第四章 イベントエリア
1 奇妙な鳥(モリン)
「寝かせてやれ」
モリンが乾いた木陰を指差すと、困ったように腕の中を見下ろしていたシュドは、素直にイウを抱え上げた。枯れ葉が分厚く積もった場所へ降ろしてやっている。
「にしても、すげえところに出たな」
背の高い木々は、大木というより巨木と称する方がよさそうだ。てっぺんが霞んで見えるほど高い木々も、足元の草に咲く小さな花も、名前を知らないものばかり。頭上は黒い雲に覆われ、静かな霧雨が降っていた。今のところ黒怪の姿は見えないが、油断はできない。
「〈ゲート〉とやらは、これか……?」
雨に濡れたそれは黒い岩石でできていて、上の方がかなり崩れているが、元々は門のような形をしていたようだ。向こう側は白い霧に覆われていて、何も見えない。
「ここを通ったら、あっちの区域に戻れるのかな」
「試してみよう」
「おい待て!」
シュドが歩き出そうとするのを慌てて捕まえる。
「本当に戻っちまったらどうすんだよ。向こうからはこっちに来られねえのに」
「一理ある」
「はあ……全く」
呆れて腕を組みながら、耳を澄まして周囲の気配を探る。サァ……と細かな雨粒が梢を打つ音だけ。見回すと、草の間からところどころ四角い石が顔を出している。何か絵柄が刻まれているようだ。
「見ろよこれ、翼が六対もあるぜ。こんな鳥がどっかにいるのかな」
「可能性は高い」
「あんましキモくないといいけど……うわっ! びっくりした」
何気なく周囲を見回すと、伸びていたはずのイウがいつのまにかすぐ後ろに立っていて、モリンは
「あ……」
「あー。まあ、ちょっと雨に当たってたら綺麗になるよ。そういう素材だから」
「この光沢は蜘蛛糸だろう。よくこれだけの生地が手に入ったな」
「調教師の里だって言ったのはお前だろ。花畑では蝶が飼われてるけど、森の方では蜘蛛もたくさん飼ってんだよ」
「君の風合羽も同素材に見えるが、その灰色は何で染めた?」
「桜の樹皮」
モリンは神官達と風合羽を染めた時のことについて詳しく話してやろうかと思ったが、しゃべりながらシュドが鞄から次々に測量道具を取り出しているのに気づいて、「待て」と彼を制止した。
「測量を始めるのは拠点を作ってからだ。それにまずは細かい計測より、歩き回ってこの辺りの地形と生態系を把握する方がいい」
「ふむ」
「道具も簡易なものしかない。三人いれば薬や食糧だってすぐに尽きる。ある程度は狩猟採集で賄うにしても、大雑把な地図を作ったら一度どこかの集落へ行くのが現実的だと思う」
「これはモリンの夢だから……わたしは、あなたのしたいことに協力する」
イウの唇が微かに弧を描いた。ハッキリ微笑んでいるところは初めて見たかも知れない。そういえばシュドも、好き勝手楽しんでいるように見えて笑った顔はしていない。顔を隠して育つと、表情筋が発達しないのだろうか。
「ありがとな、イウ」
「火は熾せないけれど、薪は集められる。調薬もできる」
「その調子だ……って、薬作れんの? それはマジで助かるよ」
「モリンが、助かる……」
訂正しよう。少なくともイウはちゃんと笑える。それでもって、かなり可愛い。
「……えーと、何だっけ。何かやらなきゃと思ってたんだけど」
「拠点」シュドがぼそっと言う。
「ああ、そうそう。この感じだと近くに遺跡がありそうだから、まずはそこを見に行こうぜ。屋根のある場所で休めるかもしれねえ」
「異論はない」
モリンとシュドは木の下を選んで歩き始めたが、イウは泥を落とすため雨に当たっていた。肌を濡らす雨粒を不思議そうに見つめ、空を見上げ、はらはらと落ちてくる巨大な落ち葉を眺めている。
「冬……晩秋の区域?」
「だな。雨、冷たくないか?」
「冷たい」
「ならそのくらいにしとけ。風邪引くぞ」
「モリン、鳥がいる」
「あ?」
見れば確かに、高い枝の上に小鳥が三羽――否、巨木との比較で小さく見えるが、おそらく鷹よりもひと回り大きいくらいの鳥がとまっていた。縦に引き伸ばしたような奇妙な輪郭をしている、と目を凝らせば、一羽、蛇がくねるような奇妙な仕草で飛び立った。
「うわ、あれ、あれじゃん。さっきの絵」
慌てて小型の双眼鏡を取り出し、目に当てる。長い胴体に翼が三対。猛禽風の脚が一対。嘴は細長く、鋭い。眉を寄せながら簡単に素描をしていると、イウが「貸して」と手を差し出した。双眼鏡を渡してやると、そちらではなく紙の方を取り上げられる。少し寝かせた鉛筆をサラサラと走らせ、飛んでいる鳥と枝にとまる鳥の両方があっという間に描写される。イウは一度手を止めてじっと観察し、そしてすぐさま、奴が三対の翼をどのような順番で動かしているのか、注釈付きで細かく描き出した。
「うまっ」
「モリンも上手。けれど、わたしの方が少しだけ速い。……わたしがモリンよりも速くできることはあまりないから、動いているものは、描かせて」
「よし、頼んだ。絵の横にサインしておいてくれ。誰がどこを記録したか、わかるようにしとくんだ。あとで予備のやつを一冊やるから、それをお前専用にするといい」
そう言うと、イウは立ち止まって「わたしの……専用の、手帳」と大切そうに囁いた。
「手帳じゃなくて、
「うん……野帳」
「予備は何冊ある」
シュドが口を挟んだので、「お前にも一冊だろ? わかってるよ。兄さんが五冊は入れてくれてたと思う」と言う。案の定彼はその場で荷物を漁ろうとしたので、「あとでって言ったろ。拠点が先だ」と釘を刺した。
「にしてもキモいな、あの鳥……目が六つあるぜ」
木の実か何かを咥えて戻ってきた鳥を見ながら、モリンが二の腕をさする。イウが「……可愛いと思う」と言いながら、求愛なのか口移しで餌を与え始めた鳥を観察する。面の刺繍の目の部分に双眼鏡を当てているが、それで見えるのだろうか。
「え……可愛くないだろ。本気か?」
「首の周りがふわふわしていて――目玉を食べている」
「は?」
「ふわふわ」
「いや、そっちじゃなくて」
「大きな目玉を食べている」
「あれではないか?」
シュドが指差す方を見ると、ずんぐりした体の大きい獣が、木にぶつかり石につまずきながら、よろよろと逃げてゆくところだった。閉じられた片目から、だらだらと血を流している。
「……ちょっと待ってろ。絶対面を外すなよ」
モリンは編者達にそう告げ、鳥達の死角になるよう木の陰に入ると、幹を駆け上がって風合羽を広げた。ゆっくり旋回して舞い降りながら、周囲一帯を鋭い目で見渡す。
「あっちに建物が見えた。目を抉られる前に、屋根のある場所へ移動――っ!」
空中で正確に、瞳を狙って滑空してきた鳥を危うく躱す。ばさりと腕を振るって、頭を隠しながら急降下した。流石は編者、すぐさま状況を理解し、モリンの目元に包帯を巻こうとしてくるイウ。しかしモリンは首を振ってみせると、彼女の手を引いて走り出す。
「シュド、旋風を出せ! 鳥を吹き飛ばすんだ」
そう叫んだが、シュドは冷静極まりない声で「不可能だ」と返事をよこした。
「先程の治癒で〈MP〉が底をついた」
「あァ?」
「力が残っていない。これ以上〈スキル〉を使えば意識を失う」
「マジかよ……!」
異形の鳥達は三対の翼を細かく動かし、普通の鳥では考えられない急旋回で正面に回り込んでくる。しかもどこに隠れていたのか、次々に集まって数を増やし続けているようだ。
「短刀じゃ仕留めきれねえ。このまま突っ切るぞ!」
「……うん」
イウが気の抜けるようなゆったりした小声で応えた。思わず転びそうになったがどうにか堪え、できるだけ真っ直ぐ巨木の森を走り抜けてゆく。鳥達は小回りが効く分、滑空は普通の鳥よりも遅いようだ。一際大きな木を回り込むと、崩れかけた建造物が見えてくる。厚い石の扉は閉じられていたが、大きな亀裂が入っていた。その隙間に編者二人を押し込み、最後にモリンが滑り込む。中は真っ暗だ。追って飛び込んできた個体を仕留めようと短刀を抜いたが、その前にシュドが隙間から腕を突き出した。バチバチと大きな音がして、白い光で目が眩む。
「逃げていったぞ」
面越しに外を見ていたシュドがそう呟き、ゆっくりとその場にくずおれた。
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