3 夥竜(モリン)


 モリンが小型のタガネと金槌を取り出し、欠片をいくつか採っていると、シュドが荷物の底から何やら金属の棒が連なった鎖のようなものをじゃらじゃらと引っ張り出しているのを見つけた。


「げっ、何だそれ! 妙に重いと思ったら、そんなの入ってたのかよ……。何考えてるんだ、銀葉兄さん」


 思いきり顔をしかめると、シュドは軽い調子で肩を竦めた。


「測量道具を入れるよう頼んだのは君だろう。これは測鎖だ。これで、この地下室の壁の長さを測る」

「はあ? そんなの紐でいいだろ。それなら軽いし、使い道も多い。なんでわざわざ鎖にすんだよ」

「繊維と違って伸び縮みせず、熱による膨張率も比較的小さいからだ」

「縄は、強く引っ張ったら伸びるからってか? 細けえな、そんなのほんのちょっとだろ!」

「君は〈サーベイヤー〉に向いていないようだ」

「失礼な……何だっけそれ?」

「測量士」


 モリンとシュドがどうでもいい議論をしている間に、イウは荷物から白紙の野帳を一冊取り出して、サラサラと初めのページに何か書きつけていた。覗いてみると、日付や区域の天候時間、この地下室の位置情報などが探索者顔負けの整った書式で記されている。それを見た二人も、各々の野帳を手に探索を始めることにした。


「まず部屋の広さを測る。光脈の形状も正確に記したい。深さも知りたいところだが……」

「わかってると思うが、遺跡を穴ぼこにすんのは絶対ダメだ」

「穴……塞げる」


 イウの幽かな声が静まり返った地下に響き、二人が同時に振り返った。


「え? 塞げんの?」

「小さなものしか試したことがないけれど、大きな穴でも、おそらく可能」

「それって、完全に元通りになるわけ? 例えば石の傷とかさ」

「わからない……」

「じゃあやめとこう。別の場所で実験してからだ。深さまで測る必要ないだろ。な、シュド?」

「もしやあの時、穴が消えていたのは君が塞いだからか。涙目よ、この石に小さな穴を開け、すぐに塞いでみせろ」

「おいやめろ」


 苔まみれのでかい石をぐいぐい押し付けようとするシュドを引き離し、どうにか測量を始めさせる。鎖をピンと張って、測った長さをイウが記録する。コンパスや、六分儀というらしい単眼鏡のついた分度器のような器具でシュドがあちこちの角度を計測すると、あっという間に天井の高さまで暗算で弾き出してしまった。が、肝心の記録係が、単眼鏡を覗くために伏し目の面を捲ったシュドの横顔に夢中で、手元の紙には虫の這った跡のようなものしか描かれていない。


「涙目、一〇七二尺だ」

「ぎ、銀の瞳……」

「一〇七二尺」

「面の下も、伏し目だった……」

「高さ一〇七二尺だ。記録せよ、イウ」


 淡々と指示を繰り返すシュドの目はやる気のなさそうな半開きで、面を被っている時と大差なかった。表情と呼べるようなものもほとんど浮かんでいない。性格を知らなければ神秘的な美青年に見えたかもしれないが――


「中身がアレだもんな……」

「知性が、瞳に現れている。とても素敵……」

「イウ、ここ静かだから全部聞こえてると思うけど、いいのか?」

「あっ」


 先の尖った耳が、みるみる薄紅色に染まる。面の下に両手を入れて顔を覆ったイウと、それを見つめるシュドを交互に見る。流石に何か反応するだろうかと思ったが、双眼の編者は「イウ、記録を」と言っただけだった。


「な、なまえ、イウって」


 震えている彼女に歩み寄り、鉛筆を持った手を包み込むように握って「一〇七二」と書き込ませたシュドはそこでようやく、ごく小さな声で「……あまり褒めるな」と呟いた。イウが今にも倒れそうな声で「ご、ごめんなさい」と言う。


「謝ることでもない。光脈を測るぞ」

「す、少し待って……」

「ならば休憩しなさい。私は入り口の碑文の解読を試みる」

「……うん」

「え、それだけ?」


 肩透かしを喰らった気分でモリンが言えば、編者達二人が――なぜかイウまでも――不可解そうに彼女の方を振り返ったので、馬鹿馬鹿しくなって「いや、何でもない」と言った。


「……何でもないの?」

「おう。俺、もうちょっと石を採ってくるから」

「わたしは少し、花を見てくる」

「知らねえ植物ばっかだからな、気をつけろよ」

「うん」


 ふらふらと歩いてゆくイウは、どうやら広間の真ん中に咲いている藤の花を見たいようだ。藤といっても紫色ではなく、光脈の力で育ったからか、大きな花房は淡い青色の光を放っている。太い蔓は茶色く乾いた樹皮を持ち、大きな籠のように入り組んで、天井近くまで無数の花を咲かせている。それをうっとり見上げているイウを横目に、モリンも光石の採集を再開した。カツン、カツン、と金槌の小さな音が響く。


 そのせいで、はじめの囁きは聞き逃した


「ん? なんか言ったか?」

「二人とも、来て」


 イウの困惑した声。変な草にでも触ったかと思って駆けつけると、彼女は滝のように咲き誇る藤の花をかき分け、絡まり合った蔓の奥を指差した。


「見て」

「……っ」


 叫びそうになったのを呑み込む。モリンは額を青褪めさせながら、イウばりの小声で言った。


「触るなよ、どんな毒を持ってるかわからん」

「このふわふわは、危険なもの?」


 イウが小声を返す。藤の檻の中には、巨大な黒い黒怪が押し込められていた。鳥のような羽毛に覆われている。目は閉じられていて、死んでいるようだったが、腐った臭いはしない。光毒が腐敗を防ぐことは知っていたが、まさか上にこんな大きな木が生えてしまうほど長く朽ちないものだとは。更に言えば、この広間に大きな出入り口が見当たらないところを見るに、この遺跡が作られる前から存在していた可能性すらある。


「……たぶん、この区域のヌシだな。光脈の真上に降りちまって、死んだんだろう」

「この森の光を含んだ特殊な植物によって、封印されているようだ。嘗て、この〈エリア〉に存在した古代文明の大半がこの黒怪『夥竜カリュウ』によって破壊され、生き残った僅かな人間によってこの地下堂へ封じられたらしい」


 シュドが言う。広げてみせた野帳には、下手くそな字で古代文字とその解読文らしきものがびっしりと書きつけてあった。


「もう解読したのか?」

「いかにも。地上の夥鳥カチョウ達とほぼ同じ形状で、金の瞳をしているらしい」

「金の瞳……」


 夢見るように囁いたイウが閉じられた瞳をじっと覗き込んだ時――三つ並んだ巨大な瞼がゆっくりと、夕陽のような金の光をこぼしながら細く開くのが見えた。


 見えてしまった。


 主は眠たそうに一度瞬き、間近で見ているイウへぎょろりと視線を移した。モリンは慎重に友の前に出ると、押し殺した低い声で言った。


「イウ、そのままゆっくり後ずさりしろ。絶対走るなよ」

「生きていた……とても綺麗な瞳。金色の中に、光脈の光が散っている」

「鑑賞すんな、逃げろ」


 みし、と藤の蔓が鳴る。漆黒の羽毛が揺れる。主の証、瞳孔の縦に割れた竜の瞳を不愉快そうに細め、夥竜は全身の筋肉に力を入れ始めた。数本の蔓が破裂音を立てて千切れ、鞭のように襲いかかる。イウの腕を引っ張って避けさせる。


「あ、ありがとう……」

「びっくりしてないで逃げろ。いくら毒で弱ってても、主は主だ。お前達を庇いながら観察する余裕はねえ」

「うん」

「〈スキル〉は使うなよ、シュド。強い攻撃をする奴が一番襲われやすいんだ。怒りを買うな」

「心得ている。ところで、君一人なら逃げながら生態を観察することが可能か」

「それはお前達を逃がしてから考えることだ――っと! 走れ!!」


 藤の檻を破った竜が、咆哮を上げながら六対の巨大な翼を広げた。耳の奥が強く揺さぶられ、目が回るような奇妙な声だ。イウがふらつき、シュドが素早く彼女を抱き上げる。


「先に行け! 俺に構うなよ!」


 頷いたシュドが走り出す。イウは「モリン!」と声を上げていたが、そのまま連れて行かれた。六つの金の瞳がそれを追う。翼だらけの長い胴体をくねらせ、奴にとっては狭いだろう地下室の中で信じがたいほど器用に飛び立った。光毒玉に素早く水筒の水をかけ、投げる。パンと破裂したそれは霧状の光毒を振り撒いて、黒怪の目を潰す。


 その予定だった。


「効いてねえな」


 長年光脈の森に閉じ込められて、耐性をつけたのだろうか。敵は一瞬目を細めただけで、苦しむどころが嫌がる様子すら見せない。そんな話は聞いたことがない。モリンは徐々に焦り始めている自分に気づき、敵を睨んだまま、唇の隙間から細く長く息を吐き出した。思考の焦りは心拍の焦りだ。呼吸で心拍を整え、瞬時に冷静な自分を取り戻す探索者の技にかけては、彼女は齢十五にして既に熟練の域に達していると言えた。


 毒の霧は主を弱らせなかったが、意識をこちらに向けさせることには成功した。後は二人が階段へ逃げ込むまで、気を逸らし続けるだけ。随分と小回りの効く黒怪らしいが、そういう立ち回りならばモリンだって負けていない。


「こっちだ、デカブツ!」


 大声を上げれば、金の中に浅葱色の混じる毒々しい瞳が、カッと瞳孔を開いて彼女を見た。大きく翼を振るい、全身をしならせて――


 迸る悲鳴を噛み殺せたのは、イウを怖がらせたくないという思いがあったからだ。一人だったら泣き叫んで、気絶していただろう。刃物のように尖った嘴が腹のど真ん中に突き刺さっている。貫通しているかもしれない。竜が嘴を振り回す。その強大な遠心力のまま、ゴツゴツした石の壁に叩きつけられる。肺から空気が全部吐き出される。口から飛び散った血が目に入る。


「伏し目は治癒を!」


 氷のように透き通った、少女の綺麗な声が霞む意識の向こうで聞こえた。パキ、パキ……と薄氷のひび割れる音が響いて、今にも獲物を喰ってやろうとしていた竜が、首まで氷の結晶に覆われる。片膝をついて光脈に片手を押し当てていたシュドが、モリンに向かって走り出した。


(やめろ)


 叫ぼうとしたが、声が出ない。今にも目が閉じてしまいそうだ。無理矢理こじ開けた瞼の隙間から、既に氷の大半を翼から振り落とした主が見える。シュドの手のひらに刻まれた紋様が青く光を放つ。そのシュドの向こうに、イウが立ち塞がる。


(やめろって、せっかく逃がしてやったのに)


 右目の端から涙が流れた。一体いつの間にここまで情を移していたのかわからないが、どうしても彼らを死なせたくなかった。引き替えに自分が死んだとしても。

 翼の自由を取り戻した竜を、イウが真っ直ぐ見上げている。ガタガタと全身を震わせながら、それでも体を丸めずに、真っ直ぐ。響き始めた耳鳴りの音に竜が怯むのが見えたが、なぜだろう、モリンはそれを聞いて不思議と恐怖が引いてゆくのを感じた。


 ――お逃げなさい、哀れな竜よ


 彼女の声、だろうか? 天上から響くような美しい声が聞こえた気がする。遠ざかってゆく世界の中で、地下室の天井に、突然とんでもなく大きな穴が出現するのが見えた。サァ……と振り込んでくる霧雨を浴びて、竜がハッと空を見上げる。黒雲が渦巻く雨天だが、それでも地下とは比べ物にならない明るい空を。


 六対の翼が波打つように、天に向かって羽ばたいた。封印されていた太古の黒怪は、生まれ故郷の森へ向かって無我夢中で飛び出していった。そして確かに見上げていた空が、瞬きひとつ分の間に、ふっと、消える。イウが穴を塞げるというのは本当らしいと思ったところで、モリンはうっすら微笑むと、眠るように意識を飛ばした。

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