4 円座竜(モリン)

 モリン達のような探索者にとって、敵の視線は重要な情報源だ。人も黒怪も、次にどんな攻撃を繰り出してくるか、体よりもまず瞳にその意志が現れる。しかし〈スキル〉の双刀を空中から引き抜いたイデンの頭部は、不気味な三ツ目模様の笠で覆われている。


 反射で短刀を二本抜く。振り下ろされる光は神速と言ってよかった。彼はモリンほど身軽ではないが、腕力が桁違いなのだ。受けた刃を素早く捻って滑らせる。青い火花を散らせながら攻撃がいなされ、脚を引っ掛けようとしたところで、ユロの斬首刀が目の前に突き出された。


「なんでここに、お前らが!」

「引退した探索者が夏の断崖で毛皮をかき集め、三日で仕上げろと無理を言って冬服を作らせている。容易に見当はつくさ」

「くそっ!」


 探索者ならばともかく、三ツ目達を二人同時に相手取るのは分が悪い。背後に飛んで距離を取ろうとしたところで、少年が盲目とはとても思えない動きでモリンの腕を掴み取り、イウ達とは反対の方向へ投げ飛ばした。


(まずい……!)


 血の気が引いたが、その時〈レベル〉を上げたシュドの旋風が周囲の土を巻き上げながら吹き荒れた。三ツ目達が一瞬身構え、モリンは風に乗って舞い上がりながらイデンの首に鉤縄を投げた。


「ぐ……ぅッ!」


 締め上げる縄と食い込む鋭い爪に、イデンが呻く。双刀がふっとかき消え、縄に両手をかけて引き剥がそうとするところに、ユロの斬首刀が閃いた。全力で引いていた縄をすっぱり切られたモリンは転びそうになり、よろめく隙に少年が飛び込んでくる。


「話を聞け。涙目が〈バグ〉でないという証拠を提示できる」


 剣戟の隙間を縫ってシュドの声が聞こえた。しかしイデンは「〈バグ〉であるという証拠ならば私も目にした!」と叫び返す。


「それを覆すだけの人証がこちらにはある。話し合いに応じなさい」

「申し訳ないが……手を止めれば狩られるのはこちらだとわかっているのでね!」

「この場で今すぐ、見せられる証拠だ」

「編者の身で偽証とは、お父上が悲しまれますぞ」

「私ごと消してもよいと命じたのは父だろうに」


 その時、取っ組み合っていたユロが突然体勢を崩した。見ると、彼の足元に小さな丸い穴が口を開けている。モリンはニヤッと笑って、籠の中に眠り草を一掴み突っ込んだ。「うわっ」と焦る声がして少年が膝をつく。その隙にイデンの方へ飛んだ。


 シュドは彼を雷撃で牽制していたらしい。四方の草が直線上に焦げていて、よく見るとイデンの全身は池にでも落ちたようにずぶ濡れだ。足元にはあちこちに氷の塊。躊躇なく敵を殺すつもりの仲間に探索者の血が騒ぎ、獰猛な笑みが漏れた。モリンが戻ってきたのを見て、イデンが素早く距離を取る。そして利き腕の袖をばさりと捲り上げた。手首から肩までびっしりと刻まれた紋様が発光し始める。


「さて、伏し目様の〈スキル〉はこの熱を凌げるかな!」

「広範囲の紋は強大な〈スキル〉だ。建物の陰へ」


 シュドがそう言ったが、間に合うはずもなかった。イデンが頭上に手をかざすと、星の輝く夜空に青く光る無数の岩石のようなものが現れた。「伏せろ!」と叫ぶ。イデンの手が振り下ろされる。二人に覆い被さろうとモリンは飛んだ。降り注ぐ岩は宙を走りながら赤熱し、地面に衝突する瞬間に信じられない威力で爆発を起こした。轟音で耳が痛い。空気が薄い。頬に当たる風がひどく冷たい。


(冷たい?)


 顔を上げると、三人の周りは分厚い氷の壁で囲まれていた。地面を踏みつけたシュドが「〈レベル4〉で壁の形成が可能になった」と言っている。モリンに飛びかかられ、押しつぶされたイウが「び、びっくりした」と言いながらもぞもぞしている。その頬に、ぽたりと一滴の雫。


「……まずい、溶け始めた」

「連続での使用はないだろう。〈MP〉が足りないはずだ」


 しゅわしゅわと泡立つように溶けてゆく透明な壁の向こうに、片膝をつくイデンが見えた。いっそ力を使い果たして気絶していてくれればと思ったが、やはりシュドとは基礎体力が違うのか、息を荒くしながらもしっかりと立ち上がる。


 周囲は火の海だったが、霜の降りた冬の大地のおかげで、そう待たずとも消えそうだ。モリンは残り火が編者達の服へ燃え移らないよう気を配りながら、背中で煙幕玉を握りしめた。ユロがいるので目くらましは意味がないが、催涙効果だけでも大きな隙を作れる。


 イデンが回復するまでの繋ぎのつもりか、ユロが一人で飛び込んできた。よろめくような独特の足捌きでのらりくらりと攻撃を避けてしまうので、どうも戦いにくい。それでいて、斬首刀の一撃は驚くほど重い。その上、まともに受ければ短刀ごと断ち落とされそうな切れ味だ。モリンは少しずつ苛立ちを募らせながら、籠を被った少年に話しかけた。


「なあ、聞けって。イウは果ての穴を塞げるんだ。ついさっきだって、ここに開いてる穴ぼこも塞いでみせた。土地を破壊するから〈バグ〉は有害なんだろ? あいつは〈バグ〉かもしれねえけど、ちゃんと自分の意志で力を制御できる。むしろ――」

「それは僕が判断することじゃない」


 意外にも返答があった。モリンは次々に繰り出される攻撃をどうにかいなしながら言った。


「じゃあイデンのおっさんなら聞いてくれるのかよ? あいつ、結構力に呑まれる質だろ。後先考えず馬鹿みてえに大規模な〈スキル〉使ってふらふらだし、あいつの方が環境破壊してるじゃんか」

「それは、そうかもしれない」

「……お前、結構素直だな?」

「あんたほどじゃない」


 イデンと同じような仕事人ぶった戦闘狂かと思ったが、籠の下から聞こえる声は存外落ち着いていて思慮深そうだ。話が通じるかもしれない、とモリンが希望を見出した時のことだった。突然息を呑んだユロが追撃の手を止め、勢いよく広場の向こうへ顔を向けた。モリンも思わず手を止めて、少年と静かな夜の街並みを交互に見つめる。


「え、何だ?」

「気配が」

「気配?」


 ユロはそれに応えず、背後の仲間に険しい警告の声を発した。


「――イデン、主が来ます!」


 しばらくは何の音もせず、気配も感じなかった。が、突然全身がぞわりと総毛立って、モリンは本能で身を低くした。何かが近づいてくる。巨大な何かが、音もなく――深い絶望を伴って。


「ユロ、やってみなさい。私が援護する」

「はい」


 三ツ目達が一足早く我に返った。刀を鞘に収め、気配の方へ向かって走り出そうとした。


 しかし、それは叶わない。


 洞窟を抜ける風鳴りのような、奇妙に反響する低い唸り声が聞こえた途端、モリンは全身の筋肉からくたりと力が抜け、その場にへたり込んだ。イデンとユロも体を丸めて地面に転がっている。


(腰が、抜けた?)


 自分でも信じられなかった。何も見ていない、ただ声を聞いただけだ。恐怖を自覚する暇すらなかった。


 ゥワン、ゥワン、ヮン……


 不気味な低い耳鳴りが思考を塗りつぶす。世界がズレてゆく。こめかみが鈍く痛んで、モリンは力の入らない腕で頭を抱えた。怖い。痛い、苦しい、助けて――


「これが、本物の〈バグ〉か」


 シュドの声がして、ハッとした。声は冷静だったが、彼の手も細かく震えている。誰一人逃げ出せないまま、建物の上を乗り越えて現れた巨大な影を見上げた。あの〈レイドボス〉と同じ、青い光が散る竜の瞳。無数に蠢く脚と、厚い甲羅に覆われた漆黒の外殻。


「アースロ?」


 ぽつりと、イウが言った。驚きで羞恥を忘れたのか、囁きではなく透き通った綺麗な声だ。


「……似ているな」


 苦々しい声でシュドが言った。扁平で節のある巨大な竜は、大きさは違えど、イウの飼っている虫にそっくりだった。「円座竜」という名らしいそいつは、どこから出しているのかわからない低い唸り声で恐怖を振り撒きながら街の上を這い、広場の大樹の梢に残った枯れ葉をじっと見た。その視線に晒された大樹が、すっぱりと切り取られたように下半分だけの姿になる。葉の一枚も舞い落ちない。梢は虚空へ消え失せた。今度は得体の知れた恐怖で、モリンの全身が震え出す。


「……確かにこれは、世界の綻びと言われても仕方ねえな」

「痛がっている。とても、苦しんでいる」


 イウの声。そう言われてみれば、その鳴き声は苦悶の声のようにも聞こえてくる。艶やかな円座竜の外殻は三角形の穴だらけだった。欠けの多い脚を波打つように動かし、どうにか隣の木に上半身を乗せた竜は、もそもそと葉を齧り始めた。しかし上の方を少し食べたかというところで、再び大半の枝が消え失せる。どうやらイウとは違って、じっと見つめることで穴を開けてしまうらしい。竜は力なく触覚を垂れさせ、次の餌を探して首を巡らせた。


「敵意は、ないように見えるけど」

「防御、あるいは迎撃に偏った能力を持つのだろう。刺激するな、モリン」

「わかってる。……ちょっと動けるようになってきたな」


 両手を握ったり開いたりしていると、ユロがよろめきながら立ち上がるのが見えた。違う。あれは彼が走り出す前の予備動作だ。チ、チ、チ、と舌打ちを三度。まるでモモンガのように壁を駆け上がり、外殻の節目に斬り掛かる。青白く光る斬首刀はあっけなく弾かれ、その拍子にぶつけた廃墟の石材がすっぱりと切れた。どうやら岩より硬いらしい竜が地鳴りのように唸り、辛うじて蔦に掴まったユロがずるずると滑り落ちる。モリンも再び地面に倒れ込んだ。今度は起き上がるどころか、指先も動かない。


「……くそ。なんであいつ、あんなに動けるんだよ」


 四つん這いからどうにか立ち上がったユロが幾度か舌打ちをして、強く首を振る。


 ゥワン、ヮン……


 円座竜が見下ろした広場に三角形の果てが現れ、耳鳴りが――世界が強引に書き変えられる音が、頭蓋の内を蹂躙する。音を奪われた盲目の少年の背後に繁る、枯れかけた蔦の葉。そこへ〈バグ〉に侵された視線が向けられた。


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