第三十二話
取り乱していたジエンのお母さんが少し落ち着いたのか、ようやく話が進み始めた。「とりあえず、指輪を修理に出してみます」と、ジェイクが隣にいるムファサ先生に話しかけているのが見える。
「幸いにも台座から宝石が外れただけなので、懇意にしているお店で見てもらおうと思ってます。素人目ですけど、金額もそこまで掛からないと思いますので、もうそんなに謝らないで下さい」
「いえ、そういう訳にはいかないです。うちのバカ息子がステラちゃんに酷いことをしなかったら、こんな事にはならなかったんですから」
ムファサ先生は堅い表情で小さく頷き、ジエンのお母さんは高校であるジェイクにペコペコと頭を下げて謝罪をしている。それから、汗をダラダラとかいて黙り込んだままのジエンに鋭い目付きで一瞥すると、ジェイクが低い声で「おい」と声をかけた。
「お前さ、なんで隣にいるお母さんが謝ってばっかりなんだよ? どうせ、今までもこんな事ばっかり繰り返してたんだろ? 何も学ばなかったのかよ?」
「そ、それは……」
痛いところを突かれたジエンが、うっ……と口籠る。ジェイクは相手を見下すように腕を組み、忙しなく尻尾を振りながら、ジロリと睨み付けた。
「この年で人の心を踏み躙るような行動をして恥ずかしくないのかよ? 俺達、来年から大学生だぜ? まさか、これからもこんな騒動を起こして、親に尻拭いしてもらうつもりか?」
「い、いや。そんなつもりは……」
たどたどしく答えるジエンを見て、ジェイクは腹が立ってきたのか、だんだんと眉間に皺が寄り始めていた。ガンッ! と前触れもなく拳をローテーブルに叩きつけると、ジエンの肩がビクッと跳ねる。
「小学生の恋愛じゃないんだ。そんなんじゃ、いつまで経っても相手に気持ちが伝わらないどころか、相手から嫌われるに決まってるだろ」
「は、はぁ? いきなり何言ってんだよ。俺がいつアイツの事を好きだなんて言ったよ? マジで意味わかんねぇんだけど!」
ジェイクの発言に視線を泳がせ始めた。ジエンの尻尾がクネクネと忙しなく動いているのを見て、私は首を傾げる。
(そういえば、ジェイクが前に言ってたっけ? ジエンは私に気があるって。でも、ジエンは私の事は嫌いなはずよ。今まで散々喧嘩して泣かされてきたんだから、絶対にジェイクの勘違いだわ!)
私は鼻息荒く生徒指導室の小窓を覗き込むと、ジエン以外の人達が何も答えずに押し黙っていた。重たくなった空気を肌でひしひしと感じ取ったジエンは、「な、なんだよ。なんで皆、黙り込んでるんだよ……」と挙動不審になっている。
ジエンの声は少し震えていた。その微妙な空気を感じた私は不思議そうに首を傾げていると、隣にいたミラが私の事をジッと見つめる。
「何よ、あの空気? なんでシーンってなってるの?」
「もしかして、ステラも気付いてない?」
「え? 何が?」
私が素っ頓狂な声をあげると、ミラが困ったように考えた後、「そっか。ステラって、恋愛漫画の類は読まないんだっけ?」と聞いてきた。
「そうね、あまり読まないわ。どちらかというと、少年ニャンニャン派だわ」
「じゃあ、ジエンがステラにだけ意地悪してた理由も本当に知らないんだね」
私は目をパチパチと瞬きする。ミラは小さく咳払いをした後、「じゃあ、なんであんな空気になってるのか、簡単に説明するね」と前置きし、話始めた。
「ジエン。幼稚園の頃からずっとステラの事が好きだったんだよ。ずっと、ずーっとね」
「へっ!? ジ、ジエンが? 私の事を……す、すす、好き!?」
ミラが何を言っているのか分からず、私は口を開けたまま固まってしまった。ミラは耳をピクピクと忙しなく動かしたまま「やっぱり、気付いてなかったんだね」と苦笑いしている。
(わ、私の事が好き? そんなわけない! 好きだったら、意地悪される訳ないじゃん!)
そんな事を思っていると、ミラは私の心を読んだかのように「ステラの事が好きだから、ずっとちょっかいかけてたんだよ」と口にした。
「ほとんどジェイク君の言うとおりなんだけどね。高校生にもなって、ジエンのちょっかいのかけ方は子供っぽいし、ステラがカチンと来るのも分かるけど。今日のはやり過ぎだよね」
「嘘……気付いてなかったのって、私だけ?」
ミラが軽く頷くのを見て、私は軽く眩暈がしてきた。まさか、ジエンが私の事が好きでちょっかいを出していたとは。
今まであった出来事を振り返ってみる。意地悪されたり、ジエンが友達と結託して私を苛めた事を思い出す。けれど、どれも不快な記憶でしかなかったので、「あんなのじゃ分からないわよ……」と疲れたように溜息を吐く。
「まぁ、ステラからしてみればそうだよね。された方は不快でしかないし、私だって好きにならないもん」
「うん、そうね。嫌い嫌いも好きのうちって言葉を聞くけど、ジエンにされてきた事を考えたら、私は好きにはなれないわ」
私が苦笑いしながら否定すると、ジェイクの喋り声が聞こえてきたので、また小窓から部屋の様子を覗き込んだ。
「とにかく、お前のやり方は間違ってる。次に好きな人ができたなら、子供っぽいやり方はやめとけよ」
「な……なんだよ、次に好きな人ができたらって!」
「言葉の通りだ。ステラは俺の奥さんになる人だからな。次に彼女を泣かせるような事してみろ。殴られるだけじゃすまないと思え」
ジェイクがソファから立ち上がり、ギロリと睨みを効かせると、ジエンは先程とは違う意味で顔が真っ赤に染まり、目が涙目になって俯いていた。
ギィィ……と音を立てながら生徒指導室の扉が開く。私とミラはジエン達からでは見えないところに立ち、ジェイクが部屋から出てくるのを待っていた。
「ジェイク」
私が名前を呼ぶと彼は目を丸くし、一呼吸おいてから「……いつからいたんだ?」と驚いていた。
「ジエンのお母さんが怒鳴ってる所らへんからかな?」
「じゃあ、結構前からいたんだな。それより、ジエン・マッカートニーに殴られたって聞いたんだけど、その様子だと殴られてない……のか?」
ジェイクは私の顔を色んな角度から観察し始めたので、「ううん、殴られてないわ。ネックレスのチェーンを引きちぎられただけよ」と説明すると、眉間に皺を寄せた。
「やっぱり、もう少し殴っておけば良かった」
そう言って拳を握り、生徒指導室にいるジエンを睨み付ける。マズイと思った私は早くここから離れようとジェイクの腕を引っ張った。
「あんな奴、放っておきましょ。それより、ムーア家が大切にしてた指輪が壊れるような結果になって、本当にごめんなさい」
私は深々と頭を下げる。すると、ジェイクはポケットに手を突っ込んで、壊れた指輪を手のひらの上にのせた。シルバーの台座から外れた大きなダイヤモンドがジェイクの掌の上で転がっている。
「大丈夫。宝石が外れただけだ」
指輪の無惨な姿を見て、ショックを受けた私は「そっか、壊れちゃったのね……」と力無く声を発した。次第に涙が盛り上がって視界がぼやけ、熱い涙が頬を伝って流れ落ちる。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい」
涙を手で拭いながら謝罪の言葉を口にすると、ジェイクは私の手を取った。何をするのかと思いきや、ジェイクは少し屈んで私の顔を覗き込み、顔をだんだん近付けてきた。
「キャーーッ、ステラーー!!」とミラの叫び声が学校中に響き渡る。その声を聞いた授業中の先生と生徒達が何事かと顔を覗かせていた。
私はジェイクとキスをしていた。しかも、私が離れていかないように頭に手を回し、体を密着させたまま抱き上げられていた。何度も角度を変えてキスをされたので、酸欠になりそうだったが、恥ずかしさなんてそっちのけで、ジェイクとのキスに夢中になって応えていた。
「これでステラと付き合ってるのが公認になったことだし、後ろにいる悪い虫も近づいてこないだろ?」
生徒指導室から顔を出したジエンが、今にも泣き出しそうな恨めしい表情に変わっていた。「少しはスッキリしたか?」と耳元で囁くように聞かれると、私は「えぇ、最高だわ」と笑って答えて、ジェイクの首に手を回していた。
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