第二十六話

 家の前に高級車が止まっているのを見た近所の人達が、何事かと顔を見合わせている。ザワザワと騒がしい中、私はママに「行ってきます! 帰る時はニャインするから!」と早口で声をかけた後、さっさと車に乗り込んだ。


 一方のジェイクは、こういう状況に慣れているのか、家の玄関でママと笑顔で話し込んでいる。ママも周りの空気なんてそっちのけで、楽しそうに笑っていた。


「今日はありがとうございました。ご飯、本当に美味しかったです。お母様がよろしければ、また遊びに来ても良いですか?」

「勿論よ♡ ご馳走を作って待ってるから、いつでもいらっしゃい」


 ママがフリフリと尻尾を振りながら、上機嫌な様子で話をしている。


 このままだと話が無駄に長くなりそうな予感がしたので、「ママ、また帰る時に連絡するから!」と声をかけると、「あ、そうだわ!」とおもいだしたように声を発した。


「三時のおやつにと思って持たせたマタタビクッキーなんだけど、マタタビ粉を濃いめに入れて作ったから、酔わないように気をつけてね。後はジェイク君やお家の方に迷惑をかけない事。わかった?」

「うん! ママ、ありがとう! ジェイク、近所の人達が集まってきてるから、早く車に乗りましょう!」


 まるで、自分の車のように早く乗るよう促すと、ジェイクは「またご挨拶に伺います」と頭を下げ、車に乗り込んだ。


「ステラのお母さん、若かったな。料理も美味いし、お菓子も作れるし最高だった」


 車体が横揺れしている中、ジェイクはお腹を摩りながら満足そうに言う。


「えぇ! 私の自慢のママよ!」


 私は胸を張って誇らしげに答えると、何故かジェイクの横顔が、「そうだな」と少しだけ寂しげに笑ったように見えた。


(あれ? なんだか元気のない返事だったわ。どうしてだろう? あっ……)


 私はチクンと胸が痛んでしまった。このタイミングになって、私はジェイクのお母さんが亡くなっている事を今更になって思い出したのである。


(そうだわ! ジェイクのお母さんはもう亡くなってるんだった! どうしよう、もう少し気を遣って話すべきだったかしら……)


 とはいえ、私もパパが亡くなっているし、気を遣うといっても、具体的にどう気を遣えば良いのか分からなかった。


 私が何を話そうか思案していると、ジェイクがいきなり「エビフライ……」と言葉を発した。


「亡くなった母さん、俺が好きだったエビフライをよく作ってくれたんだ。だから、今日エビフライがでてきた時、めちゃくちゃ嬉しかった」


 緊張が解けたように笑った顔を見て、私は少し安堵した。それから、「ジェイクのお母さんもよくお料理してたの?」と聞くと、ジェイクは深く頷いた。


「あぁ。今は男しかいないし、父さんは忙しくて料理をする暇なんてないだろ? 今はシェフを雇ってるけど、昔は母さんが料理して、父さんが家に帰ってきたら、家族皆で食べてたんだ」


 ここでジェイクが照れたように頬を掻き、視線を逸らした。「これは俺の夢なんだけど……」と前置きをし、恥ずかしそうに頬を朱に染め、少しの間、黙り込む。


 私はジェイクが続きを喋るのを、嫌な顔をせずに待っていた。すると暫くして、「俺の夢は家庭を持っても家に帰ってきて、温かいご飯を家族と食べるのが夢なんだ」とポツリと呟いたのを聞いて、私はパァッと目を輝かせた。


「へ……変かな?」

「全く変じゃないわ。とっても素敵よ」


 初めて聞いたジェイクの夢を聞いて、私は胸の辺りがじんわりと暖かくなるのを感じた。そして、決心したかのように自分の手をギュッと握る。


「ステラにはやりたい事とか、夢はないのか?」

「私は……まだ具体的には決まってないかな」


 違う。たった今、できた。私はこの人の為に料理を学んで、上手くなりたいと思ってしまった。でも、包丁が怖くて料理が上手くなれるか分からないので、口には出すつもりはないが。


「そっか。焦らずにゆっくり決めたら良いじゃん。でも、いつか俺に料理を作ってくれよ。できれば、一発目はエビフライで」


 いつもは少し鋭いジェイクの目尻が少し垂れて見える。かなり期待してくれているような様子だったので、私はプレッシャーを感じながらも、「うん、わかった」と力強く頷いたのだった。


◇◇◇


「おかえりなさいませ、ジェイク坊ちゃん」


 現在、ジェイクの住んでいる郊外にある屋敷(※ムーア家の別荘。本家は首都圏の高層マンションの最上階)に入ると、一人の女性使用人が出迎えてくれた。


「荷物をお持ちいたします」

「ありがとう。いつも助かるよ」


 その使用人はジェイクよりも少し背が低いくらいで、髪色は白色。見た目だけ見れば、宝石店で働いていたジェシカさんによく似ていると思った。


「隣にいる方はお客様でしょうか?」

「あぁ、そうだ。この子は俺の特別な人で、名前はステラ。後で俺の部屋に、チュールトンホテルのマタタビティーと適当にお菓子を持ってきてくれ」


 ジェイクの紹介の仕方に私は緊張してしまい、心臓がバクバクと煩くなり始めた。


(な……なんて紹介の仕方をするの!? と、とと……特別な人って! 私、まだ告白の返事はしてないはずよね!?)


 尻尾を忙しなく動かしながらも、ジェイクの言葉を否定する事なく、「は、初めまして……」と頭を下げる。


「……」


 アリアと呼ばれたメイドは私をジッと見つめた後、表情を変えずに、「かしこまりました。後で坊ちゃんの部屋にお持ちします」とジェイクに返事をして、その場を後にしてしまった。


「え? む……無視された……?」


 あからさまに無視をされ、ショックを受けて放心していると、「いや、違うな」とジェイクはニヤリと笑った。


「アリアの奴、ステラの事を気に入ったみたいだ」

「はぁ!? 全然そんな風に見えなかったわよ!?」


 私が噛み付くように言うと、「アリアとは長い付き合いだから、俺には分かるんだよ」とジェイクはニッと笑って答えた。


「アリアはクールでドライだからな。ステラの事はそうだな……小動物みたいに小刻みに震えて可愛いって、思ったはずさ」

「しょ、小動物? アリアさんが私の事をそんな風に見るとは思えないわよ?」

「人は見かけによらないって言うだろ? まぁ、アリアの事は置いといて、早く部屋に行こう」


 楽しそうに笑った後、ジェイクは私の手を引っ張って歩き出した。

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