ、お前可愛いから」
「か、かわいい」
「俺が今まで見たことある人間の中で、一番美人だ」
「わたしの出会ったことのある中では、モリンが一番可愛い」
「……そういう話じゃねえだろ」
照れ隠しにシュドに向かって「おい、両手に花だな!」と言ってみたが、無表情でじっと見つめ返されただけだった。相談も冗談も打てば響く探索者仲間との会話が恋しい。
島はぐるりと一周木立に囲まれているようだったが、小道を見つけて少し歩くとすぐに街へ出た。ロヅ翁の若い頃に封じられたと聞いたが、確かに荒廃具合は五、六十年分といったところだ。大きく崩れているような建物も、風化が原因のものは意外と少ない。
「……何だ、これ」
「〈バグ〉による〈オブジェクト〉破壊」
そうだけど、そうじゃない。あまりに異様な光景を目にして、思わず問わずにはいられなくなってしまっただけだ。
建物を、木々を、地面を不自然に切り取る三角形の穴。果てに繋がるそれが、そこらじゅうに開いている。穴の縁は定規を当てて切ったような直線なのに、三角形の内角や辺の長さはどれもまちまちで、それがますます、この歪な光景を気味悪く見せている。元々は星明かりに照らされた静かな冬の街だったと思われるこの場所は、おかしな方法で見る影もなく破壊されていた。
「……塞げそうか、イウ」
そう尋ねれば、イウはそっと屈んで足元に開いた穴のひとつへ手を伸ばした。縁をなぞるように優しく触れて、考え込むように目を閉じる。数秒後、ふっと穴が消えて霜に覆われた地面が姿を現した。
「塞げた」
「じゃあ……!」
「けれど、建物の復元は難しいと思う。元の意匠がわからないから」
「そういうもんなのか?」
「そう。目を閉じてじっと、明確に、想像する。モリンもきっと、やればできる。やってみて」
促されて、穴に近寄る。手を伸ばして触れながら、穴が塞がったところを想像してみる。
「いや、無理だろ」
「どのくらい、詳細に想像している?」
「どのくらいって……説明しづらいな」
「脳裏で触れるくらい、はっきりと思い描いた時、穴は開くし塞がる」
「うーん……そういう、無いものを見てるみたいに想像するのは、そんなに得意じゃないな」
「伏し目は?」
「一度目は失敗だ」
シュドが、おそらくはあらゆる想像を試そうと野帳に色々と書きつけ始めているのを見て、モリンは周囲をぐるりと見回した。穴のせいで剥き出しになった地下通路の先に見覚えのある四角い石を見つけ、サッと指差す。
「ほら、あそこに〈スキル〉の石板があるぜ。行ってみよう!」
シュドが素早く立ち上がったのを見て、よしよしと頷く。あんな寒い場所で長時間の実験に付き合わされるのは御免だ。軽く探検して、あれこれ言い出す前に舟に乗せる。
縄を垂らして穴の底に降りると、三人は床に半分埋め込まれている、小さな四角い石の板を取り囲んだ。
「とりあえず回し蹴りじゃなさそうだな、模様が違う」
「星明かり、と書いてある」
彫り込まれた古代文字を指でなぞりながらシュドが言った。早速手に入れるのかと思ったが、彼は振り返ってイウを手招きで呼び寄せた。
「どうしたの」
「おそらく、灯火に類似する〈スキル〉だろう。取得してみなさい」
「伏し目も持っていない〈スキル〉なのではないの?」
「通りの向こうに黒い石碑が見えた。ならばここは〈イベントエリア〉だ。〈ゲート〉が霧の中にあったことも含めて、ほぼ間違いないだろう。〈イベントエリア〉の特殊〈スキル〉石板は他と違い、一枚しか発掘されない。名称からして美しい〈スキル〉であるものと思われるので、君に」
イウの瞳が濃い虹色にきらりとして、目尻に涙が溜まった。大切そうに口の中で「わたしに……」と言って、進み出ると片手を石板に押し当てる。ふわりと紋様が青く光り出す。
「……欲します、希望の光を」
モリンとは違うことを問われたのだろうか、綺麗な声で不思議なことを呟いたイウの目の前で、石板が空気に溶けるように消えていった。イウが左手をゆっくりと持ち上げて、ひっくり返す。手のひらに、八本の棘がある繊細な星模様が小さくひとつ、刻まれていた。
「使ってみろよ」
「……うん」
星模様が光脈色に光って、次の瞬間には、目の前に小さな星が一粒浮かんでいた。見上げた空に光っているような、ちらちらとまたたく白銀の光だ。目を奪われる美しさだが、松明代わりにも読書灯にもなりそうにない。
「何のための〈スキル〉なんだ、これ?」
「いつでも、どこでも、星を見るための〈スキル〉」
「あ、うん。見たまんまだな」
しょぼいな……と思ったが、イウはこれ以上ないほど嬉しそうに瞳を輝かせて微笑んでいる。まあ、想い人からの贈り物だと思えば、かなり気が利いているかもしれない。
「よし、舟に戻るぞ」
「その前に石碑を読みたい」
「封じられてから百年経ってないんだ、資料があるだろ」
「資料を読むのと、己の目で見るのは全く違う」
「……そうだな。ごめん」
塔に閉じ込められてきた編者に酷なことを言ってしまったとモリンは深く反省したが、謝罪を受けたシュドは片方の眉を上げて「は?」みたいな顔をしていた。
「何だ、己の無知を悟ったか?」
「お前……もうそれでいいや。ちょっとだけだぞ、危険地帯なんだから」
「わかっている」
竜の気配がないか慎重に探って、広い通りの向こうへ渡る。そこは広場のようになっていて、真ん中に大きな黒い石碑があった。
「石碑っていうか、石? 何も書いてねえな」
「〈MP〉を消費して文字を出現させる」
「え?」
「手を当てると光る」
モリンが磨かれた石にぺたりと手を当てると、そこから縦横無尽に青い光が走り、みるみるうちに青く光る文字が浮かび上がった。イレア文字とも古代文字とも違う、見たことのない言語だ。
「これ、何語?」
「メタ語。神の言語だ。『今年も冬が訪れた。探索者らよ、手を取り合って、星降る聖夜の静けさを壊さんとする古の黒怪、
「円座竜、ってどんなのだろう」
「それよりも『今年も冬が訪れた』という文言に着目したまえ。冬を訪れたではなく、冬が訪れた。まるで、季節の変化する土地を想定して書かれたようには思えないかね?」
「誤字じゃねえの?」
「……その可能性もあるが。この世界が未完成に見えるという話は覚えているな? 『夜が明ける』という表現に関しては? イレアを創造した神は何らかの理由で世界を手放したが、本来は季節も空の明るさも、刻々と変化するものになる予定であった。そうは思えないか」
「はあ、まあ……そうかもな」
あまり興味はなかったが、とりあえず頷いておく。モリンが求めているのは世界中の面白いものを全部見ることであって、世界がそういう形になった理由とか原因とか、そういう神話めいた推測はわりかしどうでもいいのだ。
やる気のない返答に、シュドが眉間に指先を押し当てて目を閉じ、そしてすぐにイウの方を見た。瞳をキラキラさせて「深い夜空から朝焼けを経て、青空に……」と囁いている彼女の反応は満足ゆくものだったらしい。「これだよ、これ」という感じに深く頷いている。
「じゃあ、石碑も見たことだし舟に戻るぞ」
「待て、あちらにも」
「俺達の今の目的は探索じゃない、イウを守ることだ。虹を見に行くのも、果辺の地図を作るのも、我慢して身を隠すって決めたろ?」
「どこに?」
「どこにって、断崖集ら、く……」
ギギ、と軋む音がしそうなぎこちない動作で、モリンが振り返った。
「断崖か、考えたな」
頭を覆う籠に手を添え、丁寧に角度を整えながらイデンが言った。その手に青い光の双刀が握られ、走り出すまでに五秒もなかった。
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