4 依頼(モリン)

 首筋を正確に狙ったそれを、宙返りで避けながら目で追う。吹き矢の痺れ針だ。


「外した!」


 女性の叫び声。おそらく狩人の紅一点。その瞬間、空中から二つの人影に躍りかかられた。男性のモモンガが二人。体を捻り、伸ばされた手を掴み取って肩に乗り、高く飛び上がる。炎の髪が光の尾を引く。


「おい! 刃物をしまえ! モリンは傷つけないって取り決めだろ!」


 下からセンの怒鳴り声が聞こえた。再び掠める痺れ針。風に乗って避け、急降下して着地。一歩の惰走もなく、キュッと崩れた石壁の上で靴音を立てて回転し、イウ達の方へ飛んだ。その技術に熟練のモモンガ達が息を呑む。気心の知れた間柄とはいえ、塔の司書がはばからず「天才」と口にする才能は伊達ではないのだ。


「おい、何なんだ一体!」


 仲間達を捕らえようとしていた調教師の一人の頭に飛び蹴りを喰らわせながら叫ぶ。黒怪捕獲用の網を投げようとしていた男は、吹き飛んで壁に激突し、泡を噴いて動かなくなった。


「……嬢ちゃん、お前は騙されてる。そいつらは神官じゃないんだ。大人しくしてくれれば、嬢ちゃんに危害は加えない」


 ギアが困った顔で言った


「神官じゃないって、なんで」

「俺達は皆、塔の依頼を受けてる。そこの銀羽の嬢ちゃんの討伐依頼だ。詳細は知らないが、どうも重罪人らしい」

「塔の、依頼」


 血の気が引いた。そうだ、三ツ目達の背後には塔が存在しているのだった。探索者に依頼という名の命令を下せる塔が。モリンは、籠を被った男と少年だけを撒いてしまえばいいと思っていた。素顔を知らない彼らが集落に紛れ込んでいないか、観察していればいいと。それは違った。彼女達は、世界中の探索者から身を隠さねばならなかったのだ。


「安心しろ。モリンの嬢ちゃんも、『伏し目様』も殺すつもりはない。大人しく『涙目様』を渡すんだ」

「……渡すわけねえだろ」

「信じてくれ、モリン」

「信じるとか、信じないとかじゃない。俺は、大事なダチを殺させやしねえって言ってんだ!」

「なら痛い目見てもらうぞ、花園のモリン!」


 吠えるようにギアが怒鳴り、ロクギが背の長剣を抜き放った。「上等だ!」と怒鳴り返したモリンは素早くギアの懐に飛び込み、腕を掴んで投げ飛ばす。大男を真正面からぶつけられた狩人の頭領は、慌てて剣を引っ込めながら受け止められずに尻餅をついた。横から飛び込んでくる槍を逆手に掴み取って、勢いを利用しながら捻る。くるん、と面白いように測量士の男がひっくり返った。驚いて立ち止まった狼の眼前で光毒玉を炸裂させる。狼達がキャンと悲鳴を上げて飛び退った。これで黒怪は近づけない。


 モモンガは軽さを最重要視するために、徒手での戦闘訓練を重ねている。背丈の小さなモリンでも、熊くらいなら軽く投げ飛ばせるのだ。そして狩りではなく組み手で力をつける武術の性質上、対人戦闘が最も強いのもまたモモンガだ。


 壁に向かって飛び、ギリギリまで引きつけて、素早く念じる。足の甲がじわりと熱くなって、体が勝手に回転した。空中で不自然なまでに美しい回し蹴りを繰り出したモリンは、そのまま壁をすり抜けた。追いかけていたモモンガ二人が頭から石壁に突っ込む。片方は痛みで地面に転がり、もう片方は鼻血を出している。鉤縄を使って瞬時に壁の上からイウ達の元へ戻ったモリンは、もう一度回し蹴りを、今度は正しい使い方でセンの鳩尾にぶち込んだ。呻き声を上げて倒れるセン。振り返って槍を払いながら測量士の襟首を引っ掴み、鼻の穴に眠り草の葉を突っ込む。ふらりと気を失う女。シュドの旋風に乗って舞い上がり、その隙に「雷撃」を――


 首筋に、チクリと痛みが走った。


 やられた、と思う間も無く全身に痺れが回る。見下ろした先に、吹き矢を構えた狩人の女。頭から落ちてゆくモリンを見て、イウとシュドが受け止めようと走り出す。「やめろ」と弱々しく声を上げ、どうにか風合羽を広げて足から落ちた。強く捻ったが、折れずに済んだと思う。腰帯の解毒薬の袋に、手が届かない。あと二寸なのに。

 イウの悲鳴が上がった。雷撃で調教師を二人倒したが、まだ動ける敵は半数以上いる。狩人は一人も無力化できていない。三人の男が寄ってたかってイウの面を剥ぎ取り、花弁のような白い飾り帯を引き千切った。


「やめて」

「このやろう、犯罪者のくせに神官のふりなんてしやがって!」

「神官服はな、神聖なものなんだ。お前なんかが着ていいもんじゃねえ」

「やめて、やめて……!」

「イ、ウ……」


 叫ぼうとしたが、喉まで麻痺が回り始めていて掠れた声しか出ない。モリンはどうにか薬の袋へ手を伸ばそうとやっきになった。あと少しでいい。右手よ動け、動け、動け!


 同じく狩人達に掴みかかられていたシュドがその時、頬を殴られよろめきながらダンと強く床を踏みつけた。一瞬にして地面に白い霜が降り、彼を囲んでいた四人が全身丸ごと、氷の彫像のように凍結する。その場の全員が息を呑み、慌てふためいて彼から距離を取ろうとした。


 翻る面の下の瞳を鋭い銀色に光らせ、ぎりりと歯を食いしばったシュドは、回し蹴りで一人を蹴り倒す。倒れた氷像は腰のところで真っ二つに割れた。それを振り返りもせず、彼は涙声で助けを求めるイウの元へ駆け、雷を纏わせた腕で男の首を鷲掴みにする。身の毛のよだつ叫びを上げて倒れた狩人を踏みつけ、シュドがイウの前に滑り込んだ。白目を剥いて髪を焦がし、明らかに死んでいる男を見て怯んでいた探索者達が、一斉に踊りかかる。旋風が巻き起こったが、〈スキル〉を連続で使って力が底をつきかけているのか、明らかに威力が弱い。敵を吹き飛ばすには至らなかった。


「伏し目!!」


 狩人達が剣を振り下ろさんと踏み込んだ瞬間、イウの悲鳴と共に世界がズレた。先頭の狩人の右腕が、ふっと、握った剣ごと唐突に消え失せる。行き先を失った血液が激しく宙空に噴き出す。その常軌を逸した光景と唸るような耳鳴りに、残る探索者達はもんどりうって急停止した。


「あああああァァ――!」腕を失った男の絶叫。

「何、だ、今のはっ……!」混乱した狩人達の喘ぐような問い。

「し、退きなさい。さもなくば、あなたがたの胸に同じ穴が開く!」


 澄んだ涙声でそう言ったイウを、シュドが抱き寄せる。探索者達は青い顔で二人を見つめ、そして一歩後退った。


「ば……化け物」

「化け物だ! ロクギさん! 早く、早く討伐しねえと」

「――化け物ではない!」


 地が割れるような怒鳴り声がして、全員が飛び上がった。意識を失った血塗れの狩人を見て心挫けたか、震えながら浅い呼吸を繰り返す少女を壁際に立たせ、己はその前に立ち塞がって、シュドが背負っていた二本の槍を抜く。


「化け物でなければ何だというんだ!」


 恐怖からいち早く立ち直った狩人の頭領が細身の長剣を振る。奇跡的に二度弾いたが、三度目の突きで切っ先が肩に届いた。血飛沫が上がり、腱を切られたらしく、シュドの右腕がだらんと力を失って垂れる。取り落とされた槍を、ロクギが素早く遠くに蹴った。


「伏し目様は左利きだ!」


 と、ギアの叫ぶ声がした。

 ロクギが振り返るのと、シュドの胸元の紋様が光るのは同時だった。先程までの腰の引けた構えが幻だったかのように美しい型で、青く光る槍が突き出された。光は心臓を貫通し、背中へ飛び出して、目を見開いたままのロクギの手から剣が滑り落ちる。


 シュドは返り血を浴びながら槍を引き抜いて、もう一度〈スキル〉を発現させようとした。胸の紋様が淡く光って、明滅し、消える。悲痛な声でロクギの名を叫びながら、ギアが二本の槍を構えて突進してくる。それを見つめるモリンの手は未だ必死に解毒薬の袋を探り続けていたが、それは彼女の意識の中だけのことで、実際は痺れが回りきって指先も動かなくなっていた。〈MP〉を使い果たしたシュドが槍を捨て、イウを抱き込んで体を丸めた。


(やめろ――!)


 やけに穏やかな笛の音が聞こえたのは、その時のことだ。


 ぶわりと濃厚な花の香りが、むせ返るようだった血臭を覆い隠した。笛の旋律がもう一度、軽やかに戦場を踊る。香りが一段と強くなり、モリンはもうほとんど動かなくなった頭を僅かにもたげて、壁の上を見た。七頭の、角に見事な大輪を咲かせた鹿がこちらを見下ろしている。バタバタと人が倒れてゆき、編者二人も気を失って、薄れゆく意識の中で背の曲がった優しげな老人と目が合った。


「こやつらを許してやってくれんか。若いうちはの、モリンちゃんと違うて、探索者は塔が絶対と思いがちなんじゃ」


 ひょい、と身軽に飛び降りた老人は地面に散る光毒の上に、大きな黒い毛皮を敷いた。大きさからして主の毛皮だ。その上に七頭の鹿が軽やかに飛び降りる。引退したというのは嘘だったのか、皺だらけの手で軽々とイウを抱え上げ、鹿の背に乗せたロヅ翁を呆然と見たところで、モリンの意識は途絶えた。

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