7 風車(モリン)


「どした、イウ?」

「……風車を、買ってもらう約束をした。先に、売店というものを見たい」

「何か問題が?」


 尋ねる亭主の目が怪しく光った気がして目の端で確かめたが、改めて観察すると、そんな風には見えなかった。少し警戒を解いたモリンが「先に売店で風車を買いたいらしい」と言うと、彼は楽しそうに笑い出す。


「ああ、もちろん。どうぞどうぞ!」


 どう見ても、気のいい人間の笑い方だ。どうにも気を張りすぎているらしい自分に気づいて、モリンは静かに深呼吸した。


(落ち着け。疑心暗鬼になると、必要な時に警戒心が働かなくなる)


「モリン、行こう」とイウ。

「ああ、そうだな」


 そわそわしているイウを連れ、民芸品やちょっとした菓子の類が並べてある棚を見に行く。木製の杯にたくさん挿してある風車を、イウが「花器のよう……」と感嘆して見つめる。


「ひとつずつ、模様が違う……」

「ん? ああ、ほんとだ」

「ヘラ押しっていうんですよ。銀紙の下に厚手の革を敷いて、先を丸くした串でこするとね、そこだけへこんで模様が描けるんです」


 慣れた様子で声をかけた亭主を、人見知りのイウがビクッと飛び跳ねて振り返る。そして言われたことを反芻したのか、そっと風車へ目を戻し、「先を丸くした、串……」と不思議そうに言った。


「銀紙一枚買って、やってみるか? 串ぐらいならすぐ作れるし」

「銀紙も、売られているの?」


 イウがサッと顔を上げた。銀色が黒ずまないよう、一枚ずつ薄紙で包んであるため気づかなかったらしい。少し震える手で持ち上げて「この薄い紙も、とても綺麗……」と言っている。


「紙、好きなのか?」

「とても好き。薄くて、やわらかくて、光が透けて、絵も描ける」

「じゃあこれも買ってやるよ。風車もひとつ選びな」

「いいの?」

「おう」


 艶のある花弁のような唇が、幸福そうに綻んだ。頬が桃色に染まり、物珍しそうにこちらをチラチラと伺っていた男性客が何人か、ぼうっと魂を抜かれたような顔になる。目元が隠れているのにこの威力……と思いながらモリンがシュドの方を窺うと、彼は野帳を取り出して風車の紋様をひとつひとつ下手くそな絵で模写していた。


「ふむ……各地の神殿跡に遺された装飾紋様と、部分的にではあるが共通性のあるものが多い。縁起のよい図柄ということなのだろうか」

「まあ……女二人と雑魚寝で旅するなら、こんくらいの方が安心なのかな」

「モリン、これにする」

「お、決まったか」


 野の花でも摘むような繊細な手つきで、イウが杯から小ぶりな風車を一本抜き取った。彼女の選んだそれを見て、モリンはニヤリと笑って耳打ちする。


「それさ……シュドのほっぺたの模様と似てるよな」

「そう。だからこれに決めた」


 恥ずかしがって慌てるかと思ったが、とても大切そうに微笑まれてしまった。どうにもいじり甲斐のない友の肩をポンと叩いて、銀紙と一緒に会計を済ませてやる。イウはふたつの包みをそうっと胸に抱え、「ありがとう、モリン」と何度も言った。


「どういたしまして。ご亭主、案内を頼んでもいいか?」

「もちろん」


 亭主の先導で、あちこちに風車が飾られた廊下を進む。晴れている区域なので、窓にガラスは嵌まっていない。夕陽を浴びながらそよ風でくるくると回る金色を、イウが立ち止まってひとつひとつ見つめるので、モリンは苦笑して亭主に言った。


「部屋番号を教えてもらえるか? 時間かかりそうだから、自分で行くよ」


 微笑みながら少し困り顔になっていた亭主は、「助かった」という目をして、いそいそと鍵を差し出した。


「一番をお取りしました。鍵はこちらです」

「ありがと」

「ごゆっくり」


 小走りに戻ってゆく先を見ると、どうやら売店に客が来ていたらしい。悪いことをした。のんびりと寄り道しながら廊下を歩いて最奥の部屋へ向かう。風車模様の描かれた扉を開けると、森が一望できる見晴らしのいい角部屋だった。


「ちょっと代金が高いと思ったんだ。あの亭主、一番高い部屋にしやがったな」

「綺麗……」

「まあ、イウが気に入ったならいいけど」

「あれは何だ、向こうに遺跡のようなものがある。地図、を……っ!」

「どうした? あ、アースロ」


 突然硬直したシュドの脚に、膝の高さに浮かんだ虫がゆったりと空中を這って擦り寄っていた。子猫コビョウか何かのように体をこすりつけると脚をよじ登り、腹のあたりで落ち着いて、機嫌よさげに触覚を動かしている。


「シュドに懐いてるって本当だったみたいだな」

「涙目、頼む……」

「うん」


 イウが頷いて、懐から取り出した葉っぱをシュドに手渡した。


「あげて、いい」

「違う、虫を、どかしてくれ」

「大丈夫、咬まない。甘えているだけ」

「そういう問題ではない」


 少しずつ震えを大きくしながらシュドが懇願すると、イウは不思議そうにしながらも両手を広げて「アースロ、おいで」と囁いた。その声に触覚を上げたアースロは、数十本はある脚を波打つように動かして、浮かんだままゆったりとイウの方へ歩き始めた。通り過ぎざまに少しだけモリンの風合羽の縁に触れ、部屋の真ん中の柱を――幽霊のように通り抜けて、飼い主に抱き上げられる。


「よしよし……」

「おい、今こいつ、え?」

「アースロは、木や岩を通り抜ける。光脈の森の木々もそうだった」

「いや、それって」


 モリンが言葉に詰まっていると、シュドが「虫も〈バグ〉であったか」と腕を組んだ。


「やっぱり、そういうことか?」

「〈バグ〉? 木を通り抜けるから? アースロも、三ツ目に狙われる?」


 イウが青褪め、宿の外で拾ったらしい桑の葉をもぐもぐと咀嚼している虫を慌てて元の場所に仕舞った。シュドはがぞっとしたように「そんな脚の多い生き物を……」と言いながら二の腕をさすっている。


「大丈夫だ。お前がそうやって抱えてたら、俺がまとめて守るから」

「……うん」

「〈コリジョン〉系の〈バグ〉は、〈オブジェクト〉破壊に比べて有害性は遥かに低い。標的としては涙目が優先される」


 また意味不明の言語でしゃべってやがる、とモリンはうんざりしたが、イウは平易な解説をしない彼を不愉快には思わないらしく、淡々と言葉の意味を尋ねた。


「〈コリジョン〉とは?」

「衝突判定。その虫には『ものにぶつかる』という事象が発生していない。それがそやつの〈バグ〉だ」

「ものにぶつかる、という事象……」


 イウが考え込むように復唱したのを聞いて、シュドは彼女に向き直ると、手を伸ばして涙目の刺繍に指先を触れさせた。


「物体の表面に例外なく衝突判定コリジョンがあるからこそ、我々はそれに触れられる。片方に〈コリジョン〉がなければ物体同士は重なり、すり抜けて、中味に触れてしまう……双方になければ、物体は混じり合う」


 つぅ……と刺繍をなぞった指が面の下に入り込み、白い頬に触れる。吐息のかかる距離で見つめられ、イウは顔を真っ赤にして震えたが、意外にも気絶はせずに小さな声で言った。


「……アースロは抱っこできるし、伏し目にもくっついている」


 どうやら羞恥心よりも疑問が勝ったらしい。シュドはイウの胸元の、よく見ると不自然な膨らみに目を落とし、一歩距離を取ると低い声で呟いた。


「……判定の条件について、特定は涙目に任せる」

「わかった」


 イウはシュドの渋い顔に気づいているのかいないのか、仕事を任せられて嬉しそうに胸元の虫を撫でている。シュドは胸当てから少し顔を覗かせたアースロを見て身震いし、「廊下から、あの遺跡を見てくる。あちらの方がよく見えそうだ」と早口に言って、さっさと部屋を出て行ってしまった。


「モリン、わたし達も行こう」とイウがモリンの袖を引く。

「……アースロ連れてか?」


 モリンが片眉を上げて問うと、イウは当然のように「うん。伏し目が、地図を忘れていった」と頷いた。モリンは少し迷ったが、常に真顔を崩さないシュドの口元がでかい虫ごときでわなわなするのは少し面白かったので、虫を連れて彼を追いかけることにした。

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