3 着替え(モリン)

 結局イウは三日寝込むことになったが、その時間で編者達の替えの服をしっかり準備できたのは、却ってよかったのかもしれない。流石に一から仕立てることはできなかったが、背が高く華奢な彼らが着ても見苦しくならないよう、調整することはできた。


「じゃーん!」


 抱えた服を掲げてみせたが、二人とも微動だにしない。少しして、イウが「……じゃーん」と囁き声で復唱した。意味がわかっていないようだ。


「……着替えだよ。その服じゃ走れないからな」

「確かに、森を行くには少々重い」


 そう言ったシュドがストンとその場でローブを脱ぎ落としたので、モリンは思わず「馬鹿!」と大声を出した。声に驚いたイウが「……わっ」とやや遅く縮こまる。幸い、ローブの下は長袖に長ズボンで一分の隙もなかったが、そういう問題ではない。


「何だ」

「何だ、じゃねえよ。全くお前は……」


 モリンは舌打ちするとシュドの腕に彼の分の着替えを押し込み、廊下へ追い立てると隣の空き部屋へ押し込んだ。


「お前は、こっちで、着替えるんだ」

「押すな。口で言え」

「うるせえ!」


 目の前でぴしゃりと戸を閉める。自室に戻って、ちびちびと草林檎茶を飲んでいるイウの前に布の束を広げた。白い花を思わせるしっとりした生地に、キラキラと銀刺繍が光る。


「綺麗」

「だろ? 銀花神官の修験装束だ。奪われた地で修行する時に着るやつ。特にシュドの背丈だと目立たずってのは難しいが、神職なら少なくとも、顔を隠してても怪しまれねえからな。さ、着てみようぜ」


 恥じらう彼女から少々強引にローブを引き剥がし、慣れた手つきで着付けてゆく。ふんわりした蕾のようなズボンと胸当て、巻き付けると広がる花弁のようになる帯を、腰と両の二の腕に。尻の下まである長い銀髪はゆったりと編み、先端に銀の輪を結びつける。厚い布の瞳面は、鼻下までの軽やかな布面に替えられた。針仕事の得意な神官の手で、銀花紋に紛れてちゃんと涙目が刺繍されている。


「いいじゃん。鏡見てみろよ」

「モリン……これ、腹部は」

「そういう服なんだよ。着てりゃ慣れるって」


 上半身は胸当てだけなので、剥き出しの腹を心もとなそうに押さえている。口元が見えているのも落ち着かないようだ。


「ほら、中庭に出るぞ」

「そ、外に」

「大丈夫だって、可愛いから」

「か、かわいい」


 そわそわしているイウの手を引いて、白い花の咲き乱れる中庭へ出る。どうやらあちらはあちらで着替えを手伝ってやったのか、銀葉がシュドの質問攻めに遭っていた。


「私はその、自然科学的なことはそれほど……神話や伝承についてならば、あ、モリン」

「兄さん、お疲れ」

「ふ、伏し目」


 集落の男達よりずっと背の高いシュドはやはり、ズボンから白い足首がかなりはみ出していた。着こなしとしては残念だが、しかしスラリとした体格に銀の長髪、白い肌の神秘性で上手く相殺されていて、悔しいがかなり見映えはする。イウも同じように思ったのか、瑞々しい薄紅色の唇を震わせ、胸の前でキュッと手を握って――


「イウ、ちょっと……手は下ろしとけ。寄せんな」

「かっこいい……神様みたい」

「聞けって。男衆の目に毒だからさ」


 意外に豊かな胸元と華奢な腰をちらりと見た銀葉が、困り顔で顔を背けた。修練を積んでいる彼に邪念はない……はずだが、これだけ美しければ無理もない。かくいうモリンも、彼女はやっぱり妖精か何かなのではなかろうかと、繰り返し目をやってしまう。可憐な白い花々と舞い落ちる花弁を背景にすると、神話の一幕か何かを見ているようだ。


 さしものシュドも見とれてしまうに違いないと思ったが、彼は素早くイウに歩み寄ると三つ編みの先の輪をつまみ上げ、くるくる回しながら観察し始めた。刻まれている古代文字が気になるらしい。イウが「ち、近い」と囁いて頬を真っ赤にする。


「ふむ、私のものとは違う文言だ」

「すげえ似合ってるけど、クッソ目立つな……」


 シュドの奇行はもう気にしないことにして、モリンは言った。銀葉が大きく頷く。


「この世のものならぬ、というやつだね」

「やっぱり、探索者の服を着せとくか?」

「いや、勿体無いよ。こんなにお似合いなのに」

「うーん……」


 モリンが悩んでいると、南の空に黒い影が見えた。金の尾羽を靡かせた漆黒のヨウが、優雅に羽ばたいて銀葉の腕に舞い降りる。彼は慣れた様子で脚に括り付けられた筒から書簡を取り出した。


「ふむ、花園集落は〈テイマー〉の里であったな。君はなぜ〈アクロバット〉に?」

 イウの髪から手を離したシュドが言う。モリンは眉をひそめた。


「だから、わかるように話せって」

「狩人〈ハンター〉、調教師〈テイマー〉、測量士〈サーベイヤー〉、軽業師〈アクロバット〉。探索者はこの四種の職業からひとつ選択するのだろう?」

「ああ……〈アクロバット〉ってモモンガのことだったのな。神様語だとそう言うわけ?」

「神の言語『メタ語』というのが正式名称だ」

「その言葉、俺には通じねえから使わないでくれる?」

「何ゆえ〈アクロバット〉を選択した? 神殿育ちならば尚更、蝶を飼うのが自然では?」

「聞けよ」

「ああ、蝶の巣も見てみたい。案内したまえ」

「お前なあ……モモンガになったのは、ガキの頃に聞いた浮島の話に憧れたからだ。浮島に行くなら縦方向の機動力に優れたモモンガが最適だろ? まあ、虹を見たいイウと似たようなもんだな」

「モリンは、その夢を叶えたの?」


 イウが囁いた。そう言われると気恥ずかしくて、人差し指の背で鼻の下をこすりながら「おう」と言えば、彼女は胸の前に垂れた三つ編みを握りしめながら「すごい……」と言う。イウの声が聞こえていない銀葉が不可解そうに、会話する二人の少女の間で視線を往復させた。


「……お話し中?のところ恐縮ですが、私は本殿へ戻ります」

「え、どうしたんだ急に?」

「大神官様に手紙」


 折り跡のついた紙をひらひらと振ってみせる銀葉は、いつも通りの笑顔に見えた。懐に書簡をしまい、本殿用の面をかけるのを見守って、モリンはニッと笑うとイウの手を握った。


「よし、イウ。蝶を見せてやる。花園に行くぞ」


 するとイウが頷く前に、銀葉が困ったように言う。


「身を隠すんじゃなかったのかい? あまり外へは出ない方がいい」

「油断じゃねえ。こいつに綺麗なもん見せてやるのが俺の仕事なんだ」

「何も今でなくとも、もう少し安全が確認できてから」

「行こうぜ!」


 逃げるように駆け出すと、編者達は大人しく後ろをついてきた。相変わらず走るのは遅いが、服の裾を引きずらなくなっただけ、かなりマシな動きになっている。軽い息切れ混じりに「……モリン?」と囁かれ、少しずつ速度を落として立ち止まった。


「笠、ここで借りられるから」

「どうしたの?」


 繋いだ手がきゅっと握られる。


「……あんま、よくない知らせかもしれない。兄さん、そういう顔してた」

 もう一度。今度は少し痛いくらいにぎゅっと握られ、囁き声が言った。

「モリン、ここに残る?」

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