第7話 ヴラウブルグの夜明け

シャル・ラ・セネト操影魔術


 アランの斧槍が脳天を割る。その寸前、女魔族はそう叫んで左へ大きく飛び退いた。

 女の影から伸びた黒い刃は斧槍の一撃を受け止め、女が逃れる隙を作ると、役目を終えたかのように霧散した。


「こんなに早く会えるとは思ってなかったぞ。“魔族殺し”アラン」

「俺だってそうだ。出来るなら、もう二度と関り合いになりたくなかったんだがな……」


 アランは素早くフランツの前に回り込んで斧槍を構え直すと、顎を引いてそう言った。

 二人は一定の距離を保って睨み合う。

 そこから少し離れた所にある建物の屋上に立つロゼは、杖の先端で女魔族を捉えて離さない。

 直線距離にして二十から三十メートル程度だろうか。この距離なら、ロゼは確実に術を命中させられる。


「これで三対一だ。お前の勝ち筋はもう潰えた。大人しく投降しろ」


 アランの呼び掛けを、女魔族は鼻で笑う。


「三対一? まさか貴様はそのぼろ雑巾も勘定に入れているのか? 馬鹿も休み休み言うことだな」


 そんな女魔族を、今度はアランが笑い飛ばした。


「馬鹿じゃねぇさ。ちゃんと三対一で合ってるよ。

 馬鹿なのは、ここがどこのどなたの領地かすっかり頭っから抜けてるお前の方だ」


 瞬間、女魔族の背後にあった瓦礫の山が吹き飛んだ。


プロテ・オ・リゴルク防御魔術


 ロゼはすぐさまアランの前に防御魔術の結界を張り、彼とフランツを瓦礫の暴風から防護した。

 六角形の、青いステンドグラスの様な小結界を幾つも組み合わせて作られた、半球状の分厚い大結界。

 瓦礫の破片がぶつかる度、コンコンと高い音が鳴った。

 アランは斧槍の穂先を前に向け、低い姿勢で身構えた。


 瓦礫の嵐を正面から被り、女魔族は顔を手でかばいながら膝をつく。

 辛うじて大きな破片はさばききれたが、小さな破片など防ぎきれなかった物が全身に細かな切り傷や打撲傷を作っていった。


「ワガハイの領内で散々好き放題やってくれましたなぁ。領主として、丁重にお返しいた──」

アル・ル・ドート製氷魔術


 灰色の煙の中から現れたヴィルヘルムが言い終わるのを待たずに、動きを止めた女魔族にロゼは氷柱の矢を放つ。

 同時にアランも地面を蹴り、その背中に肉薄する。


(龍血公は囮か!)


 女魔族は影の刃を盾代わりに展開し、ロゼの氷柱を受け止める。

 と、同時に、アランの横振りの斧槍を背後へ飛び退き回避した。

 そのときだった。


プロテ・オ・リゴルク防御魔術!!」


 すぐ後ろから、ヴィルヘルムの低い声が響いた。


 気がついたときには横腹に大きな衝撃が走り、視界が歪み、体が横へ吹き飛んでいた。

 ヴィルヘルムの両拳には、防御結界が張られている。


「ロゼ様! 酷いですぞ! まだ名乗り上げの途中だったのに……」

「命懸けの戦いなのでご容赦を。それに、美味しいところは差し上げたじゃないですか」


 地上と屋上でそんなやり取りをする二人を横目に、アランは女魔族に視線をやった。


 ヴィルヘルムの横振りの拳に吹き飛ばされ、女魔族は地面を転がりながら川の欄干らんかんに背を打ち付けて止まっていた。

 ずいぶん深い傷を負っている。ここから再び立ち上がったとて、勝ち目がないのは明白だ。

 その上、背後に流れるのは凍てつく初冬の川。逃げ道もない。

 そこまで確認してから、今度は満身創痍まんしんそういで壁に背を預けたフランツの元に向かった。

 

「……流石は魔王討伐を成し遂げた方々ですね」

「巡り合わせが良かっただけだ。それより傷、大丈夫か?」


 フランツの前に屈んで、アランはそう気に掛ける。

 一つ一つの傷は大したこと無さそうだが、その数が尋常ではない。

 そんな状況にあっても、フランツは微笑みを絶やさず頷いて見せた。


「もとより彼女にとって、私はあなた方を釣る生き餌。殺さぬように調整しているようなので大丈夫ですよ。

 それに、仲間も来てくれましたしね」


 フランツの言葉通り、退避していた衛兵達が続々と集結し、負傷者の救護や瓦礫の撤去を開始した。

 どうやら、ヴィルヘルムがあらかじめ事が済み次第来るよう手配していたらしい。

 フランツの元にも、担架と救護箱を持った衛兵達が駆け付けた。もうこれで、一安心だ。


「それでは、不甲斐なくもボコボコにされた雑兵Aはお先に失礼します。良い夢を」

「あぁ、ゆっくり休んでくれ。英雄殿」


 担架で運ばれていくフランツを見送り、アランはヴィルヘルムと、建物から降りてきていたロゼと合流した。

 川とおかとを隔てる欄干に、ひとかたまりの衛兵達が集まっている。

 女魔族を捕らえに来たのだ。緊張した面持ちで槍の穂先を突き付け、女を囲う年若の衛兵達。

 腕に縄を掛ける役目は、年嵩としかさの班長の役割だ。

 縄を掛け終え、完全に拘束した瞬間、分かりやすく彼らの緊張がほぐれたのが目に見えた。その様子を見て、アランは思わず微笑んだ。


「若いな」

「ええ。かつての我々を見ているようです」

「あぁ、そうだな……」


 気が付けば、東の空が明るくなり始めてきた。

 もう、夜明けだ。

 町の地下牢へ護送されていく女魔族の背を見ながら、アランもようやく一心地ついたように、詰めていた息を吐き出した。



 *



 そこから二日間、アランとロゼは復旧活動のために町に滞在した。

 捕らえられた女魔族はどうやら、町の外れにある塔の最上階に収監されたらしい。

 空気中の魔力は、空気が薄くなるのに比例して減少していく。そのため罪を犯した魔術師は結界の張られた塔の上層階や山城などに幽閉され、取り調べを受けるのが通例だ。

 町の復旧に目処がつき次第、取り調べが開始されるそうだ。


「本当にヴィルヘルム様も一緒に来ないのですか?」


 二日経ち、ある程度町が元の装いを取り戻す算段がついた所で、アラン達は領都パッペンハイムに出発することになった。

 ロゼの寂しそうな顔に、ヴィルヘルムは申し訳なさそうに頷いた。


「町の復旧を見届けるのが領主たるワガハイの仕事ですから。それに、フランツの件もあります。ですが、ご安心下さい。後から遅れて、きっと参りますので!」

「……はい!」

「ヴィリー、一日遅れるごとに罰金だからな」

「まだワガハイからむしりとるつもりですか!?」


 賑やかな笑い声に包まれながら、二人は馬車に乗って町を発つ。

 目指すは南。ディアナ達の待つ領都パッペンハイム。

 北の山々にかかる重い雪雲が、冬の到来が間近に迫っていることを示していた。



 *



「……それで? マリクの義弟はどうなった?」


 薄暗く冷たい半地下の小さな部屋の一室に、しわがれた老爺ろうやの声が響く。

 ボサボサとした白い髪と髭に覆われたその姿は、爛々と不気味に光る大きな両目も相まってか、フクロウのようにも見える。

 その側頭からは、一対のねじれた山羊のような角が天井に向かって伸びていた。


「“魔族殺し”アラン、“龍血公”ヴィルヘルム、それからロゼと呼ばれる銀髪の娘に手酷くやられ、今はヴラウブルグの塔に囚われているそうです」


 老爺の目の前に浮かぶ紫水晶の玉から、声が聞こえる。若い男の声だ。

 その言葉に、老爺はチッと忌々しげに舌打ちをすると、親指の爪を噛んだ。


「死に損なったか……このままでは英雄が減る一方だ。何とかせねば。

 おい、その町を治めておるのは誰だ?」

「ヴィンセント・ジスカールと言う伯爵です」

「将か?」

「はい。先の戦でも果敢に武功を上げたと聞いています。まだ歳も五十過ぎです」

「ここで死なせるには惜しいな……“焔の剣”フランツの方はどうだ?」

「まだ療養中です。ここままなら春までには万全になるかと」

「分かった。何とか奴を殺すなりなんなりして、これ以上英雄が死ぬのを防げ。ジスカールもフランツも、その領内にいる他の英雄もだ」

「畏まりました、“鴉羽侯”ミハウ様。努力します」


 そう言うと、水晶は浮力を失ったように落下した。

 ミハウは深いシワの刻まれた枯れ木の枝の様な手でそれを受け止めると、そっと懐にしまい込んだ。

 ランタンのあかりがぼんやりと、その老いて張りを失いかさついた、シミとシワだらけの顔を照らした。


「神々の黄昏の日は近い。一人でも多く、英雄を集めなくては……」


 部屋の外から、やかましいカラスの鳴き声が響き渡る。

 ミハウはカラスの羽で作られたマントを羽織ると、部屋の隅に立て掛けていた杖を取り、重い足取りで外への階段を登っていった。

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