第二十一話
「38度5分……うん、風邪ね」
ママが体温計を見ながら苦笑いする。
ここまで高い熱が出たのはいつぶりだろう? 確かパパが亡くなってすぐの頃、高熱で一週間寝込んだ時以来じゃないかと思った。
「うぅ……ごめんなさい、ママ」
ゲホッと咳をしてから潤んだ目で謝ると、ママは微笑みながら私の頭の下に氷枕を入れてくれた。
「大丈夫よ、静かに寝てたら治るだろうし。それに学校終わってから、ミラちゃんと一緒に泳ぎの練習してたんでしょ? きっと、頑張りすぎたのよ」
「き、きっとそうだね。アハハ、ハハ……」
私はビクビクとしながら、表情を悟られないように毛布を顔半分まで被る。あぁ、心が痛い。実は昨日、ママに嘘をついてミラと水泳の練習に行くと言ったのだ。
まさか私が、男の子と二人きりで泳ぎの練習をしていただなんて、ママは微塵も思わないだろうし。それにあの後、泳ぎ終わって女子更衣室に行こうとしたら、ジェイクに
(うぅ〜〜、ジェイクのバカバカバカッ! 誰もいなかったから良かったものの! 女の子の
昨日の事を思い出したら、だんだん顔が赤くなってきた。なんなら体温も上がってきたような気もする。もしかしたら、この熱は風邪ではなく、ジェイクにちょっかいを出されたからかもしれない。
「ハァァ、ヤダなぁ……」
私は長い溜息を吐く。何があったのか全く知らないママが聞いたら、ただ風邪をひき、学校に行けなくて落ち込んでいるように見えるのだろう。だから、そんな私を励ますように頭を優しく撫でてきた。
「今日はママも仕事休むから、静かに寝てなさい。薬を置いとくから、ちゃんと飲んで寝なさいね」
ママは私の頭を優しく撫で、ベッドの脇に水と薬を置いて、ゆっくりと立ち上がった。
「ゲホッ。ありがとう、ママ……」
ママの背中に向かってお礼を言う。私と同じ背丈くらいのママを見送った後、いきなり鼻がツンとしてきて、猛烈にくしゃみをしたい感覚が襲ってきた。
「ふぇ……くちゅんっ! うぅ、昨日まではなんとも無かったのに、どうしてこうなったの?」
ベッドの中に潜り込んでいるのに、悪寒が止まらなかった。せっかくジェイクに泳ぎを教えてもらって、少しは泳げるようになったのに。
「ハァァ……ジェイク、責任感じてるだろうなぁ……」
私は毛布をすっぽりと頭まで被る。ジェイクの気持ちを考えると、なんだか申し訳なくなってきた。
「心配しないでって、メールだけでも送っておこうかな。あ、でも今は九時過ぎだし、授業中だからメールは返ってこないか」
そう思った私は枕元に置いてあったスミャホに手を伸ばした。毛布の中でスミャホの画面を見ると、ニャインのアイコンに二件の新着メールがありますと表情されている事に気付く。
「一件目はミラと……もう一件はジェイクから?」
いつもならミラのメールから先に開くが、今回はジェイクからメールの画面を開いた。内容としては私の体調の心配と、お見舞いに行くからというメッセージが入っていたのである。
「お見舞い? え、嘘。今日、ジェイクが私の家に来るの?」
私は寝ている場合じゃなくなって、ベッドから勢いよく起き上がった。
「と、という事は……お母さんとジェイクが顔を合わせるかもしれないって事? えっ、えっ? 嘘……」
そう思ったら、心臓がドキドキとうるさくなってきた。何故か不安が猛烈に襲ってきて、ベッドから降りる。熱で足元がフラフラするのに、全身鏡の前に立って髪が乱れていないか確認しつつ、慌てて身なりを整え始めた。
(ど、どうしよう! お見舞いに来るだけなのに、どうしてこんなにドキドキするのよ!? ジェイクはまだ私の彼氏ではないけど――って、まだって何!?)
私は我に返り、パンッ! と軽く頬を叩いた。
「だ、大丈夫かな? 別の種族の男の子が好きだなんて、ママにバレたら何か言われるかな? それとも応援してくれる……?」
頭を過ったのは絶滅危惧種族保護法案の件だが、私はプルプルと顔を左右に振った。
「まだ法案が制定されてないし、ジェイクが好きって周りに知られたわけじゃない。だから、今は気にしないで、平然を装っておこう」
ベッドの脇に置いてあった薬を飲む為にベッドに腰掛けた。錠剤を口に放り込んで、水で薬を胃に流しこみ、毛布の中に潜り込んでから、ギュッと目を瞑る。
ジェイクがお見舞いに来るんだったら、少しでも体調がマシになるようにしとかなくっちゃ! そう思いながら、私は眠りについた。
◇◇◇
コンコンコンとノックが三回鳴るのが、遠くから聞こえたような気がして、「……う?」と私は情けない声を発した。
意識が戻った私は薄らと瞼を開け、ベッドの脇に置いていた時計を確認する。すると、時計の針は昼の十二時前を指していたのだった。
「ステラ、入るわよ」
「…………ママ?」
頭がまだボーッとする。どうやら、三時間位寝ていたらしい。けれどまだ熱が高いようで、身体を起こそうとしたら、関節の節々が痛んでしまった。
「体調はどう? 雑炊作ったけど少し食べる?」
「うん。ちょっとだけ食べる」
私はケホケホと乾いた咳をしながら、ゆっくりと起き上がった。
ママが雑炊が入った鍋敷きと、雑炊の入った小さな土鍋を私の勉強机の上に置く。カパッと蓋を開けると、白い蒸気と共に卵で閉じられた雑炊が露わになった。
「この匂いは……イカ?」
私はフンフンと匂いを嗅ぐと、ママはフフッと小さく笑った。
「大正解♡ それもステラが大好きな赤イカよ。イカは消化に時間がかかるから、微塵切りにして食べやすくしてるわ」
イカの出汁を米がよく吸っている印象を受ける。米の上から溶かれた卵はトロトロの半熟で閉じられており、かなり美味しそうだ。
いつもならママの料理を見ただけでお腹が鳴るのだが、今日は風邪をひいている為、食欲があまりわかなかった。
「ありがとう、ママ。美味しそうだけど、あんまりお腹は空いてないの」
「風邪なんだし、残しても大丈夫。少し食べれるなら食べて、またお薬を飲んでから、ゆっくり寝ときなさい」
ママは優しく私の頭を撫で、氷枕を新しい物に変えてから部屋から出て行った。
「早く治さなきゃいけないし、少し食べとこ……」
空腹感はそれほど感じていなかったが、幸いな事に食欲はあった為、私は早速、レンゲを手に持って雑炊を少しだけ掬い、少量を口に運んだ。
「……ごくん。良かった、少しだけ味がする」
高熱でちゃんと味を感じ取れるか心配だったが、美味しく感じたので、私は安堵した。
もう一口、雑炊を口へ運ぶ。それに雑炊に入っているイカが非常に良い仕事をしている。ママが作ってくれた愛情たっぷりの雑炊は、風邪を引いた私の身体に染み込んでいった。
「ふぁぁ……すっごく美味しい……♡」
独り言を呟き、また雑炊を口へ運んでいった。
(ママの料理は最高に美味しい。私もこんな料理を作れるようになって、いつか自分に家族ができたらこんな風に料理を振る舞って――)
私は土鍋の中にレンゲを置き、暫くフリーズしてしまった。
(私ったら今、何を考えたの? 今、ジェイクと小さな子供一緒に、ご飯を食べてる所を想像しちゃっただなんて!)
なんて気の早い事を考えてしまったのだろうと、私は恥ずかしくなって唇を噛んだ。
「私のバカ。なんでそんな妄想をしてるのよ。第一、ジェイクとは付き合ってないじゃない。それに子供を作るなら、ジェイクと交尾をしないといけないのよね……」
ジェイクがアムール族という事を思い出しただけで、まだ見たこともない彼のアレを想像し、恐怖でガタガタと震えてしまった。
「バカ。本当に私のバカ……」
私は妄想をかき消すようにブンブンと頭を振って、ママが作ってくれた雑炊をパクパクと口に掻き込み、薬を飲んでさっさとベッドに横になった。
風邪で本当はガタガタと震えるくらい寒いはずなのに、ジェイクの事を考えている間、ずっと顔が熱かった。
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