第五章 樹上集落 

1 買い物(モリン)

 あの後、廊下の窓から見えたギアのところへひとっ飛びしたモリンは、首尾よく彼から槍術指南の約束を取りつけることに成功していた。一晩明けて朝食を済ませ、今は短刀と槍を手に入れるために鍛冶屋へ向かっているところだ。


「頼むから目立つことするなよ? おっちゃんの前で〈スキル〉使ったらぶっ飛ばすからな」


 宿の木を離れ、吊り橋を歩きながらモリンがこそこそ言う。


「しかし銀花の祝詞にある『我が手のみどり』という文言はおそらく、光の力のことを表している。本来は何らかの方法で神へ〈MP〉を捧げ、見返りとして祝福を授かっていた可能性がある。つまり神官が光の力を使用することに問題はないのではないか?」

「んなわけねえだろ」


 いつものことながら見当違いの返答を寄越すシュドに、モリンは一発引っ叩いてやりたい衝動を堪えた。


「ならば『しろくもかしこき桜花の神へ、我が手の碧を捧げまつる』という文言を、君はどのように解釈する? 他に思い当たるものがあるのか? 因みにこれが光を指すのではと言い出したのは涙目だ。彼女に助力を求めても無意味だぞ」


「あのな、推察とかどうでもいいの。お前の仕事は古代の神事の再現じゃなくて、編者とバレねえように『普通の神官っぽく』振る舞うことなの」

「或いは〈スキル〉そのものが、霊的なものとされていたという考察もできる。石板が作られた時代、〈スキル〉は神へ力を捧げ、現象を給わる『神術』であった――どう思う?」


「部分的には、有り得る話であると思う。けれど、暗い遺跡の入り口に灯火の石板があるのは、人々がより〈スキル〉を身近なものとして扱っていた証に思える」

「ふむ……なるほどな」

「……うん、一晩明けたら多少は噂が落ち着いててよかったぜ、マジで。探索者以外の来訪はめったにないからな。たかられて質問攻めにされたら、俺一人じゃこいつらを隠し通すのは到底無理だよ」

「『一晩明ける』という言い回しもまた、この世界が不完全であるという証左のひとつだ。薄明るい区域の空を『夜明け』と称するが、『夜』が『明ける』という現象そのものは知られている限りどこにも存在しない。嘗ては流動的だった空模様が何らかの要因で固定化されたという説もあるが」


 モリンの台詞の欲しいところだけを抜き取り、生き生きと関係のない話をするシュドを、イウが胸の前で手を組んでうっとり見つめている。そして彼女は花のような唇をそっと開き、優しい囁き声で――


「一般に、例えば『一昼夜』という言葉は、複数の区域を駆け抜ける程度の時間を表したのが始まりだった、と言われている」


 ――彼に反論をぶちかました。モリンはにやりとしたが、シュドは動じない。


「しかし君は、夜そのものが朝へ変化すると考える方が好きだろう?」

「それは、そう……好き、とても」

「好きな仮説の証拠を探すのが学問の基本だ、涙目よ」

「……うん」


 あっという間に陥落したイウは、幸せそうに「好きな仮説の、証拠を探す」と口の中で反芻している。彼女はシュドのこういうところが好きなのかもしれない、と、苦笑いでモリンは思った。彼はどうにも自分の見たいものしか見ていない節があるが、それ故に夢へ向かって脇目も振らず進み続ける、ある種の清廉さのような雰囲気はある気がする。用心深いモリンが常に手綱を握っておかねばすぐに暴走し周囲を巻き込んで死に至る、危険きわまりない長所だが。


「マジでシュドお前、気をつけろよな」

「モリン、大丈夫。伏し目は聡明だから、大切なところでは間違えない」

「ほんとかよ……」


 鍛冶屋の戸をチリンと鳴らし、薄暗い店内に入る。看板には荒々しい書体で「最強の武器」と書いてあるが、並べてある商品の半分は包丁や薪割り用の斧、枝打ち用の鉈などだ。


「……いらっしゃい」


 髭面の店主が無愛想な低い声で言う。いかにもな雰囲気だが、戸が開いた瞬間に慌てて顔を作っているのをモリンは目撃していた。


「モモンガ用の軽短刀三本と、測量短槍二本。槍もできるだけ軽いやつが欲しい。あと光毒玉、置いてる?」

「任せな、全部揃う」

「よっしゃ、見せてもらうぜ」

「モリン、わたしは槍はいらない」


 イウがモリンの袖をひっぱり、耳元で囁いた。モリンは眉を上げて振り返り、すぐに合点がいって首を振った。


「や、違う違う。測量士は一人で槍二本使うんだよ。あの三ツ目みたいにさ、こう、両手に持って……よく考えたらシュドに双槍術は無理か。一本にしとこう」

「いや、高低差を測るのに二本必要だ」

「あれそういう理由で二本持ってんの?」

「えっ、測量槍、神官の兄さんが使うのかい?」


 鍛冶屋が渋さの抜けた声で言う。思わず素が出てしまったらしい彼は、すぐしかめっ面に戻って「……まあ、俺の知ったことじゃねえがな」と付け加えた。


「やってみたいんだと」

「……一番軽いのは左上のそいつだ。高所測定用に、モモンガが持って飛べる仕様になってる」

「マジで?」


 モリンが目を丸くして、壁に掛けられた短槍を手に取る。「うわ、ほんとだ。やべえ、小枝かよってくらい軽いじゃん」と上下させているのを見て、店主はにんまりと表情を緩めた。


「だろ、だろ?」

「すげえよ、これいくら?」

「一本十二万銭」

「うわ、マジか……いや、足りる。そういや鳥竜の羽の依頼料、丸ごと持ってきてた。ちょこっと値引きしてくれれば足りるなあ……」


 イウと腕を組み、頬に手を当てて上目遣いに見つめると、店主はちょっぴり頬を赤くして目を泳がせ、低く唸り、そして諦めたように言った。


「……短刀は好きなの選びな」

「やった! じゃあこれと同じ素材のやつ三本な」

「くっ……男に二言はねえ」

「さっすが、腕利きの鍛冶屋は懐の広さも違うねえ!」


 ほくほく顔で交渉するモリンの隣で、豊かな胸元や剥き出しの腹をちらちら見られていることに気づいたイウが、そっとシュドの背後に移動した。店主が気まずそうな顔になり、シュドは店主に向かって「私のものだ、渡さぬぞ」と宣言した。


「は、ええと……お熱いことで」たじたじになる店主。

「気温の話はしていない」通じていないシュド。

「へ?」と店主。

「おい、おっさん。光毒玉もおまけしてもらうぞ」とモリン。

「は?」

「見物料だよ」

「げっ……はあ、わかったよ。しっかりしてんな、嬢ちゃん」

「当然」


 ニシシと笑ったモリンに対し、店主はすっかり渋い男の演技を忘れて項垂れていたが、「思ったより軽く済んだからな」と彼女が投擲用の針や癇癪玉、槍を背負うための帯などを色々と買い込んだので、すぐにご機嫌になった。


「しかし火の扱いが難しい樹上で、これほど質のいい刃物を売ってるとは思わなかったよ」

「工房は地上にあるんだ」

「うへえ! すげえな、おっさん。また来るよ」

「毎度あり!」


 ひらひら手を振る店主に見送られ、店を出る。怯えていたイウがそろりとシュドの陰から出てきて、「モリン……かっこいい、社交的」と繊手を握り合わせた。野営をしたり木の根を登ったりとそれなりに荒い生活を続けているはずだが、手のひらに豆もできていないし、薄紅色の爪は傷ひとつなく見える。


「お前も結構、たくましいよな……」

「わたしも、モリンを守れる?」

「ああ。戦闘はやめた方がいいと思うけど。どんくせえし」

「どんくさい……」


 話しながら歩いていたせいで橋板に蹴つまずき、転びかけたイウをシュドが抱きかかえた。が、彼はやはり照れも困りもしない。時々意味もなく撫でたり抱きしめてたりしてくるイウのやわらかな肢体と花のような香りには、モリンも結構ドキドキしてしまうというのに。高度な学殖のある者同士、研究の話を弾ませていることもあるのに、本当に彼女のことは研究対象としか見ていないのだろうか。


 何を考えているのかわからない刺繍の面をしばし眺めたが、測量槍を手に入れて嬉しそうだということしかわからなかった。ギアと約束した樹上演習場が見えてきたので、肩を竦めてそちらに意識を移す。


「……ん? あれ誰だ?」


 ギアの隣に見覚えのあるモモンガの青年と、それから見知らぬ老人が見える。少し俯くと目元が見えなくなる深めの笠は、おそらく獣の調教師だ。蝶と違って獣型の黒怪は、目を合わせると威嚇と捉える種が多い。


「おっちゃん!」

「おう! モリンの嬢ちゃん、と神官様がた。いい槍買えたか?」

「うん。この人は?」

「ロヅ翁。操蝶の歌について色々聞きたいらしい。銀羽様、だっけか。俺達が槍をやってる間、いいですか?」

「え、いや……こいつ、人見知りだからなあ」

「……笛を、教えていただけるなら」


 モリンがどうにか逃がしてやろうとしたのに、当のイウがしっかり頷いて了承してしまった。ロヅ翁とやらが笠を持ち上げて「銀花神官様に儂の笛を伝授できるとは、嬉しいのう」としわくちゃの顔で笑う。優しげな雰囲気に安心したのか、イウがほんのり微笑み返す。そうなると、モモンガの青年が「モリンは俺と手合わせしないか? 花園じゃ競う相手もいないだろ」と爽やかに言うのを断るのも難しい。


「ああ……うん。でも護衛があるしな」

「ギアさんもロヅ翁も手練れだ。見える範囲にはいるし、君も少しくらい息抜きした方がいい」

「……そう、かもしれないけど」


 心配なのはそこではないのだが、それを口に出すわけにもいかない。モリンは編者二人に「絶対、余計なこと言うんじゃねえぞ」という気持ちで目配せしたが、残念ながらどちらも察しはよくないので、不思議そうにされただけだった。

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