第四章 王都

第22話 王都へ

 普段は賑やかな声が絶え間なく響き渡る王都の酒場通りも、流石に未明になると人影もなく、物音一つ聞こえない。

 そんな寒々とした石畳の通りを、腰の提げ灯りを頼りに歩く一人の騎士の姿があった。

 鎖帷子くさりかたびらの上に甲冑を重ね、更にその上に王立近衛兵の隊長であることを示す紺色にランの紋章を刻んだ外套を纏っている。

 王立近衛兵団第三大隊隊長、クロードだ。

 

 魔王軍と王国軍の大会戦の際、両軍を隔てる川で大規模な白兵戦が起き、水面がどす黒い血で染まった。

 両軍ともに渡河することの出来ない消耗戦の最中、ただ一人大剣を振り回し、魔王軍の前線を切り開いて川を渡り勝利に貢献したという逸話から、“血の川渡り”の異名で呼ばれる、魔王討伐戦の『英雄』の一人だ。

 よわい四十を越えた今も現役で活躍しているが、あと数日後に迫った国王主催の武闘会には不参加を表明している。


(英雄狩りは必ず来る、一刻も早く捕らえねば)


 この一ヶ月の間に、王国内だけでも三十人を越える数の『英雄』が殺害され、あるいは行方知れずになっている。

 先日も彼の元に、故郷に帰った戦友が何者かに斬殺されたと言う一報が入ってきたばかりだ。


(ローラン、まだ末の子は三つであったのに……)


 殺された友やかつての仲間達の仇を討ち、今居る英雄達を守り抜く。その使命を果たすのに、武闘会に出場している暇はない。

 むしろ今回の会を大きな囮とし、自身は警備に回ることでこの悲劇に終止符を打つ。

 クロードの胸には、そんな強い決意の炎が燃えていた。


「もし、そこの御仁」


 不意に背後から声をかけられ、クロードは立ち止まり振り返る。

 路地裏の影に、真っ黒なローブに包まれた女が一人立っていた。彼女が、声の主だろう。


(足音がしなかった……それどころか、気配さえも)


「女人がかように夜遅く出歩くものでは無いな。どうした?」


 警戒心をにじませながら、クロードは剣の柄に手をやって女に尋ねる。

 女は一歩、路地裏から通りへと踏み出した。

 夜風がローブの頭巾を後ろへ撫でつけ、女の顔があらわになる。

 丁度雲が晴れ、月明かりが地に注いだ。

 蒼白いその光が、女の額に伸びた二つの角と、隻眼の紅い瞳を照らし出した。


「貴様……!」


 クロードは咄嗟に剣を抜き後退りする。

 だが、気付いたときには、もう遅かった。


シャル・ラ・セネト操影魔術


 全方位から襲い来る影の刃。

 クロードは全身に迫るその死を、どこか冷静に眺めていた。


(結局俺は、この女相手に何も出来なかった……許せ、ローラン。頼んだ、アラン)


「我が死せども、正義は死なじ!!」


 クロードの低い声が響き渡る。

 直後、土嚢どのう袋を突き破ったような鈍い音が、酒場通りに弾けて、消えた。



 *



 王都は、王国中央平野の中心部にある。

 北と東はそれぞれ大河と要害・銀山連峰に守られた天然の要塞都市は、建国以来一度も敵の手に落ちたことはないと伝わっている。


「懐かしいですな、旅立ちの日を思い出すようです」


 馬車の窓から外の麦畑を眺め、ヴィルヘルムがそう固い顔で呟く。これから大嫌いな権謀術数渦巻く貴族達の宴会に赴くのだから、当然と言えば当然だが。


「お師様達が旅に出たのは秋だったんですよね?」

「ああ、そうだな。ほら、あそこに山が見えるだろ? 出発から一週間もしない内に、お前の母様はあそこから自分の伝説をスタートさせたんだぜ」


 アランはヴィルヘルムの見ている方とは逆の窓の向こうを指差し、横目でディアナの入った棺のような箱を見た。

 アランの指差す先にそびえる鋭い山嶺の群れの先端には、春だと言うのに真っ白な雪が積もっている。

 十五年前の秋、ディアナ率いる軍勢は、あの連峰唯一の道とも呼べる銀山峠で、二万の大軍を率いた魔王軍屈指の将、“常勝公”勝鬨のユゼフを討ち破り、華々しい伝説の幕開けを飾った。

 アランにとっても、そしてリーシャやヴィルヘルム達にとっても、あの山の峠は忘れることの出来ない聖地であり、同時に地獄への入り口を切り開いた場所でもあるのだ。


 馬車はゆっくりと石畳で舗装された街道を進み、王都へと近付いていく。

 都の正門前が、大勢の人だかりや馬車でごった返しているのが見える。恐らく、今回の武闘会を見るためにやって来た観光客や、露店商達なのだろう。

 そんな姿を遠目で見るだけでも、都の賑わい具合が想像でき、アランは年甲斐もなくわくわくしてきた。

 昔から、賑やかな場所や祭りが好きな性分だ。もっとも、アランがそうなったのは、年がら年中お祭り気分だったディアナのせいなのだが。


「今日の王都は、いつにもまして賑やかですわね」

「六年ぶりともなると、こんなことになるんですね。私もここまでの規模は始めて見ました」


 門に集る大勢の群衆を窓越しに眺めて感嘆するクリスティーナに、リーシャも静かにそう同調する。


 一行が口々にそう感想なりなんなりを述べる間に、馬車はついにその人だかりの後尾についた。

 人だかりの向こうにそびえる城壁の、その更に奥に控える巨大な王城。その天を貫くような鋭い尖塔が、重々しく眼下の人々を見下ろしていた。



 *



「陛下、二つご報告が」


 街の賑わいが嘘のように静まり返った玉座の間。

 跪き、頭を垂れた近衛兵の男が、玉座に座る国王シャルルマーニュにそう進言する。

 まだ四十半ばほどだろうか。分厚い書類の束に目を通していたシャルルマーニュは、その言葉を聞くとただ一言、「話せ」と口を開き、また書類に目を落とした。

 近衛兵は頭を垂れたまま、すぐに報告を始める。


「まず一つ。昨夜未明に酒場通りで見つかった全身穴だらけの近衛兵の死体が誰のものか分かりました。

 近衛兵団第三大隊隊長“血の川渡り”のクロード様だ、と……」

「誠か?」


 シャルルマーニュは顔を上げる。近衛兵は冷や汗をかきながら頷いた。


「身に付けておられた武具や、身内の者の確認により、まず間違いないとのことでした」

「英雄狩りか?」

「恐らくは」

「そうか……」


 シャルルマーニュは、よもや信じられぬとでも言うように嘆息すると、「それで、もう一つは?」と促した。

 近衛兵はいくらか気を持ち直した様子で答えた。


「パッペンハイム公爵ヴィルヘルム様を乗せた馬車が到着しました。中には“魔族殺し”のアラン様も──」

「来たか!! よし、すぐにここへ呼べ。速やかに、遅滞なくだ!」


 シャルルマーニュはがたり、と玉座から前のめりになって立ち上がり、書類を投げ捨て叫んだ。

 先ほどまでの表情はどこへやら、その目は歓喜に満ちている。

 近衛の男も、国王の豹変ぶりには手慣れたものだ。「直ちに」と言うや、さっさと玉座の間を後にし、去っていった。


「アラン、久しぶりだなぁ……」


 一人残されたシャルルマーニュは、玉座に座り直すと、そう無邪気な子供のように呟いた。

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