第二十話

「ほら、足はそんなにバタバタさせないで身体の力は抜く。三秒間顔を水面につけて、顔を上げるを繰り返すんだ。わかったか?」

「わ、わかった!」


 ジェイクに両手を握ってもらいながら、彼の指導通りに泳いでみた。すると、あれだけ必死になって泳いでも前に進まなかったのに、初めて沈まずに前へ進めたのである。


「凄いっ、泳げたっ! 私、泳げたわーー!」


 私は水面から顔を上げた瞬間、感動のあまり笑顔が溢れた。濡れた尻尾をアンテナのようにピンと伸ばしながら、「ありがとう、ジェイク!」とお礼を述べると、彼は一呼吸おいてから「どういたしまして」と返事をし、私から視線を逸らす。


 あからさまにジェイクが視線を逸らしたものだから、私は気になって泳ぐのをやめ、「なに? どうしたのよ?」と首を傾げた。


「いや、なんでもない」

「えー、なによその反応。凄く気になるじゃない。何か理由があるんだったら教えてよ」


 私がムゥッと頬を膨らませながら言うと、ジェイクはますます頬の辺りを赤くさせて、「ス、ステラの笑顔が可愛かったから……」とボソッと小声で呟く。


 しかし、よく聞き取れなかった為、「ごめん、ジェイク。今、なんて言ったのか、分からなかったわ」と返事をすると、ジェイクの顔が一瞬にして真っ赤に染まったのだった。


「だから、その! ステラの笑顔が可愛いなって思って……」

「はぁ? わ、私の笑顔が可愛い?」


 何を言っているのか理解できず、私は眉間に皺を寄せてしまった。しかしその数秒後、ジェイクの言った言葉を本当の意味で理解した途端、恥ずかしさを誤魔化す為に急いで水面に顔を浸けたのだった。


(どうしよう、男の子と喧嘩してる時みたいな反応しちゃった! こんな時、ミラみたいな可愛い女の子だったら素直に、『わぁ〜っ、嬉しい! ありがとう!』とか言えるんだろうな……)


 水中で「あー、もうっ!」と思いっきり声を発すると、大きな泡が耳元でブクブクと弾けて消えていった。


(ずっと男の子を敵視してきたから、どうリアクションを取れば良いのか分かんないっ! でも、これから変わっていけば良い……よね?)


 女の子らしい振る舞いができない自分が非常にもどかしかった。昔から男の子と喧嘩しかしてこなかったもんなぁ……と、自己嫌悪に陥る私。


「プハッ! ハァ……ハァ……」


 水面から顔を上げ、息を整えている最中の私を見て、ジェイクはプッと声を押し殺してククッと笑い始めた。


「ステラ、また変な顔してるぞ」

「うるさいわね。ジェイクが変な事言い出すんだもん……」


 顔を赤くさせてモジモジしてると、ジェイクの顔がどんどん近づいてくるのが分かった。


(待って、これ……映画で見た時みたいな雰囲気だよね。もしかして、このままキスされちゃうの? こんな時ってどんな顔をしていれば良いんだろう? 第一、私達付き合ってないし――ハッ!)


 ふと、ミラの『付き合ってみたら?』と言う言葉が頭がぎる。その瞬間、尻尾の毛が束子のように逆立ち、プールの中で毛がゆらゆらと揺れる感覚がした。


(い、いいのかな? 付き合ってもいないのに、ジェイクとキスしちゃっていいのかな? 彼の事は嫌いじゃない。それにいつも私の事を女の子として扱ってくれるし、ずっとドキドキしてる。あ〜〜ん、分かんないよぉぉぉ! 皆、こんな時はどうしてるの!?)


 私は口から飛び出てくるんじゃないかと心配になるくらい、緊張していた。けれど、ジェイクは待ってくれそうにない。


(くっ……駄目よ、ステラ! こんな挙動不審になるなんて私らしくないわ! こうなったら––––)


 私はギュッと目を瞑り、「好きにして下さいっ!」と声を張り上げる。すると、「……は?」とジェイクの驚いた声が返ってきた。


(あ、あれ? こ、これってキスする流れなんじゃ?)


 そう思って恐る恐る目を開いてみると、ジェイクは私の濡れた前髪を掻き分けようとしている最中だった。


「えっと…………私の髪に用がおありで?」

「あ、あぁ。そのつもりだったんだけど……」


 状況を察した私は一気に顔がトマトのように赤くなってしまった。そして、隠れるように水中へ潜り、両手で顔を覆う。


(うわぁぁぁぁ、私の馬鹿っ! なんて早とちりをしちゃったの!? そうかっ、あの雰囲気はキスじゃなかったのね!? 付き合ってもない女が思う事じゃないと思うけど! す、少し残念だったな……)


 そんな事を思っていじけていると、ジェイクに両脇に手を差し込まれて、子供のように抱き上げられてしまった。


「ひゃあっ!? く、くすぐったい〜〜!」


 さっきは全く何も感じなかったのに、今度は触れられてる部分がくすぐったくて、身体と尻尾をクネクネと動かしながらジェイクを見つめると、意外にも彼の頬も少し赤く染まっていた。


「ステラ。もしかして、俺とキスしたかった?」

「へっ!? べ、別にそういうわけじゃ……」


 視線をサッと逸らして唇を尖らせていると、ジェイクがニヤリと笑った。


「もう一度聞くぞ。俺とキスしたかったのか?」


 図星だった私は視線を逸らしたまま、苛立った時のように尻尾を忙しなく振る。その様子を見ていた彼は、アハハッ! と嬉しそうに笑った。


「そっかそっか! 俺とキスしたいのか、ステラは!」

「あ、あの雰囲気はそうだと思ったのよ! バカバカバカッ!」


 私が真っ赤な顔で白状すると彼は耳元で、「……じゃあ、このままキスしちゃう?」と小声で囁いてきた。


「え!? キ、キス?」


 身体中に電気が走ったかのようにゾクゾクした。返事をする余裕なんてなかった。心臓が煩くなって、ジェイクの目を逸らせない。


「嫌じゃないなら、このままするからな」


 固まったまま何も言わない私を抱きしめて、ジェイクは額に軽いキスを落としてきた。額にキスなんてママにしょっちゅうされるのに、ジェイクに軽く触れるだけでドキドキが止まらなくなってしまった。


「なぁ、念の為に聞くけど……俺達まだ付き合ってないけど、こういう事して良かったのか?」

「……ジェイクの事は嫌いじゃないからいい」


 私は甘えるようにジェイクの首元に抱き付いた。


 こういう時、素直にジェイクの事が好きだからと言えたらどれだけ良かっただろう––––あぁ、そうか。私、ジェイクの事好きなんだ。


 すっかりジェイクの事が好きになっていたようで、彼の背中に手を回すと、より彼の体温を直に感じた。お互い水着を着ているからか、肌と肌の密着感が手を繋ぐ時よりも感じられて、何故か下腹部がキュンと疼いてしまう。


(水泳の授業の時も思ったけど、ジェイクって結構筋肉あるわよね。ガッシリしてて男らしいし、クラスの女の子達にも人気だし。なんか正直、ちょっと複雑かも……)


 ジェイクの首元に顔を埋めていたから、今思っている事が分からないだろうと思っていたが、「ステラ、どうしたんだ?」と声をかけられ、私はビクッと肩を震わせる。


「な、何が?」

「尻尾が不機嫌そうに動いてたからさ」


 ジェイクの指摘に、バレてましたか……と思わず私は渋い顔になってしまった。だが指摘された以上、隠し事をするわけにはいかないと思い、「実は……」と話を切り出す。


「水泳の授業を思い出してたの。ジェイクはクラスの人気者だし、女子達からも人気あるから、ちょっとだけ嫌だなって思っただけ」


 少し拗ねたように言うと、ジェイクからも「あぁ、俺もだ」と話を切り出してきた。


「こう見えて、俺もヤキモチ妬いてたんだ」

「えっ? ジェイクも?」


 私は尻尾をピンと立て、目を丸くしてしまった。


(なんか意外。ジェイクってヤキモチ妬くんだ。でも、ヤキモチ妬く場面なんて水泳の時にあったかな? 私、ずっとミラと一緒だったんだけど……)


 思い当たる事が全くなかった為、難しい顔をして考えていると、「ジエン・マッカートニーと話してたろ?」と話を振られ、私はキョトンとしてしまう。


「ジエン? アイツとはただの腐れ縁よ。それに毎回揶揄ってくるし、本当に鬱陶しいのよね––––」


 そこまで言うとジェイクの腕に力が入った。そして、私の台詞を被せるように、「アイツと仲良さそうに話してる姿を見て妬いたんだ」と眉根を寄せ、不機嫌そうな表情に変わったのだった。


「えぇ? アイツと話してる時?」

「あぁ。めちゃくちゃ嫉妬した」


 じょ、冗談でしょ? 私はアイツの事がめちゃくちゃ嫌いっていうのは学年内で有名な話よ? その話はジェイクだって知っているはずなのに––––。


 私は何故か焦るように、必死に否定し始めた。


「有り得ないわ! 私はアイツの事なんてなんとも思ってないわよ!?」

「ステラはそうかもしれないけど、アイツは多分違うぞ? ステラに気があるから、ちょっかいをかけるんだ」


 ジェイクの言葉に私は雷に打たれたかのような衝撃が走った。


「えーー、ないない! 絶対にないってば! ジェイクはジエンを意識しすぎだから、そう見えるんだってば!」


 私の言葉を聞いたジェイクは、「やっぱり、何も分かっていないな……」というように、盛大な溜息を吐いた。


「ステラは色々と鈍感な所があるからな。俺としては、周りにいる雄は全て排除したい所なんだけど、ステラ自身も視野を広げて警戒した方が良い。相手はステラよりも何倍もの力がある奴等なんだ。これからは取っ組み合いの喧嘩は避けた方が無難だな」

「ど、努力します……」


 ジェイクは私を体から少し離し、身体を高く持ち上げて、プールサイドに座らせた。今から少し休憩するのかと思った私は、「ジェイクも上がらないの?」と聞くと、彼は真顔で「……すぐには上がれない」と答えた。


 どうしてだろう? と思いつつ、首を傾げていると「……気分が落ち着くまで上がれないんだよ」と気まずそうに答えたのを聞き、私はなんとなく状況を察したのだった。

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