2 地下室(モリン)
「あ、おい」
咄嗟に支えてやろうとしたが、モリンが動く前にイウが彼の肩を掴み、そっと地面に寝かせた。「伏し目、死なないで」とか言って泣くのかと思ったが、口元に耳を近づけて呼吸を確認し、脈を確かめ、喉が塞がれないよう横向きに転がしてやっている。
「意外と冷静だな」
「泣いていても、何にもならない。わたしもモリンのように、強くなりたいから」
「……そうかよ」
モリンは見上げてくる涙目の刺繍からぷいと顔を背け、素早く外を窺うと、サッと飛び出して雷撃で焦げた鳥を何羽か拾ってきた。
「よし、夕飯はこいつにするぞ」
「気持ちが悪いのではなかったの?」
「まあ、平気だ。捌いちまえば肉だしな」
「水辺へ行くなら、伏し目が目覚めてからにして。ひとりで動いてはだめ」
「だな。ここで処理すると遺跡を汚しちまう」
モリンは同意して、ひとつ息をつくと胡座をかいて地面に座り込んだ。水筒の水を少しずつ飲んで、干し肉をかじる。
「ほら、お前も食っとけ」
「……うん」
大人しく肉を食べているイウは、儚げな容姿に反してなかなか肝が据わっているようだ。普通の女の子は立て続けに襲撃された直後、焦げた匂いを発する鳥の死骸を眺めながら肉を食ったりできない。相変わらず恥ずかしがって声も出さないし顔も見せないが、やはり美しいだけの腑抜けではないらしい。
「お前さ、いつからシュドが好きなの?」
何気なくそう尋ねると、イウはびくりとして肉を取り落とした。慌てて拾って、泥まみれになっているのを見ると、水筒の水をかけてから口に入れる。笑いそうになった。
「……五歳、くらいから」蚊の鳴くような声。
「そんなチビの時から? なんかきっかけがあったのか?」
少し前のめりになりながら訊くと、イウは俯いて少しの間考え込み、首を振った。
「特に、ない」
「あれ、夢を諦めないってやつは?」
「それは、好きになってから見つけた素敵なところ」
「じゃあ、外見が好みだったのか?」
「伏せた瞳はとても格好いいけれど……それも、後から気づいた」
「いや、それはあいつの顔じゃねえだろ」
「え?」
「伏し目の面は、本人の顔じゃねえだろ。それとも素顔見たことあんの?」
「ない」
「わけわかんねえな……」
肩を震わせて笑っていると、イウは不思議そうに首を傾げた。そして小さな小さな声で「好きな、理由は……ない方がいい。ないものは、失われないから」と言って、何やらサッと顔を上げる。胸の前でぎゅっと手を握っている。
「も、もしかして……モリンも、伏し目が」
「ねーよ」
思わず食い気味に言ってしまったが、イウは「本当?」と不安そうにしている。
「ダチに嘘は言わねえ」
きっぱり頷くと、イウは「……よかった」と囁いて握った手をもじもじさせた。
「ていうか濡れた服で胸を寄せんな。シュドが起きそうだぞ」
「胸?」
「それ」
「……どれ?」
イウはモリンの指差した先を追って己の胸元を見下ろし、そしてあろうことか胸当てを引っ張って上から中を覗き込んだ。モリンが慌ててやめさせる前に、小さな呻き声を上げていたシュドが起き上がってしまう。
「あ、ちょっと、こっち見んな」
「モリン、どれ?」
「どうした、涙目」
「だから見んなってば!」
慌てるモリン、首元を引っ張るのをやめないイウ、それを見ながら「虫が入ったか?」と言っているシュド。場は一時混沌としたが、シュドの唇が紫色になっているのに気づいたイウが胸当てから手を離して彼の介抱を始めたので、ひとまず状況は落ち着いた。
「全く、こいつらは……」
「伏し目、〈MP〉はどうしたら回復する?」
「一晩休養すれば、完全に」
「ここで夜を過ごすのは危険。遺跡の奥まで、もう少し歩ける?」
「鐘ひとつほど休めば測量を開始できる。待ちきれぬのはわかるが、泣くな」
「だからそれは顔じゃねえって」
試しに立たせてみたシュドは少しふらついていたが、歩けないというほどではなさそうだった。そんな彼らを連れて慎重に近くの水場へ向かい、多翼の鳥三羽を手早く捌く。腐敗防止の光毒を塗った油紙で肉を包み、暗い遺跡へと戻った。
「悪いな、無理させて。もう少しだけ奥に行ったら休んでいいから」
「いや、問題ない。気持ちはわかる。私が計測するので、君は
「そうじゃねえよ」
馬鹿なことを言い出したシュドを引きずるように、暗い遺跡の奥へ進む。モリンは松明を作ろうとしたが、なぜかそれは編者二人に揃って止められた。故に、壁に手を当てながらそろそろと進む。扉の割れ目から少し離れただけで、足元は全く見えなくなった。
「なあ、なんで明かりをつけないんだ?」
「石板が存在しなかったからだ。取得され、消えた跡すらも」
シュドが淡々と答えた。
「はあ? 石板?」
「灯火の〈スキル〉を取得するための石板だ。地下遺跡や洞窟など、暗所の入り口付近にはほぼ例外なく存在している。それが、ここにはない」
「だから何だよ。別に明かりくらい〈スキル〉じゃなくてもいいだろ」
「……モリン、あの鳥には大きな目が三対もあった。おそらくとても視力がいい。ほんの少しの明かりでも飛べる可能性がある。だからこの遺跡には明かり取りが全く見当たらないのではないかと、伏し目は推理したのだと思う」
「つまり、あの鳥に侵入されないためにこの真っ暗な建物が造られたって?」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」
「うーん……あ、階段があるぞ。くだりだ。気をつけろよ」
イウが「か、階段……」と囁いたので、手を握ってやる。踊り場を二回くらい曲がったところで、ぼう、と赤い光が灯った。振り返ると、シュドの手のひらに小さな炎。面を被った顔が下から照らされてえらく不気味だが、イウは「神秘的」と頬を染めている。
「おい、また倒れるだろ」
「『灯火』程度ならば問題ない」
「そうか? というか、〈MP〉って何なんだ? 体力のことか?」
問えば、珍しくシュドは答えに詰まったようだった。
「……気力、の方が近いだろうか。体力的な消耗は感じられない」
「じゃあイウがしょっちゅう気絶してんのと一緒? いっぱいいっぱいになって倒れる、みたいな」
「モリン、しぃっ……それは、言ってはだめ」
「精神的な許容量を超える、という意味ならばそうかもしれない。感覚としては、苦痛より疲労に近い。気力が尽きる、精魂尽き果てる……どの表現も的確に思えないが」
「ふうん」
一応耳を澄ますが、鳥達が反応したような音は聞こえない。階段は下へ下へとどこまでも続いているように思えた。螺旋階段のようにぐるぐると下りてゆくが、何度角を曲がっても、部屋や廊下に辿り着かない。ここまではずっと一本道だ。
「なあ、これってどこま、で……」
「どうしたの、モリン」
「なんか光ってる」
モリンがそう言った瞬間、シュドが明かりを消した。驚いたイウが早速足を踏み外し、モリンが繋いでいた手を引っ張って事なきを得る。
「おい、急に消すな。危ねえだろ」
「何だあの光は……僅かに脈動しているようだ。見にゆくぞ」
「待て、俺が先行する!」
駆け出そうとするシュドの首根っこを掴み、気配を消してそうっと曲がり角の先を覗き込んだモリンは、その先の光景を見て息を呑んだ。
「……森?」
一歩踏み出したイウが、壁を覆う蔦の葉にそっと触れた。葉脈を伝うように、小さな光の玉が転がって指先にこぼれる。
「光脈の森だ……初めて見た」
モリンが呟いた。琥珀の瞳に青い光が反射する。地下深くまで刻まれた石の階段は、どうやらこの地下室を作るためのものだったらしい。見上げる天井は、ちょうど地上から見上げた雨雲の高さに近い。これが人工物だと俄には信じ難い広大な地下空間に、青い光の欠片を降らせる木々や草花が青々と生い茂っている。
「あれが、光脈か」
そしてシュドが指差す岩盤剥き出しの床には、大きな光の亀裂のようなものが走っていた。青い――しかし空の青色よりは少し緑みがかった、神秘的な浅葱色の光。それが心臓の鼓動のようにゆっくりと脈打ちながら、静かな地底の森を照らしている。
「だと思う。光石を採掘できる鉱山の中は、岩山の洞窟なのに森があるって聞いたことある」
「光脈の力はとても強くて瑞々しいから、岩にも植物が育つ。養分を必要としない」
「この遺跡、神殿の類かと思ったが、この光脈を守ってたんだな……」
「〈MP〉が回復している」
足元の亀裂、ではなく光石の鉱脈に触れながらシュドが言った。イウが頷く。
「〈MP〉は、光の力と同じものではないかと思う。伏し目が〈スキル〉を使う度、紋様がこれと同じ色に光るから」
「ならば光毒を飲めば〈MP〉を一瞬で回復できるのではないか。あれはこの石を蜜で溶いたものだろう」
「可能性はある。けれど、いくら人間に無毒なものとはいえ、もともと石だったものを大量に服用するのは危険かもしれない」
「ならば少量で実験しよう。常飲は避けるとしても、いざという時の切り札にはなる」
「ちょっと採掘していくか。光毒の調合は俺でもできるし、イウはこういう石、好きだろ?」
モリンが口を挟むと、編者達は揃って深く頷いた。
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