4 黒髪の少年(ユロ)

 なぜ全盲の少年が杖もなしに森の中を駆け回れるのか、誰にもわからない。黒い髪をもつこの子には、黒怪の血が混じっているのではないか。


 そう噂されたユロの父は家族を捨て、母は首を吊った。取り残されたユロは集落の人間によって、竜の生贄にされる予定だった。そんな彼の噂を辿って塔から遣わされたのが、三ツ目のイデンだった。少年がただの感覚が鋭敏な子供だと結論づけたイデンは、彼を弟子に迎えた。


 彼に教わりながらいくつも任務をこなした今では、当時のユロが〈バグ〉ではないかと疑われていたことがわかる。だから編者イウはユロにとって、他人事とは思えない存在だった。彼女を庇う編者シュドも、探索者モリンも、「消去」の妨害をする悪人だとは思えなかった。


(でも、皆死んでしまった。あの炎のような気配をした女の子も、果てに閉じ込めた。僕が)


 そう思うと食事が喉を通らず、一週間後には熱を出した。丸三日寝込んで、どうにか粥を流し込んで体力を取り戻し、師の元を訪れると、イデンは塔の自室で忙しそうに書きものをしていた。


「報告書ですか?」

「いや、それはもう終わった」


 それ以上の説明はない。こういう時に「手元を覗き込んで読む」という行為が選択肢にないのは不便だなと思う。それから、イデンの書類仕事を手伝えないのも。


「……お手伝いできず」

「お前にはそれ以上の価値がある」


 このやりとりもお約束になっている。どうしようもないことをうじうじと気にし続けるユロに、イデンはいつも優しい言葉をくれるのだ。だからそんな師が……〈バグ〉の消去と言えば高尚に聞こえるが、実質は少女の殺害でしかない任務に躊躇しなかったのは、彼にとって意外だった。


「報告を終えられたということは、新しい〈バグ〉がもう発見されたのですか?」

「新しい? いや、現時点で『涙目』よりも緊急性の高い任務はないよ」

「イデンは、まだ彼らが生きていると?」


 少し驚いて、ユロは笠の下で眉を上げた。見張りをやめて帰還したのは、てっきり彼らが死んだものと判断したのだと思っていた。


「可能性がある限り、我々は探さねばならない」

「そう、ですか……」

「まだ体調が優れないかね? 私が一人で出向いてもよいが」

「……いえ。その、イデンは」


 言い淀むと、イデンは手を止めて「ん?」と振り返った。ユロは俯いて、言おうか言うまいか悩み、思い切って口を開いた。


「イデンは、人型の〈バグ〉を消去することに……その」

「心が痛まぬか、と?」

「……すみません」

「痛むさ。人でも、黒怪でも。しかしその心を封じ込めねば、綻びは広がるばかりだ。ただでさえ黒怪が跋扈し、人類が隅に追いやられたこの世界イレアに、これ以上『封じられた地』を増やすわけにはゆかない」


 イデンは決然とそう話し、そして「ユロ、辞めたくなったか?」と優しい声で言った。ユロは迷わず首を横に振った。


「いいえ、僕はイデンについてゆきます。僕の苦しみを、恩人のあなたには背負わせない」


 ユロの敏感な耳は「ありがとうな」と囁く声に少しだけ啜り泣きが混じったのを聞き取ったが、今だけは聞こえなかったことにしておいた。

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