3 炎のような女の子(ユロ)

「――イデン、楽しそうですね」


 戦いの始まる、およそ鐘五つ前のこと。冷たく澄んだ冬の大気が頬を撫でるのを感じながら、ユロは笠の下でひっそりと微笑んでいた。


 狭い範囲の気配察知には敏感だが、大きな方向感覚には疎いユロの代わりに、イデンが小舟を漕いでくれている。否、そうでなくとも、彼はあまり弟子に雑用をさせようとしない。「そんなことよりも、お前は将来のために勉強しなさい」そう当たり前のように言う彼を、ユロは時々、単なる師弟関係を超えて家族のように感じてしまうのだった。ずっと忌まわしいものであった己の黒髪も、師と同じ色なのだと聞かされた瞬間からは彼の誇りになった。


「……わかるか?」


 イデンが少し恥じらうように笑んだ声で言い、櫂を離して袖の上から右腕を撫でさすった。そこには先日手に入れたばかりの〈スキル〉紋様が刻まれている。通りすがりに見かけた異常行動型の〈バグ〉を追って入り込んだ遺跡で、たまたま発見したのだ。


「やはり与えられた力より自分で見つけたものの方が、深い充足感があるな。探索者の気持ちが少し理解できたよ」

「イデンは、〈スキル〉がお好きですよね」

「楽しくないか? この霊的な力を己のものにできる感覚がな」

「……やはり、僕は少し怖いです。すみません」

「慎重さは君の美徳だよ」


 イデンは小さく鼻歌を歌いながら、湖を回り込んで人目につかぬ岩陰に舟を寄せた。二人はこれからこの無人の街に潜伏し、うまく逃げおおせたと笑いながらのこのこやってくるらしい〈バグ〉達を迎え撃つのだ。


「でも、討伐依頼を出したのですよね? 本当に来るでしょうか」

「並の探索者が束になってかかったとして、太刀打ちできると思うか?」

「難しいでしょうね」


 だろう? と微笑むイデンに対し、ユロは憂鬱な気持ちで俯いた。少女の形をした〈バグ〉を消去するのは心が痛むというのもあるが、それよりも、あの炎のような女の子にますます嫌われてしまうと思うと、なぜか悲しくなるのだ。


「あの探索者はやはり、我々へ付くことはないでしょうか」

「ああいう人間は、一度友と認めた者を決して裏切らないだろうな」

「そうです、よね」


 けれどユロは、彼女のそんなところが――と物思いに沈みそうになった時、イデンが「しっ!」と短く息を吐いて岩陰に身を潜めた。ユロもすぐに続く。


「……思ったより早いな。いや、むしろ我々よりも先に着いていたのか? あやつら、ろくに準備もせずに襲撃をかけたな。実力差をわかっていない未熟者め」

「待ち伏せはできませんでしたね」

「いや、問題ない。ここからの立ち回り次第だ」

「新しい〈スキル〉で奇襲をかけますか」

「いや、それでは初手で力を使い果たしてしまう。まずは定石通りに」


 呑気に星を眺めているという〈バグ〉達を観察しながら、イデンが言った。ユロはもう一度だけ、イデンに気づかれないようそっと憂鬱なため息をついて、我意なき三ツ目の処刑人へと気持ちを切り替えた。

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