第三話
静かな教室内に、ムファサ先生が黒板に文字を書いている音だけが鳴り響いている。皆が視線を黒板に向けている中、私だけが手に汗をかいている状況に陥っていた。
(どうしてこうなった? そりゃあ転校初日だから、教材の一部が揃っていないのは分かるわよ。でもさぁ……なんで私の顔を見てくんのよーー!! 私じゃなくて黒板を見なさいよ、黒板を!! おかしいでしょ!? 私達、出会ってまだ十分よ、十分! 私、貴方に何か気に触る事しましたっけ!?)
左隣に座るミラに胸の内を曝け出したかったが、今は数学の授業の真っ最中。クラス担任のムファサ先生は数学を担当している先生でもあるので、朝礼後、そのまま授業に入った。
だが、問題はその後だった。なんと、ジェイクがいきなり机を引っ付けてきたのだ。
「な、何よいきなり……」
「まだ教材が揃ってないんだ。見せてくれ」
当たり前のように言うジェイクに、少しイラッとしてしまった私。しかし、見せないわけにもいかないので、こうしてシェアをしているというわけである。
(もーー、何が見せてくれよ!? 初対面の人に何かをお願いする時は見せてくれませんか? って聞くのが普通でしょ!? くぅぅ、仕方ないわね……私は優しいから特別に見せてあげるわ!)
尻尾をパシパシと四方八方に動かしながら、私はジェイクが見やすいように真ん中に数学の教科書を置き、今日学習するページを開いた。
「はい、どーぞ!」
「……サンキュ」
よしよし、お礼はちゃんと言えるのね。やればできるじゃない。
短くお礼を言われた所で、私はようやく授業に集中し始めた。丁度、ムファサ先生も準備が整ったらしく、「じゃあ、今日は二次関数を勉強するぞー」と私達に声をかけてくれた所だった。
「この数式は――」
ムファサ先生が黒板へ数式の続きを書き始めた。いつも通り私はノートを開いて、シャーペンを手に取る――ここまではいつも通りだった。
「……?」
(あれ……尻尾がサワサワする?)
尻尾の違和感に気付いたのは、授業が始まって五分経った頃。何故か突然、尻尾の先が何か柔らかいモノに触れているかのような感触がしたのだ。
(もしかして、ミラがやってる?)
左隣に座るミラをチラッと見てみると、彼女は黒板に書かれていた苦手な数学の数式に、頭を悩ませているような表情になっていた。
(違う、ミラじゃない。と、という事は……この尻尾から伝わるこの感触は転校生のジェイクのもの?)
ゴクン……と唾を飲み込んでから、私は意を決して、恐る恐る右隣にいるジェイクをチラッと見てみる。
「……ッ!」
なんと、ジェイクは頬杖をついたまま、こちらをジッと見つめていた。それも視線を私に向けてるんじゃなくて、顔ごとこちらに向けていたのだ。
(絶対にコイツだ! ていうか、なんでこっちを見つめてるのよ、この転校生! 頭おかしいんじゃないの!?)
反射的に目を逸らしてしまった私だったが、もう一度勇気を振り絞って、ジェイクの顔をチラッと見てみると、彼は目を細めながら唇の動きだけで、(お・チ・ビ)と私を揶揄い、ニヤニヤと笑っていた。
プッチーーーーンと、私の中で何かが音を立ててキレた。
(何なのよ、この転校生は!? いいわ……そんな事をするんだったら、何されても無視を決め込んでやるんだから!)
私はフンッと鼻を鳴らし、何事も無かったかのように授業に集中し始めた。
「ここにxを代入して、更に――」
ツン……サワサワ。
「……っ」
さっきから尻尾を触られまいと、あちこちに逃げ回ってはいるが、相手はあの世界最大の猫族・アムール族なのだ。身体もデカけりゃ、尻尾も長い。それは分かるが……何故、さっきから私の尻尾を追いかけ回すような事をしてくるのだろうか?
転校生の意図が読めず、私は戸惑ったまま悶々と考え始めた。
(うーーーー、このまま五十分は耐えらんないッ! 先生が長い数式を書いてる内に転校生に注意しないと!)
意を決し、私はジェイクに話しかけた。
「ちょっといいですか?」
「ん?」
「なんでさっきから尻尾を触ってくるんですか? 授業に集中できないんでやめて下さい」
「え、ヤダ」
ジェイクはニヤリと笑い、クスクスと笑っていた。
(ヤダ!? ヤダって言ったの、コイツ!? 今は授業中よ!? 私とアンタは初対面なのよ!? うぅ……数学は私も苦手だからちゃんと聞いとかなきゃならないのにぃぃ〜〜〜〜! やめてってば––––)
「ひぁっ……」
思わず出た高い声を塞ぐように、私は自分の口を手で覆った。その反応にクスッと笑うジェイクの声が微かに聞こえてきたので、イラッとしてしまう。
(この馬鹿ッ! 変な声出ちゃったじゃない! しかも、なんでコイツ恋人繋ぎなんてしてくるのよ!)
文句を言ってやろうと思ったが、何故かこのタイミングで、ジェイクが私の尻尾に自分の尻尾を絡めてきた。しかも、蛇みたいに尻尾に巻き付くようなこの感触……間違いない。恋人繋ぎをされている。
生まれて初めての恋人繋ぎだった。誰かに見られているわけでもないのに、私は少しずつ恥ずかしさが込み上げてきた。
(嫌ーーーー! こういう事は好きな人としたかったのにぃぃっ! コイツはなんて事をしてくるのよッ!?)
もう授業どころではなかった。私はシャーペンをギュッと握り直すも、再び授業に集中するのは難しかった。尻尾を振り解こうとするもガッチリと固められていてどうする事もできず、されるがままの攻防が続いている。
(コイツ、本当に頭おかしい! なんで初対面の私に恋人繋ぎをしてくるのよ! ハッ……まさか、身体を狙われてるの!? あのいけ好かないジエンも私の胸をこっそり見てるくらいだもの! この転校生も絶対にそうに違いないわ!)
「ちょっと、いい加減にしてよ……」
「何が?」
「尻尾の事よ。さっきからなんで恋人繋ぎをしてくるのよ?」
「それは……ステラの事が好きだから」
少し照れ臭そうに言ったジェイクを見て、私は目を丸くし、思考がフリーズしてしまった。
(わ、私の事が好きだから? な……ななな、何言ってるのよ!? 揶揄ってるんじゃないわよ! というか、どういう事!? 私達、出会ってから十分よ!? どのタイミングで私の事を好きになったのよ!?)
「ちょっ……と、待ってよ!」
授業に集中して静まり返っていた教室に私の比較的大きな声が響き渡った。あ、ヤバいと思った時にはもう遅かった。先生を含め、クラスメイト達が一斉に私に注目する。
「ステラ・バーンズ、何か質問か?」
「あ……いえ、すみません」
カァァァ……と顔を真っ赤にさせ、身体を小さく縮こまる私を見たムファサ先生は、頭を掻きながら溜息を吐いた。
「転校生と仲良くするのは良いが、授業中は集中するんだぞ?」
「はい、すみませんでした」
更に消え入りそうな声で謝ると、クラスメイト達は少し驚いたような顔でお互いの顔を見合わせ、中にはクスッと笑う者もいたから、余計に恥ずかしくなってしまった。
(本当に昨日から最悪の気分! あの変な法律とAKKIに加えて、今日転校してきたジェイクの事といい、ハプニングがありすぎでしょ!? この転校生と校内を回る時に、さっきの言葉がどういう意味なのか問いたださないと気が済まないわ! 遊びで揶揄ってるって分かったら、貴方の首に齧りついてやるんだから! 最初が肝心よ、ステラ! 小さいからって舐められたら終わりよ!)
私は隣に座るジェイクをジロリと睨んだ。あれだけしつこく絡めてきた尻尾は既に解放されており、ジェイク自身も授業に集中しているのを見て、私は猛烈に腹が立ってしまった。
(この転校生、本当に意味わからないっ! 今の出来事でジエンと同じくらい嫌いになったわよ! ベーーーーッだ!)
この時、私はコイツとは絶対に仲良くしないと心に誓ったのであった。
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