3 回し蹴り(イウ)

 宿に帰ってもモリンはずっとそわそわしていて、何度も荷物の中身を取り出しやすいように並べ替えたりしていたので、最終的にはイウが寝かしつけた。つまり布団の中で抱きしめて、眠るまで頭を撫で続けた。腕の中で「おいイウ、離せって」と言いながらもぞもぞする気配で目覚めたので、一晩中抱き枕にしていたらしい。あたたかくてよく眠れた。


 出発時間は早朝、宿の食堂が開く前だったので、朝食は昨日のうちに買っておいた握り飯だ。キノコと野草と鳥の肉が炊き込まれたそれは、不思議な匂いがした。モリン曰く、紫蘇の葉の香りらしい。


「かなり日持ちするし、米も少し買っといた。炊かなきゃ食えねえから、パンよかちょっと面倒だけどな」

「荷物は、全て持っていくの?」

「おう。そもそも探索と野営の道具ばっかりだからな。置いていくものがねえ」


 そう言われて頷いたイウは、買ってもらった自分の鞄を背負った。毛布などの重いものはシュドが持ってくれているが、食料や水、薬などは荷物を捨てなければならなくなった場合を想定して、それぞれが少しずつ持っていた方がいいと言われたのだ。一番上に野帳と鉛筆を入れ、蓋のところからはみ出すように風車を挿す。とても可愛らしくなった。


 待ち合わせ場所へ行くと、既に地上へ向かって縄梯子が垂らされていた。探索隊はイウ達を除いて狩人五人、測量士三人、モモンガ三人、調教師四人の計十五人だという。思っていたよりも人数が多い。調教師達はみなロウを連れていた。ロヅ翁の姿がなくて密かにがっかりしていると、ギアが顎髭を撫でながら「爺さんはもう引退してるからな」と言った。


 挨拶もそこそこに縄梯子を降りると、ほとんど真下に灰色の石で造られた、複雑な構造の建造物が見えた。ギアがシュドに向かって「ここからだと迷路状になってるのがよく見えるだろ。今日はやらないが、上から見下ろせる場合は大まかな道をスケッチしておくといい」と言っている。その場合、描くのはシュドではなくイウになるはずなので、彼女は「なるほど」とその教えを脳裏に書き留めた。


「目指してるのは一番真ん中のところだ。ここからじゃ見えないが、隠し通路への入り口がある。まずはそこまで一気に進んで、そこから測量開始だ。遅れると迷うからな、しっかりロクギの後を着いていけ」

「わかった」


 モリンが明るく答え、地面に降り立った狩人の頭領ロクギが片手を上げた。背中に大きな剣を背負っている。五人の狩人達はそれぞれ違う武器を持っていて、攻撃手段の違いを生かして連携し、主のような大物をも狩ってしまうらしい。基本は一人で依頼を受けるモモンガとは全く違う戦い方をするのだと、モリンが言っていた。


 とその時、大きな籠で降ろされていた狼達が一斉に低い唸り声を上げ始めた。軽やかな笛の音が響き、狼の群れはサッと口を閉じると繁みの向こうへ駆けてゆく。大きく吠える声がして、勢いよくユウが飛び出してきた。狼に取り囲まれ、爪を振るおうと一瞬立ち止まった隙をついて、狩人の放った矢が額の真ん中に突き立つ。漆黒の血がだらりと垂れて、獣臭を放つ巨体がゆっくりと倒れた。狩人達が「よし」と拳をぶつけ合い、調教師達は少し嫌な顔をしている。モリンが「すげえ、熊を一撃だ」と目を丸くした。


「狩りはあんまり見たことないのか?」とロクギ。

「うん、いつも単独だから」とモリン。

「狩人とモモンガは結構相性がいいんだ。立体機動で黒怪の注意を引きつけて、狩人が倒す」


 モモンガのセンが、さらりと髪を耳に掛けながら言った。モリンが「へえ」と感心した様子を見せると少し頬を赤らめ、「今度、一緒に依頼を受けてみるかい?」などと言っている。


「またいつかな。しばらくは修験の護衛だから」

「きっとだよ」

「あー、うん。機会があったら」


 やる気のないモリンの返答に、センが肩を落とす。そんな彼の背をギアが励ますように叩いていた。そうこうしている間に集落から応援が来たようで、熊の死骸の処理は彼らに任せ、イウ達は迷路の中へ入ることになった。


「中を根城にしてる黒怪も多いからな、気を抜くなよ」


 そう警告するロクギはしかし、背中の剣の柄を握る様子はない。探索者達は皆落ち着いた様子で、迷いなく天井のない迷路の中を進んでゆく。集落の真下にある遺跡だけあって、彼らにとっては歩き慣れた場所のようだ。壁にはいろいろと面白そうな壁画が描いてあるが、眺める暇がない。横目で見る限り植物と、狼の絵が多い。調教師が連れているのも狼ばかりであるし、ここは狼の森なのだろうか。巨大な狼に遭遇したら嫌だな、と思いながらイウは少し息を切らして、小走りに進んでいった。皆、歩くのが速いのだ。


「……イウ、大丈夫か?」


 そして、いくつ角を曲がったか数えきれなくなったころ、モリンに声をかけられてしまった。頷いてはみたが、ぜいぜいと肩で息をしているのはイウだけだ。シュドに水筒を渡されて、胸がきゅっと痛くなる。


「……ありがとう。伏し、銀岩」


 受け取る時に少しだけ指先が触れて、胸の痛さが強くなった。水を飲もうとして、あまりに息切れしていて、咳き込んでしまう。それを見たログギがサッと手を上げて皆の注目を集め、「しばらく休憩にする。三十分、自由行動だ」と宣言した。助かった、とイウは地面に座り込み、皆が壁際に荷物を置いて、あちこち遺跡の中を見て回り始めた。


「……銀羽、立てるか」


 と、シュドが手を差し出してくる。息を止めそうになりながらその手を握ると、引っ張り上げるように立たされた。


「おい、休ませてやれよ」


 モリンが呆れたように言う。しかしシュドはそれに構わず「こちらへ」と握った手を引いた。このまま、手を繋いで歩くつもりなのだろうか。それだったら嬉しい。ずっと離さないでほしい。どんどん頬が熱くなってゆくのを感じながら、手を引かれて歩く。「勝手に歩くと迷うぞ」と言いながらモリンがついてくる。シュドが「迷わない」と短く返した。


「地図は覚えた」

「は? いつ」

「縄梯子から見下ろした時」

「あの一瞬で?」

「そう複雑な造りでもない」

「いやいや、相当複雑だろ。もう何回角曲がったよ」

「五十四回」

「覚えてんのかよ」

「中央付近に、石板らしきものが見えた」


 探索者達は歩き始めたイウ達の方を気にする様子は見せたが、「声の届く範囲にいろよ」と言って、追ってくる様子はなかった。数鐘ぶりに三人だけになって、少しほっとする。


「石板って?」とモリン。

「〈スキル〉の……見なさい、これだ」

「え、〈スキル〉の石板ってこれのことなの? 遺跡によく転がってるやつじゃん」

「そうだ。これは『回し蹴り』」

「壁抜けできるやつ?」

「いかにも。取得したいという意思を持って触れてみなさい」


 モリンは少し眉を寄せて疑わしげにシュドを見返し、そして好奇心が勝ったのか、美しい紋様の描かれた小さな四角い石板に手のひらを押し当てた。そしてギョッとした顔になり「え、なんか、『力を欲するか』って訊いてくるんだけど」とシュドを見上げた。


「是、と」

「ぜ?」

「欲する、と言え」

「ほ、欲する――うわ!」


 ふわりとほんの一瞬石板の紋様が光を放ち、そしてモリンの右足の甲に青く光る紋様が浮かび上がった。石板に描かれているのと同じ紋様だ。光は次第に弱まって、シュドの全身に刻まれているのと同じような、黒い刺青紋様になる。


「……これで、使えるようになったわけ?」

「紋様を意識し、念じれば発現する。その際、〈MP〉を消費する」


 ほら、と言うようにシュドが右足を持ち上げた。花園のやわらかい布靴は素足で履いても擦れず蒸れず、足の甲が綺麗に見える意匠だ。そこにモリンと全く同じ紋様があるのを認めて、イウはなんともいえない羨ましさで胸の中がいっぱいになった。


「壁に背をつけて使え」

「うん。後で人のいないところで試し……あー、イウ? えっと」

「伏し目とお揃い……」

「あ、うん。ええと、悪い、そんなんじゃなくて」


 慌て始めたモリンは、イウが仲間外れにならないよう気を遣ってくれているのだろう。優しい子、という気持ちを込めて頭を撫でると、彼女は「泣いたかと思った」と安堵の息をついた。


「この石、あちこちにごろごろしてるからさ、またどっかで見つければいいよ」

「うん」

「涙目も〈スキル〉が欲しいのか? ならば君には『灯火』の方がよいだろう」


 二人のやりとりを困惑した様子で見ていたシュドが言った。イウが顔を上げると、彼は「君は有用なものよりも、美しいものの方が好きだろう。私の知る中で最も美しく、そして手に入る見込みが大きいのは『灯火』だ」と言った。


「……うん、それがいい」

「お前って、人の気持ちとかなーんもわかってねえのに、たまにいいこと言うよな」

「おーい、そろそろ行くぞ」

「わかった!」


 壁の向こうから聞こえてきたロクギの叫びに、モリンが声を返す。「行こうぜ!」と軽やかに駆け出し、角を曲がった瞬間、サッと視界を横切った何かを避けてモモンガの少女が宙に舞い上がった。

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