第十話

「う〜ん、おいひぃ〜♡」


 さっきの不機嫌な私はどこへ行ったのやら、私はマタタビケーキを幸せそうに頬張っていた。


 マタタビケーキはシフォンケーキの生地に、高級マタタビ粉を混ぜて焼いたものだった。側から見れば、金箔が乗った最高級の生クリームがたっぷり添えられた、よくあるケーキに見えるのだが、マタタビの香りが格段に違う。


 私はこのマタタビ粉の香りだけで、顔がふにゃふにゃに蕩けそうになってしまったのだった。


 ふわぁぁ……こんなほっぺが落ちそうなケーキは初めて〜♡ はにゃ〜ん……私、このまま天に召されても良いかも♡


「えへへっ、たまんな〜い♡」

「俺といる時よりも幸せそうだな」


 ジェイクにジトッとした目で見られた私は、口の中に残っていたケーキを飲み込み、軽く咳払いをした。


「コ、コホン。とっても美味しいです」

「そうか、それは良かった」


 ジェイクは小さく笑った後、ソファに深く腰掛けながら大人っぽくコーヒーを飲んでいた。だが、彼がコーヒーを口に含んだ時、一瞬だけ顔を歪ませたように見えたのが、少し気になってしまった。


「ねぇ、ジェイク。コーヒー、あんまり好きじゃないんじゃない?」

「……なんでそう思うんだ?」


 少し眉根を寄せて言われたから、「えーっと……なんとなく?」と濁したものの、ジェイクの事を見てたからだなんて恥ずかしくて言い出せず、私は照れ隠しのようにマタタビ茶を急いで飲んだ。


 椅子の後ろで尻尾をパタパタと忙しなく振っていると、「……そうだよ」とジェイクは観念したかのように、頭を掻きながら肯定したのだった。


「俺、本当は甘党なんだ。ほら、俺ってどっちかっていうと女顔だろ? だから、甘い飲み物とか注文したりすると、店員からよく女の子みたいだって揶揄われたりするんだよ」


 だから、苦手なコーヒーを飲むようになったんだと、ジェイクは付け足して言った。


「ふぅん、そうなの? 私は別に男の子が甘党でもなんとも思わないけどなぁ……。じゃあ、生クリームが余ってるから、コーヒーに入れてみる?」

「え……生クリームをコーヒーに?」


 何故か、ギョッとした目で見られてしまったので、私は不思議そうに首を傾げてしまう。


「もしかして、飲んだ事ない?」

「あぁ。コーヒーに砂糖を入れるなんてあり得ない事だって、父さんに言われてから砂糖は一つも入れてない。コーヒーは香りを楽しむ飲み物だから、甘ったるい砂糖は邪道なんだと」


 渋い顔をしつつ、ジェイクはコーヒーカップを持ち上げたのを見て、私は苦笑いしてしまった。


(コーヒーに砂糖を入れないんだったら、そりゃ苦いわよ。私だったら無理。それにしても、砂糖は邪道か……。ジェイクのお父さんって、拘りのある方なのね。というか、コーヒーなんて嗜好品なんだから、お父さんの事は気にせず、好きに飲んだらいいのに)


 そう思った私はある提案を彼に持ちかけた。


「じゃあ、私と二人の時は甘い物たくさん食べましょうよ。ほら、コップ貸して。甘い物が好きなんだったら、ウィンナーコーヒーもきっと気にいるわ」

「ウ、ウィンナーコーヒー? なんだよ、その気持ち悪い飲み物の名前は?」


 ジェイクが引いたような顔付きに変わった。恐らく、コーヒーの中に腸詰のウィンナーを突っ込んでいる光景を思い浮かべたんだろう。


 そう解釈した私は、プッと吹き出すように笑い、「生クリームを入れたコーヒーの事を、ウィンナーコーヒーって言うのよ」と教えてあげた。


「ほら、コーヒーカップを近くに持ってきて」

「あ、あぁ……」


 ジェイクは恐る恐るといった様子で、コーヒーカップを私の近くに寄せてきた。


 マタタビケーキに添えられた甘さ控えめの生クリームをティースプーンで掬い、コーヒー特有の黒い液体が見えなるくらいまで、たっぷりと入れてあげた。


「はい、できあがりっ!」

「これが……ウィンナーコーヒー?」


 初めて見るウィンナーコーヒーにジェイクは少し唖然としていたが、「ほら、飲んでみて?」と私が促すと、彼は「い、いただきます……」と少し躊躇いながらカップを持った。


 ジェイクは生クリームが並々と入ったカップを暫く眺めた後、カップの淵に口を付けた。男の子特有の大きな喉仏が上下するのが見える。


「どう?」


 私が感想を聞くと、カップから口を離した彼の目はキラキラと輝いていた。ペロリと口元に付いた生クリームを舐め取り、口元を緩ませて「美味しい」と呟いたのだった。


「ね、美味しいでしょ?」

「あぁ、美味しい。なぁ、ステラ」

「うん? 何?」

「二人きりの時は、甘い物をたくさん食べても良いのか?」

「勿論よ! 私と二人きりの時は――」


 ここで私は我に返った。今、さっき私はなんと言っただろうか?


(待って。私、そんな事言ったっけ…………あ、言ったわ。うん、確かにさっきそう言った。うわぁぁぁぁん! このカフェに来るまでは、ジェイクと付き合うなんて御免だとか言ってたのにぃぃぃぃ! 私ったら、なんでジェイクに気のある素振りを言ってしまったのぉぉぉぉ!?)


「……ステラ」


 ジェイクが嬉しそうに私の指を絡めながら、手を握ってきた。


(こ、これは……まさか、告白されるやつ!? 待って待って待って! 心の準備が出来てないし、私まだ貴方の事が好きかどうかもわかんないっ!)


「ま、待って! こ、心の準備が――」

「なんだ、思ってたより指が小さいな」


 ……指? 何、言ってんの?


 私は呆然としたままジェイクを見つめる。そして、彼は私の手を離した後、「指輪のサイズは、ちゃんと把握しとかないといけないだろ?」と笑って話した。


「ゆ、指輪? なんでここで指輪の話が出てくるの?」

「あれ、言ってなかったっけ? これから指輪を見にアクセサリーショップに行くって」

「は……はぁ〜〜!?」


 私は予想の遥か斜め上の回答に、思わず声を荒げてしまった。近くの席に座っていたお客さんに軽く咳払いをされてしまったが、もうそれどころではない位に動揺していた。


「ちょっと! 指輪ってどういう……」


 どういう意味の指輪なの? とはさすがに聞けなかった。というより、聞いたら後戻りできなさそうだったので、聞かなかったという表現が正しい。


「まぁ、着いてからのお楽しみだな」


 ジェイクはまた得意の意地悪そうな顔をして、ウィンナーコーヒーに口を付けたのであった。

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