第一章 探索者モリン
1 奇妙な二人組(モリン)
「ほら、ご依頼の品だ」
モリンは自分の背丈よりも大きな鳥の風切り羽を一枚、誇らしげな顔で受付台に乗せた。その拍子にふわっと風が巻き起こり、司書の鼻から上を隠している短い紺布が捲れる。面の下の両目は丸く見開かれていた。
「これは……素晴らしいですね」
「だろ? 傷ひとつなくもぎ取るのには苦労したぜ。見ろよ、浮島の
「本当だ。綺麗ですね……あ、そのあたりのことは」
「もちろん纏めてある」
モリンはますます得意顔になりながら、巨大な風切り羽の隣に分厚い紙束をどさりと置いた。
「まあ、こんなに。少し報酬を上げるように掛け合ってきますね」
「それはいいからさ、俺を専属にしないかって編者様に伝えてくれよ。後悔させねえぜ?」
受付台に身を乗り出し、キラキラした瞳で見上げてくる探索者の少女を見下ろし、司書は口元をふにゃっとへの字に困らせた。
「毎度申し上げていますが、専属になれるのは二十歳以上と決まっていますので……」
「こんだけの実績がありゃ、例外になってもいいはずだ。青田買いってやつだよ」
「モリンさんの天才性は、それは疑いようもないですが」
「俺はもっと夢のある、世界の謎に迫るようなでっかい仕事がしてえんだよ。新発見区域を特別チームで測量しながら探索するとかさ。なあ、頼むって。伝えてくれるだけでいいんだ。編者様に直談判できるのは『司書』の姉さん達だけなんだから。姉さんが唯一の希望なんだよ」
高い位置でくくった鮮やかな赤毛がきらりと光り、橙色の瞳がそれよりもずっと強い輝きを放つ。言動がこれほど粗野でなければ可愛らしい女の子なのに、と司書は苦笑を浮かべた。
「無理なものは無理。そういうのは、大人になってからよ」
「……チッ」
モリンは丸い目を鋭くして、奪うように報酬の袋を台から掠め取った。「時間取らせたな」と低い声で言うなりズンズンと大股に歩き出した背へ、司書が「追加報酬を後日受け取りに来てください」と声をかける。フン、と鼻息だけが返された。
ふてくされたモリンは一応掲示板を確認したが、案の定「残りもの」の中にはめぼしいものがない。まだ時刻は早朝を少し回ったくらいだ。九の鐘まで新しい依頼は張り出されない。
(少し時間を潰すか……)
このへんには店の類もないし、そもそも朝早すぎる。彼女は塔の外へ出て湿地を散歩することにした。
扉前の石段を下りると、そこはもう水面だ。塔は広大な湿地の真ん中にぽつんと建っていて、道も、橋もない。膝までの水にざぶざぶ入り、質のいい沼メノウの一つでも転がっていないか足元に目を凝らす。彼女の火打ち石はもうかなりちびていて、そろそろ新しいものが欲しいところだった。そんなに珍しい石でもないくせに、買うと高い。
塔の外周に沿って歩くと、彫り込まれた紋様に指先が触れ、浅葱色の光が僅かに色を淡くした。天高く雲まで届く灰色の石の塔は、窓のないその壁面にびっしりと、何かの回路のようにも見える複雑な図柄が彫り込まれていて、それが鮮やかな色に光っているのだ。子供の頃はそれが不思議でならず、何度も親にねだっては紋様を触りに行ったものだが、今ではすっかり当たり前の光景だ。
「お、いい感じだ」
拾い上げた石を矯めつ眇めつ光にかざし、苔緑色の縞模様を透かし見たモリンは、少し機嫌を直して口の端を引き上げ、それを鞄の底へしまった。宝石としては大して価値がないが、鋭く割れば沼メノウはどんな石より大きな火花が出る。もうひとつふたつ探して、森の集落で売るのもいいかもしれない。
そんな計画を立てつつ、モリンは揺れる水面を見ながらのんびりと歩いていた――と、そんな少女の視界を、突然脚が横切った。
青灰色の布に包まれた脚が、突如、塔の壁面から突き出して薙ぐように空を切る。頭をまともに蹴られる軌道だったが、熟練の「モモンガ」である彼女は、目を丸くしながらも余裕を持って後ろへ宙返りし、それを躱した。大きな影が壁から飛び出し、ドボンと水に落ちた。
「なっ、何だ!? お前いま、壁から……おい、大丈夫か?」
ズルンと壁から抜け出してきた奇妙な人影は、布を被った頭から爪先まで、全身ずぶ濡れだった。そして腕に、どうやら気を失った人間を抱えている。見上げるように背の高いそいつは、モリンの声にゆらりと振り返った。
「……〈アクロバット〉か。このことは他言無用だ」
「お前……もしかして編者様、ですか?」
若い男の声で話すそいつの顔を隠している布に、半開きの一つ目模様が描かれているの見て、モリンは粗野な口調を少しだけ正した。もしかしたら、自分はすごい存在に出会ってしまったのかもしれない。塔の上層に隠されている、どんなに優秀な探索者でも決して会うことを許されない、神秘の存在に。
「いかにも。このことは」
「う、うわ……本物? ほんとに本物? なあ、今のどうやったんだ? 壁を通り抜けたろ、幽霊みたいに。もしかして、編者様の特殊能力か? ですか?」
「話している猶予はない。よいか、このことは」
「あ、そっか。その人を早く医務室に連れていかねえと」
「いや――」
その時モリンが身を低くしながら素早く振り返ったのを見て、編者の青年は言葉を止めた。まるで水面を走っているような幽かな水音を立て、塔を回り込んで駆けてくる異様な風体の人物が二人。身軽そうな黒衣に、手には変わった形の刀。頭に円筒型の大きな籠を被っている。縦に三つ並んだ目の模様。
「……何だ、あんたら」
「この場を離れよ、〈アクロバット〉」
鳥肌が立つような冷たい声で、編者が言った。アクロバットが何か知らないが、今の状況に心当たりがある口調だ。編者がじりっと後ずさると、籠頭達も一歩前へ出る。どんより曇った湿地の光に、手にした刀がぎらりと光る。おそらく相当な業物だ。
するとモリンが声をかける前に、編者が腕に仲間を抱えたままバシャバシャと走り出した。湿地の端に向かって、敵に背を向けて。
「あ、馬鹿!」
案の定、籠頭達は彼を追い始めた。一体どうやっているのか、まるで浅い水溜まりを踏むように、水の上を軽々と駆けている。膝まで浸かっている編者様の十倍くらい速い。
追いつくまで推定三秒。
先端の尖っていない、つまり鉈のように何かを断ち落とすための形をした武器。
必死に逃げる塔の編者様。
見るからに怪しい危険人物と、塔に住まう神秘の賢人。探索者達へ依頼と報酬をくれる存在。
バッ、とモリンは羽織った
「なっ!」
籠頭の焦った声。おそらく壮年の男性。体格からして子供だろうもう一人も、慌てた様子で急停止する。モリンは振り返って足を止めた編者様に舌打ちしつつ、素早く掴んだ籠の中に手を差し入れ、胸に抱きしめるようにがっちりと頭を掴んだ。
「――なあ、首折っていいか?」
ドスの効いた少女の声が、静まりかえった水面にこだまする。腕の中から小さく「……いや」と声がした。幼く見えても、探索者の彼女が本気になれば人間の首の骨くらい簡単に折れることを知っているのだろう。
「何者か知らねえが、編者様に刃向けて、どういう了見だ? 退くか死ぬか、選びな」
「……待て、お嬢さん。話を」
「聞かねえ。丸腰の、しかも仲間庇ってる奴を刃物持って追い回して。ンな奴らの言い訳聞く耳持ってる探索者なんざいねえよ。言っとくが、本当に折るぞ。あんたもイレアに生きる男なら、俺らにとって仲間以外の命の価値がどんなもんか、知ってるだろ?」
「……そうか。悪いが、我々にも
「はい」
「――ッ!」
すぐ真後ろから聞こえた声。モリンは咄嗟に男の肩を蹴って空中へ飛び上がった。風合羽を広げ、流れるようにベルトから抜いた鉤爪で塔の壁面にへばりつく。
(気づかなかった……! 何だあいつ、全く気配がなかった)
まだ耳の奥がドクドクいっている。動悸を抑え込もうとモリンは深呼吸を繰り返し、いつの間にか背後に回っていた小さい方の籠頭を見る。声変わり直後といった感じの、少し掠れた少年の声だった。彼は取り逃したモリンを少しの間見上げ、そしてすぐに編者達へ向き直った。ゆら、とふらついているような独特の足運びから、一気に加速して距離を詰める。
(間に合わねえ!)
「やめろ! 殺すな! やめろおぉっ!!」
モリンはそれでも、二人のうち一人でも首を落とされる前に救えるやもしれぬと、彼らの元へ飛び出そうとした。が、寸前で息を呑み、動きを止める。
バチバチと、聞いたことのない大きな音がした。編者の男を中心に、無数に枝分かれした白い稲妻が突如出現し、水面を滑るように四方へ広がってゆく。目が痛くなるような光の奔流。悲鳴を上げて大きく仰け反り、倒れ込む籠頭達。あちこちで小魚が腹を上にして浮かび上がる。
(何だ、今の……落雷、じゃないよな)
光が落ち着いたのを見届け、鉤爪を仕舞いながら滑空して彼らの元へ向かう。着水しようとしたところで、呻きながら籠頭達が身動きし始めた。
「……やはり〈レベル1〉での完全な制圧は難しいか」
すると編者が言った。冷えきって、心がないみたいな淡々とした口調だ。一瞬たじろいだが、突っ立ったままじっとしている彼に駆け寄って背を押す。
「おい、今のうちに塔へ逃げるぞ」
「塔ではだめだ。森へ向かう」
「は? ダメってなんで」
「深入りするな、〈アクロバット〉」
体を起こした籠頭が、森へ走り出す編者を見て刀を握り直す。それを見つめ、湿地を囲む暗い森を見る。腕に抱いた仲間を守りながら、暗がりの方へ走ってゆく青年を見る。
モリンは深く息を吸って、吐き、そして岩を駆け登って風に乗りながら、体を捻って背後に煙幕玉を放った。灰色の球体は放物線を描いて、水に触れるなり爆発するように催涙性の濃い煙を噴き出した。
籠頭達が咳き込む音を背に、モリンは木々の間を器用にすり抜け、危険な黒怪のうろつく「奪われた地」の森へ飛び込んだ。
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