第6話 英雄狩り

 饗宴きょうえんが一段落着いた頃には、窓の外はもうずいぶん暗くなっていた。

 隣に座るロゼはお腹が満たされて満足したのだろう。幸せそうな顔で目をとろんとさせ、うつらうつらと船をこいでいる。

 そっとアランが羽織っていたマントを掛けてやると、いよいよテーブルに突っ伏して眠り始めた。

 起きている大人二人はその様子に目を見合わせ、微笑んだ。


 立ち並ぶ木々の隙間から、美しい星月夜が顔を覗かせている。

 今頃はフランツも、夜警の合間に詰め所で夜食を食べている頃合いだろう。

 酒が入っているからか、ヴィルヘルムとの話はすごぶる盛り上がった。

 互いの近況報告に始まり、アランとロゼの旅のことやロザリオの件、そして魔王討伐の頃の昔話。

 乾いた口を酒で潤しながら話を続けていると、ふと先程から気になっていたことがあったのを思い出した。

 食事の前の、フランツとの会話のことだ。

 手元のホットワインで喉を潤しながら、ふと、アランはヴィルヘルムに尋ねた。


「ヴィル、そう言えばさっき、フランツが町が物騒だなんだって言ってたな。何かあったのか?」

「あぁ、その事ですか……」


 ヴィルヘルムは僅かに表情を曇らせて、アランと同様ワインをあおると、静かに口を開いた。


「近頃、諸侯連邦地域や王国を含めた西部諸国で暗殺事件が相次いでおりましてな」

「暗殺? 相手はどんな奴だ?」

「目撃者によると、犯人は片目の潰れた、全身黒づくめの女魔族だとか。それもかなりの手練れだそうです。

 おまけに、殺されるのは皆かつて魔王討伐に参加した、各国の名だたる英雄達ばかり。ちまたでは、“英雄狩り”の異名で呼ばれています」


 アランは思わず眉間にしわを寄せた。

 つい昨夜、二人を襲った襲撃者と全く同じ特徴だ。

 黒い頭巾で顔を隠した、隻眼の女魔族。操影魔術の使い手の、熟達した暗殺者。

 あの女は、アランのことを知っていた。


 アランはヴィルヘルムに、昨夜あった出来事をつぶさに語った。

 神妙な面持ちでそれを聞いていたヴィルヘルムは、アランが話し終えると「うーむ……」と難しい顔をして唸り声をあげると、顎に手を当てなにやら考え事をし始めた。


「養兄上の仇。奴は確かにそう言ったのですな?」

「ああ」

「でしたら一人、心当たりがあります」


 コトリ、とカップをテーブルの上に置くと、ヴィルヘルムは言った。


「影踏みのマリクの一族に、今も行方知れずの女が一人居ます」

「名前は?」

「分かりません。その生死すら定かではないのです。

 ただ、魔王討伐の折に“ヴィルカス”の一員として活動していたことだけが確かです。アラン殿の話と照合すると、恐らくは……」

「もし仮にそいつだとしたら、俺や他の英雄達を狙う動機は充分だな」


 ヴィルヘルムは深刻そうな顔で頷いた。

 カップの液面に映るアランの顔も、ずいぶん険しい。

 ただ一つ、ロゼの安らかな寝息だけが、穏やかに小屋の中に響いていた。


「ともかく、西部にいる間は良く用心して下され。奴は神出鬼没です。いつ、どこから現れるか分かりませんからな」

「あぁ、そうする。エリキシル見っけて先生元に戻すまでは死ねないからな」


 ふと、アランはすやすやと眠るロゼに目をやった。

 窓から射し込む月明かりに照らされて、白銀の髪がビロードのように輝いている。


 町の方から、凄まじい破壊音が聞こえてきたのは、その直後の事だった。



 *



 砂塵さじんの煙幕が町の中心で立ち上る。

 石造りの建物がガラガラと崩れ去る。

 硬い石畳の通りがえぐられたように陥没すし、怯えた市民が逃げ惑う。


 次第に晴れ始めた土煙の向こう、二つの人影があった。

 影の刃を放つ全身黒づくめの女魔族と、その女の一撃を剣で受け止めた衛兵の男──フランツだ。


「操影魔術の消費は激しい。だから最高火力を出せるのも一瞬。読みが当たりましたね」


 つとめて冷静にそう笑うフランツだが、その制服は戦闘でボロボロに擦り切れ、中の鎖帷子くさりかたびらが露出し、場所によってはそれすら裂けて赤い血がにじんでいる。


「この期に及んでまだ強がるか、“焔の剣フランベルク”フランツ。我が同胞の仇……!」


 女魔族は怒気を含めた声を上げ、短剣を握り締めて肉薄し切り払う。

 フランツは影の刃を弾くと、その勢いで後ろへ下がってそれを避け、剣の切っ先で露出した地面の砂を巻き上げた。


「ぐっ……」


 巻き上げられた砂から目を守るため、女魔族はとっさに足を止めて短剣を持つ手で目を庇う。

 その一瞬の隙を突き、フランツは女魔族の死角にあたる彼女の左側に回り込んで間合いを詰めた。だが、


「私の目は、まだ生きているぞ!!」


 閉じられていた目蓋が開き、中から深紅の瞳が現れる。

 瞬間、フランツの鳩尾みぞおちに、女の蹴りが突き刺さった。

 瓦礫を蹴散らし、音を立てて吹き飛ぶフランツは、辛うじてまだ原型をとどめている建物の壁に背を打ち付けて静止した。


「ずいぶん手こずらせてくれたな。流石は英雄の一人に数えられるだけはある」


(クソ、血が止まらん……手を抜きすぎたか)


 血を流してへたりこむフランツに近づきながら、女魔族は舌打ちをして左腕の傷を押さえる。

 それほど大きな傷には見えない。だが、そこから溢れ出る血は重傷と言っても差し支えない程の量だ。

 フランベルク。王国ではフランベルジュと呼ばれるその剣の特徴は、火柱にも例えられる波状の刃だ。

 工芸品にすら思えるそれは単に美しいだけではなく、しっかりとした実用性を兼ねている。

 この刃によって作られた傷は、焔の剣フランベルクの名の通り燃え上がるような激痛を引き起こすのだ。

 波状の刃は斬りつけた敵の肉をデタラメに切り裂き、止血と傷の回復を困難にする。

 戦場では死よりも恐ろしい苦痛を与える剣としてその名を轟かせた。


「……あなた、手を抜いていましたね?」


 思わず、女は足を止めた。

 フランツは震える声でそう尋ねると、顔を起こして女を見上げた。


「よくそんな堂々とした態度でいられるな。大した活躍もなく無様な姿を晒しているくせに」

「否定はしませんよ。私の実力は勇者一行と比べれば砂粒のような物ですから……でも、あなたを足止めすることぐらいなら出来る」

「なに?」


 フランツはちらりと女の後ろに目をやった。

 してやったり。そう言わんばかりの、不敵な笑みを浮かべながら。


「大方私を捕まえるなり拷問にかけるなりして、アラン殿や公爵閣下を誘き出す魂胆だったのでしょう。だから、本気を出さなかった

 ……あなたが私相手に手を抜いてくれて、本当に良かった。後は託しましたよ、本物の英雄達」


 ──アル・ル・ドート製氷魔術


 刹那、背後からそんな少女の詠唱が響いた。

 風を切り裂き、氷柱の矢が迫り来る。

 女は左足を軸に体を半周させ、真一文字に短剣を薙ぐ。

 硝子ガラスの砕けるような音と共に、放たれた氷柱が霧散する。


 その頭上から、アランは渾身の力で斧槍を振り下ろした。

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