5 アースロ(モリン)

 カチャカチャと金属が鳴る音、数字を読み上げる小さな声。草の匂いと、青い光。ぎゅっと眉を寄せ、僅かに目を開けたモリンは、どうやら自分は生きているらしいと、ようやく気づいたところだった。寝転がったまま少しずつ体を動かし、痛む箇所がないか確認していると、ガチャンと鎖が石の床に落ちる音がした。


「モリン!」


 囁く息の中に少しだけ喉の震える声が混ざる。横切る白い影と、花のような甘い匂い。やわらかな感触。抱きしめられたモリンは腕を伸ばして、泣いているイウの背中を叩いてやった。


「……どんくらい寝てた?」

「丸二日」


 体を起こすと、血塗れかと思った服は新しいものに着替えさせられていた。上着を捲り上げてみると、腹部には少しだけ肌が盛り上がった丸い傷跡。


「思ったよりマシだな。そんなひきつれてねえし、まあ形はダセェけど」

「光脈に触れながら〈スキル〉を使うことで、本来の〈レベル〉を超える力を引き出すことが可能なようだ」


 シュドが言った。モリンが「助かった」と神殿式に胸の前で手を組むと、「銀花の蝶礼だな」と興味深そうに言った。やはりこいつに真心とか誠意とか、そういうのは伝わらないらしい。


「そして君の治療で〈レベル5〉まで上がった。感謝する」

「あっそ」


 苦笑すると、イウが「〈レベル〉が上がると、紋様が増えるのだって」と補足した。シュドの手のひらを見せてもらえば確かに、意識を失う前に見たそれより複雑な図柄になっている。


「変な仕組みだな……。じゃあ持ってる〈スキル〉の〈レベル〉を上げれば上げるほど、その腹とか腕とかの紋様が細かくなってくのか?」

「いかにも」


 露出の多い神官服に着替えさせて初めて知ったことだが、シュドは腕だけでなく肩にも腹にも首にも、おそらくは全身の至るところに〈スキル〉の紋様が刻まれていた。ただでさえ肌の三分の一近くを覆っているのに、それらが全て複雑化したらすごい見た目になりそうだ。


「あんま……キモくならねえといいな?」

「は?」


 きょとんとした声を出したシュドだったが、その時、何に驚いたのか彼は突然見たこともない俊敏な動作でその場を飛び退いた。


「は?」


 今度はモリンがぽかんとする。と、イウが彼の足元から何やらわじゃわじゃと脚がたくさんあるでかい虫を拾い上げた。平べったくて節があり、背中は黒曜石のようにキラキラ光っている。保存用の小麦パンくらいの大きさはあった。

「何、それ」眉を寄せるモリン。


「アースロ」とイウ。

「っていう虫か? 学名?」

「個体名。節足動物の学名から、わたしが名付けた」

「名付けたって、え? そいつ飼うの?」

「後ろをついてくる。置いてゆけない」


 名付けは調教の基本である。花園の蝶達にも一頭一頭に名があって、神官達は全ての個体を見分け、名を呼び、ある程度の意思疎通ができる。イウ達には格好つけて黙っていたが、モリンが調教師ではなくモモンガを志したのは、蝶々や芋虫の個体の区別なんてさっぱりできなかった、という理由もあるのだ。


 イウが抱き上げた虫の触覚のあたりをそっと撫でてやると、虫はどこか嬉しそうに脚を蠢かせ、なんとふわりとその場に浮かんで、彼女の腹のあたりの空中をのそのそと歩き始めた。


「え、浮いてんだけど」

「アースロ、可愛い……」

「可愛いか……?」


 モリンが腕を組むと、遠く離れたところからシュドが細かく首を横に振ってくる。


「何、シュドって虫嫌いなの?」

「……脚が多すぎる」心底嫌そうな呟き。

「アースロは、伏し目がとても好き」


 イウがのんびり言う。シュドが頭を抱える。アースロとやらはゆったりと地面に舞い降りて、まだ葉脈が青く光っている新鮮な落ち葉を齧り始めた。


「え? こいつ、ここの草食うわけ? 天井の穴から降ってきたんじゃないのか?」

「竜に怯えて、隠れていた。拾って、ここに入れたら、懐いた」

「げぇ」


 話を聞くに、どうやら竜から逃げる途中でこの虫を発見し、咄嗟に拾い上げて胸当ての中に突っ込んだらしい。シュドが頭を抱えたまま首を振っている。さもあらん。


「……そいつも、光に耐性があるみたいだな」

「うん……ほら、よく見ると瞳の中に、浅葱の光が星のように散っている」

「いやちょっと、あんま近づけんな」


 目の前に虫の顔を寄せられて仰け反ったが、確かに丸くて黒い瞳の中に青い星模様が見えた。虫の眼ではなく、宝石とかだったら綺麗かもしれない。尾の方へゆくに従って段々と黒から金に染まっている甲殻といい、まあ色だけ見ればイウが好みそうだとは思う。


「アースロ、なあ……まあ、よろしく」


 声をかけたが、虫はのんびりと触覚を動かしているだけで特に反応しなかった。人に懐くような生き物にはとても見えない。


「抱っこしてみる?」

「しない」


 モリンがきっぱり断ると、イウは少し残念そうに肩を下げて虫の頭を撫でた。なんとも言えない光景だったが、それを眺めていると、腹の傷の奥の方で燻っていた恐怖心が少しずつほどけてゆくのを感じる。


「もう少し……休む必要があるが、早めにここを出よう。地上へ出ずに、ここの床に穴を開けて地下から隣の区域を目指すのがいいと思う」

「いいの?」とイウ。

「どでかいのを天井に開けちまったし、今更だろ。違和感なく塞がってるし、命には替えられねえよ」


 モリンの案には編者達も賛成したが、この地下室に穴を開けるのではなく、階段を登って地上付近から脱出することに決まった。果てを通って隣接する区域へ向かうには、地上の森の木の根をつたってゆく必要があるからだ。


 遺跡の入り口まで慎重に戻り、ついでに扉の割れ目からそっと外の様子を伺ってみる。少し離れた森の地面に、へし折った若木を組み合わせ、せっせと巨大な鳥の巣を作っている夥竜が見えた。周囲の木々には目玉を咥えた小さな夥鳥達がずらりととまり、喉の奥で甘えるように歌っては気を引こうとしている。


「……浮島群の鳥竜はさ、もうちょっと普通の鳥っぽい形の主なんだけど、あそこまで巨大じゃないにしろ、でかいのは一頭しかいねえんだ。でもああいう感じで、仲間みたいな黒怪がいっぱいいてさ。その中から番を選んで、口移しで血を与えるんだ。そうするとそいつが少しずつでかくなっていって、最終的には竜の伴侶に育つ。たぶんあいつも、似たような生態してるんだろうな……」

「あの竜は、雌?」


 イウが囁く。モリンは肩を竦めて「普通なら求愛してる方が雄だけど……竜だからな。卵産むまで観察しねえと、なんとも」と言った。


「夥竜は〈エリアボス〉ではなく〈レイドボス〉であるものと思われるが、生態には似通った部分があるのか」


 シュドがぽつりと言い、イウが「〈レイドボス〉とは?」と問う。


「少人数のチームで挑む〈エリアボス〉に対し、集落の探索者達が総出で討伐するような、強大な主のことを指す。かつて発見され、封じられた〈イベントエリア〉のひとつは、百人の狩人が三日三晩戦い続け、しかし敗北し『奪われた地』となった歴史があるそうだ」

「『発見され、封じられた?』」


 モリンが口を挟む。シュドが頷く。


「その〈レイドボス〉が〈バグ〉だったのだ。涙目と同じような、果てを開く〈バグ〉だ。伝承を辿り、かつて黒怪に奪われた地を奪還せんと踏み込んだ探索者が見たのは、虚空への穴が無数に空いた大地だった。以来、そこは『封じられた地』となっている。二度と人が住むことは叶わぬ、滅んだ地だ」


 そのような土地は自分の知る限り四ヶ所ある。三ツ目達が〈バグ〉を消去して回っているのは、大地そのものを守るためなのだ――シュドが一言話す度に俯いていっているイウの背を、モリンはそっと撫ぜた。


「お前の話じゃねえよ、イウ。むしろ逆なんじゃねえの? 穴を閉じられるイウは、もしかしたらその滅んだ地を元に戻せるかもしれねえだろ?」

「いかにも。故に自然に開いた果てを塞がせたいのだが、発見済みの果ては全て大岩で塞がれている。やはりここは『封じられた地』へ」

「流石にやめとけ。……でもさ、イウが壊れた土地を修復できるってことになったら、三ツ目達は追うのをやめるんじゃないか? 一生塔から逃げ続けるわけにもいかねえし、あいつらにその話をしてみるってのはどうだろう」

「却下だ。どちらにしろ涙目を奪われることに変わりはない」

「お前、ほんとにさあ……」


 モリンが呆れてみせてもシュドは素知らぬ様子だったので、一行は果ての穴を抜けて北西の樹上集落を目指すことにした。最後に割れ目から幸福そうな竜を振り返って、そっとため息のように言う。


「『奪われた地』なんて言うけどさ……黒怪達にだって命があって、家族がいて、生きてく場所が必要なんだよな。土地を奪われたから奪い返すべき、殺すのが完全な正義かって言われると、俺はちょっと違う気がする……」

「……うん」


 なぜか少し嬉しそうに頷いたイウが、つま先でトントンと床を打つ。人ひとりがちょうど通れるくらいの穴がすぐに現れた。もうすっかり、絶望しなくても穴を開けられるようになったらしい。


「そうやって能力を制御するのもさ、〈バグ〉って謗られねえための対策になるよ。定義云々じゃなくて、要は危険人物でなけりゃいいんだから」

「……ありがとう、モリン」

「お前はその力で誰一人傷つけてねえし、俺の命を救った。それが事実だ」

「うん」


 可憐に頬を染めたイウがアースロを抱き上げて胸当てに入れる。シュドが「うっ……」と呻いて、そそくさとモリンが投げた縄を握って果ての根へ飛び移った。




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