第三十話
「おい、お前。アムール族の御曹司と付き合ってるって、本当かよ?」
図書室での騒動から数日後。昼休みの最中、トイレに行こうと教室から出てすぐの所で、犬猿の仲であるジエンに話しかけられた。
ジエンは機嫌が悪いのか、麻呂眉に皺を寄せて、長くて黒い尻尾を忙しなく振り続けている。その様子を見た私は、面倒臭いな……と思いながら、ジエンに対して、つっけんどんな態度を取った。
「それ、アンタに関係ある?」
「別に。ただ、図書室であれだけイチャイチャしてたら、誰だって気になるだろ」
ジエンにしては珍しく、恥ずかしそうに視線を逸らしたのを見て、瞬間的にあの時の事を思い出してしまい、こちらまで恥ずかしくなってしまった。
(あぁ、そうだったわ。あの時、ジエンが図書室にいたんだった……)
私は唇を噛み、観念したように顔を上げた。
「えぇ、そうよ。付き合ってるわ」
「えっ……マジ? 本当にアイツと付き合ってるのか?」
何故かジエンが物凄くショックを受けたような表情に変わったのを見て、私は意味が分からず、少しだけ動揺してしまった。
「な、なんでそんな表情になるのよ?」
「うっせぇよ、このブスッ! お前に俺の気持ちなんて分かるかっつーの! つーか素朴な疑問なんだけど、おまえみたいなちんちくりんが、あの御曹司と釣り合うのか?」
ジエンは私が気にしている事を的確に突いてきた。いつものように馬鹿にされたような笑みではなく、やけに真剣に心配そうな顔で見つめられた私は、「……釣り合うように努力してる最中よ」と至極冷静に答える。
(ぐぬぬ……またしても、ジエンの奴! 本当に嫌な所を突いてくるんだから!)
私の反応を見たジエンは調子に乗ったのか、鼻で笑い飛ばしてきた。
「ハッ、無理に決まってるだろ。お前は世界最小のクロアシ族で、アイツは世界最大のアムール族だ。体格差だってあるし、お前の手を握っただけで骨折させられそうじゃん。極め付けに絶滅危惧種族保護法案の件もある。普通のカップルに比べて前途多難じゃねぇか!」
ジエンの指摘に私はムッとしたと同時に、ズキンと胸が痛む。ジェイクと付き合う前にあれだけ葛藤して、考えて考えて考え抜いて付き合ったのに、どうしてコイツはいつも私ばかりに干渉してくるのだろう。腹が立って仕方がない。
(私、やっぱりコイツの事が嫌いだわ! ズカズカと人の心に土足で入ってくる、デリカシーのない男は本当に嫌いよ!)
私はいつものようにギロリと睨み付けてやると、ジエンは何故か口の端を少し上げて、ハハハッと笑い始めた。
「なんだよ。いつもみたいに言い返さねぇの? もしかして、図星だから言い返せないのか?」
「うるさいわね。そんな些細な問題なんて、気にしてないわ。私はジェイクの事が好き。それだけで充分でしょ? それにあの意味のわからない法案だって、すぐに撤回されるわ」
これ以上、ジエンと話はしたくないと思った私は、トイレに行こうと横を通り過ぎようとした。だが、ジエンに肩を強く掴まれてしまい、痛みで顔を歪めてしまう。
「いった……何すんのよ!」
「まだ話の途中だろうが! 逃げんじゃねぇよ!」
「逃げてなんかない! これ以上、アンタとする話はないって言ってるのよ!」
手を振り払おうとすると、ジエンは何かに目を付け、私の首元に手を伸ばしてきた。ジエンが手を伸ばしたのは、私が身につけていたネックレスのチェーン。どうやら、手を振り払った際に見えてしまったらしい。それを見たジエンはニタリと笑った。
「おいおい、男女のお前が何色気付いてんだよ? こんなのお前に必要ないだろ」
「ちょっと、何するのよ!?」
ネックレスのチェーンがブチッと切れる嫌な音がした。しかも切れたチェーンが髪が絡まってしまい、頸が丸見えの状態になった途端、ジエンの顔色が変わる。
「お、お前……アイツと……」
ジエンは一点を見つめた後、見た事がないくらい顔が真っ赤になっていた。私の頸にはジェイクに付けられたキスマークと噛まれた後があったからだ。
(あり得ない……本当になんて恥知らずな奴なの!?)
よりによって、ジェイクに付けられた跡をジエンに見られてしまい、挙げ句の果てにネックレスのチェーンを引きちぎられた怒りも相まって、周りに人がいるにも関わらず、私は激昂し始めた。
「何してるの!? 早く返しなさいよ!!」
ここ何年かで一番大きな声が出た。薄い教室の窓がガタガタの小刻みに揺れ、両隣のクラスの教室から、何事かと生徒達がひょっこりと顔を出している。
自然と息が上がる。鏡を見ずとも目尻が吊り上がり、瞳孔が細くなっているのも分かる。私が全身の毛を逆立てて威嚇するのを見て、ただ事ではないと思った数名の生徒が、職員室に向かって走っていく姿が見えた。
今、教室内にジェイクの姿はない。午後から科学室で解剖の授業があるのだが、その準備にたまたま呼ばれているのだ。できれば、ジェイクに知られる前にこの件は片を付けたい。
「早くネックレスを返して! それは私の大事な物なの!」
「ハ……ハハッ。な、何マジになってんだよ。そんなにコレが大事なのかよ?」
ジエンが私の気迫に押されながらも、手に持っているネックレスチェーンを離さないまま、引き攣った笑みを浮かべている。けれど、いつもより表情が強張っているから、本人もやりすぎたくらいは思っていそうだと思った。
私は頭に血が上っているのか、くらりと目眩がした。何度も深呼吸をしつつ、「いい? もう一度、言うわよ……」とジエンをこれでもかというくらい睨み付ける。
「ジエン、早くネックレスを返しなさい。それは、アンタが一生懸命働いても買えない物よ」
インカローズのペンダントトップはともかく、問題はジェイクから貰った指輪だ。あれは私達庶民が買えるような代物ではない。一生かかっても無理だ。しかもムーア家の奥さんに代々受け継いでいできた指輪だからこそ、早く返して欲しかった。
しかしジエンは何を思ったのか、私にペンダントトップも指輪を返そうとはせず、自分の物だというように威張り始めた。
「フンッ、やなこった! どうせ、彼氏から貰った物なんだろ!? そんな怒鳴るくらい大事な物を学校に身に着けてくるんじゃねぇよ!」
「うるさいわね! いつもチャラチャラジャラジャラ腰にチェーンを着けまくってるアンタに言われたくないのよ! 御託はいいから早く返しなさいよ!」
私は爪をたてて、ジエンに飛び掛かろうとした。鋭い爪はジエンの袖に引っかかり、ビリッと斜めに破ける。ジエンは反射的に躱していたが、ここで問題が起こってしまった。
ジエンが飛び退いた先は室内を換気する為に開け放っていた大きな窓の側。バランスをくずし、腕が外に投げ出される場面が、何故か私にはスローモーションに見えてしまった。
(ま、待って! なんで握り締めてないのよ!?)
先程までしっかりと持っていたはずのネックレスのチェーンは、窓枠に腕をぶつけた影響で僅かに拳が緩んでいたのだ。
「あっ……や、やめて……」
ペンダントトップと指輪が中庭に飛んでいく。一つは中庭の大きな円形の噴水の中へ。もう一つは朱色のレンガ畳みに思いっきり叩きつけられて、転がっていく光景を、私はハッキリと見てしまったのである。
「そ、そんな……う、嘘でしょ……。ジェイクに貰った、大切な物なのにっ……。うっ、うっ……うわぁぁぁぁっ!!」
私は動揺しすぎて、ありきたりな言葉しか出てこなかった。ショックで頭が真っ白になり、皆がいるにも関わらず、ボロボロと涙を流して声をあげて泣く。
「お前達、何をやってるんだ!?」
騒動を聞きつけた先生達も何事かと、ジエンと私の間に割って入ってきた。いつも揶揄ってくるジエンも、今回ばかりはやり過ぎたと思ったのか、オロオロと慌てるばかり。
「事情を聞くから二人は生徒指導室へ。もうすぐ予鈴が鳴るから、皆は早く教室へ戻りなさい」
先生達はパンパンと手を叩き、ここから解散するように促していた。私は担任のムファサ先生に腕を掴まれたが、頭を左右にブンブンと振る。
「ステラ・バーンズ、立てるか?」
「せ、せん……せっ、ま、待って」
私は過呼吸になってしまい、うまく話す事ができなかった。
今はすぐにでも外に投げ出されたペンダントと指輪を探しに行きたかった。けれど、この状況ではそれができそうにない。
(どうしよう、ジェイクから貰った初めてのプレゼントだったのに。ムーア家が大切にしてきた特別な指輪なのに。指輪が壊れたり、無くなったりしたら、ジェイクに何て言ったら……。どうしよう、どうしよう……)
ジエンの事より、私はペンダント指輪の事で頭が一杯になっていた。フラフラと歩き出そうとしても、どこに行くんだと先生に肩を掴まれてしまう。
「ステラ・バーンズ。君からも事情は聞くから……って、おい! 酷い顔色だぞ!? 大丈夫か!?」
パニックに陥ってしまい、視界が吹雪いているかのように、真っ白に染まっていく。何も見えなくなった私は、そのままバタンと倒れてしまった。
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