第二章 旅のはじまり

1 選んだ石板(イデン)

 膝をついて首を垂れる三ツ目の頭領を、黒衣の長老が静かに見下ろす。否、その顔が見えぬからこそ冷静沈着に見えるが、瞳面の下がどんな表情なのかまでは窺い知れない。


「取り逃した、と」

「申し訳ございません」

「して、その探索者の特定は」

「判明してございます。花園集落、モモンガのモリン」

「伏し目共々、始末して構わぬ」

「……伏し目様も、でございますか?」


 たじろいだように顔を上げた男に、笑みを含んだ弦楽器の声が告げる。


「あれの探究心には価値もあったが……あらゆるものに、疑問を持ちすぎるきらいがあった。世の中には、なぜ、と表立って問うてはならぬ謎が多くあるものだ。そうは思わぬかね」

「……は、しかし」

「イデン。そなたにも、〈スキル〉を授けよう。あれが不正に手に入れたものと同じ力だ。私について来なさい」

「スキル、とは」


 戸惑うイデンをよそに、長老は長いマントの裾を翻し、資料室の奥の壁へと歩み寄った。骨張った指が壁面に淡く光る紋様をなぞり、複雑に揺らされる。すると、青かった紋様の一部が徐々に色を薄くして、次の瞬間、重い石のずれる音を立ててそこに扉が現れた。


「中へ」

「は」


 胸の前で両手の指先を合わせ、恭順を示したイデンが、長老の後に続いて暗い穴をくぐる。背後で重い石の扉が閉ざされ、そして暗闇にカツンと、長老が靴底で床を打つ音がした途端、突然床一面に輝く紋様が浮かび上がった。


「これは……」


 驚きの声が上がるが、しかし三ツ目の視線は床ではなく、壁面に向けられている。


「探索者の持ち帰った〈スキル〉の石板だ。もっとも、彼らは歴史の記された古文書だと思っているがね」


 イデンは四方の壁を遥か高くまで埋め尽くす膨大な数の石板を見渡して、ごくりと唾を飲んだ。絵柄と少しの文字が刻まれた石の板にしか見えぬのに、なぜか不気味な力を感じて腹の底が冷える。


「スキル、の、石板……?」

「……やはり、目ぼしいものは奪われているか」


 ところどころ、取り外されたのか壁が剥き出しになっている場所を見て、長老が呟いた。怒っているようにも、面白がっているようにも聞こえる。


「長老様、これは」

「〈スキル〉、即ち太古の技術が封じられた遺物だ。意志を込めて紋様に触れることで、強力な技術を獲得する。戦闘と、そして魔法の」

「はあ……魔法?」

「炎や雷撃といった強力なものは、伏し目が秘密裏に持ち去ったようだ。大したものは残されていない。三連撃、小回復、回転斬り――」


 一体なんのことやら、イデンは状況を仔細には理解していなかった。が、目の前にずらりと並ぶ古びた石板に触れれば、古代の力を手に入れられるらしいと、それだけはわかった。スッと、足音を立てぬ独特の足運びで近寄り、長老の手元を覗く。技の名前らしきものがずらり。


「……ならばこちらと、こちらをよろしいですか?」

「その二つは同じものだ。それも、見かけは華やかだが威力は今ひとつ。見なさい、この回転斬りは周囲の敵四体を一度に」

「いえ、これがよいのです」


 イデンが籠の下で微笑むと、そこに何かを感じ取ったか、長老は「よいだろう」と声音で微笑み返し、彼を石板の元へ導く。幸いにして二枚とも、梯子をよじ登らずとも触れられる場所にあった。それだけ、これを管理する編者達にとっては「見かけ倒し」なのだろう。


「では、手を」


 全く同じ紋様が刻まれた二枚の石板へ同時に、イデンが手を当てる。すると、ただの彫刻であったはずの紋様がぼんやりと青い光を放ち、そして、頭の中に自然と問いが浮かぶ。


 ――汝、力を欲するか――


「ええ、欲します。我が使命のために」


 目を細めて応えた瞬間、手のひらから凄まじい力が流れ込んできたのを感じて、イデンは息を詰めた。熱くも冷たくも感じるその奔流は彼の全身を巡り、青く光る小さな菱形の紋様が彼の両手の甲に浮かぶ。それは次第に光を失い、黒い入れ墨のような紋様になった。見れば、そこにあったはずの石板が二枚、いつの間にか消え失せている。それはとても奇妙な現象だったが、身の内に燃えるような力を感じる今はただ、役目を終えたのだろうと思うだけ。


「……ありがとうございます。確かに、力をいただきました」


 静かに告げる三ツ目の頭領に、長老は「私には、少し荷物を増やせば代用がきくものに思えるが」と肩を竦めた。


「いいえ、とんでもない」

「それで勝てるのかね? 数十の〈スキル〉を奪った伏し目に」

「ええ。長老がその一覧を見せてくだされば」


 ゆっくりと振り返った黒衣の男に、籠を被った処刑人が、どこか陶酔したように囁く。


「その一覧から何が失われているのか、私はそれが知りたいのです」

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